第一幕 祭りから一夜明け――女剣士の心の痛み



 ――なあ、凛。おまえ、煉弥のボウズに、ことあるごとに絡んでいるが、どうしてだ?

 ――あの者を一人にすると、何をするかわかったものではありません! 凛がしっかりとみてやらねばいけません!

 ――ほぉ? そりゃあ大義なことだ。凛のようなしっかり者を義姉にもって、ボウズも嬉しすぎて涙がちょちょぎれるような心持だろう。なんてったって、ず~~~っと、ず~~~~~~~っと、凛からつきまとわれてるのだからなぁ。

 ――凛はつきまとってなどおりません! あの者が凛につきまとってくるのです!

 ――そうかそうかぁ。で、ツバメはどう思う?

 ――凛がつきまとっております。

 ――だ、そうだぞ?


 ――凛はつきまとってなどおりません!! あの者です!! あの者が凛につきまとってくるのです!!

 ――まったく、素直ではありませぬ。一体、誰に似たのやら……。

 ――知っておるか、ツバメ。子は親を映す鏡と言われておるそうだぞ?

 ――さようでございますか。ならば、あなたに似たのでしょう。あの頑固なところなど、本当にそっくりです。

 ――うん。うん。そうだな。そうしておくことにしよう。しかし、そうなると、ちと寂しくはないか、ツバメ? ボウズも俺のクソガキの時分の頃にそっくりであるし、凛も俺にそっくりだということになると、ツバメの面影を残してくれる者がおらぬことになるぞ?

 ――ま、まったく……いつもながら、あなたはズルい言い方をいたします。かような言い方をされますと、認めぬわけにはまいりませぬ。……ええ、凛は私の小さなころにそっくりでございます。まるで、生き写しのように。

 ――うん。うん。そうだろう。そうだろう。となれば、ボウズと凛は将来きっと良い夫婦となるに違いなかろう。うん。やはり、ボウズは北条性のままにしておくがよかろうなぁ。そう思うだろう、ツバメ?

 ――はい。そのほうがよろしいかと存じます。


 ――ちっ、ちち父上も、はっ、はははは母上も、かかか勝手なことを言わないでください!

 ――うん? なんだ、凛はボウズのことが嫌いか? 凛はボウズと一緒にいたくないのか?

 ――そそそ、それは……そっ、その……。

 ――おやおや、顔を真っ赤にしてしまって。凛は嘘がつけない娘ですね。

 ――うん。うん。さすがはツバメの娘だ。素直じゃないところが愛らしい。凛は本当に母上そっくりだ。

 ――あっ、あなた!!

 ――うん。うん。凛よ。期待しておるぞ。あのボウズと夫婦になって、父上と母上を楽しませてくれよ。


 ――凛は……凛は……あの者の妻になどなりませぬ!

 ――ほお? ではやはりボウズが嫌いか?

 ――いえ……凛は、あの者の妻になるのではありませぬ! 凛が、あの者をもらってやるのです! 凛が藤堂の次代当主として、あの者をもらってやるのです!

 ――まったく……この娘は、なんと、まあ……。

 ――は~~~っはっはっはっ!! そうきたか!! まあ、それでもかまわん!! ボウズと凛が一緒になるというのなら、それでもかまわん!! だがな、凛。肝要なのは、互いの想いだ。俺のみたところ、ボウズは凛にホの字だが、凛はボウズが好きなのか? 凛は、ボウズと共にありたいのか?

 ――は……はいっ!! 凛はあの者が――煉弥が好きですっ!! 凛は、煉弥とずっと共にありたいと思っておりますっ!!

 ――そうか、そうか!! うん。うん。これで藤堂家も安泰だなぁ。なあ、ツバメ。

 ――さようでございますね。今から、その時が楽しみでございます。きっと、素晴らしい祝言になるでしょうね。

 ――ああ。そうにきまっておる。最愛の娘と、最愛の婿養子の祝言だ。それは、きっと、御伽草子の一節にさえ使えそうな――そんな素晴らしい光景となるだろうよ…………。




「――――父上ッ!! 母上ッ!!」


 在りし日の思い出を呼び止めるかのような叫び声だった。引き絞られた弓が放たれたかのような勢いで、布団からその身を跳ねおこす凛。襦袢の下の白い肌はぐっしょりと寝汗で濡れ、さながら朝露によってその身を濡らしているかのようにも見えた。


「はあ……。はあ……」


 夢。それも、今の凛にとって、もっとも残酷なる夢。胸の動悸は高鳴り、息を切らし、心も動揺していく。

 気を落ち着かせようと瞳を閉じれば、浮かんでくるは昨夜の光景。

 心躍る祭囃子と、それに誘われて集いし町人達。そして、町人達の中でも、最も目をひくのは、祭りにかこつけて逢瀬を約束したうら若き男女達の姿。

 その中に、煉弥がいた。いるはずのない場所に。いるはずのない恋人を抱き寄せて。それも、今まで見たことのないような、愛らしさの権化と形容しても差支えのない、そんな愛らしい少女。


「――――くっ!!」


 心の痛みに、思わず襦袢の上から左の胸を握りしめる。

 胸。そうだ、胸。あの少女、思わず目を見張ってしまうほどに胸元がふくらんでいた。

 負けず嫌いの女剣士はすかさず襦袢を脱ぎ、自らの乳房をぎゅっとわしづかむ。

 乳房。大きくふくらんだ乳房は男士のあこがれであると、大袖も小袖も声をそろえて言っていた。やはり、袖達が言っていたことは、本当なのだろうか? あの者も――やはり乳房が一番なのか?!

 女鬼というあだ名そのものな表情になりつつある凛。すると、そんな凛に向かって、


「朝っぱらからな~~んばしよるちょっかねぇ。そげなツラして、そげなふうに乱暴に乳ばにぎりしめちょったら色気もなぁ~~~んもありゃせんばい」


 という、人をくったような口調の女の声が投げかけられた。声のした方向に顔を向ける凛。そこには、凛が生まれた時から藤堂家に女中として仕えている、双子の女中の姉――通称『大袖おおそで』が呆れた表情で、凛の寝所の障子を開け放っている姿があった。


「……余計なお世話だ。色気など……必要ない」

「ほ? どげんしたかね? いつもん凛嬢なら、しゃあしいわ! とか一喝くれそうなもんやけんど、そげなしおらしい声ば出されたらこっちの調子ば狂うっちもんばい」


 訝し気な顔をして、凛のそばへ、どすどすと歩み寄る大袖。大袖という名が表すように、その体躯は凛に負けず劣らずのものを持っている。ただし、凛とは違って、その所作事には品もクソもへったくれもないが、女中としては他の追随を許さぬほどの働き者だ。


「……なんでも、ない」


 乳房から手を外し、そのままうなだれるようにだらりと全身の力を弛緩しかんさせて呟く凛。


「凛嬢。そげな風に言うと、何かありました、どうか聞いてください、っち言うちょるのとかわらんばい」

「――なんでもないッ!!」

「へぇ。へぇ。それやったら、さっさと起きて支度ばしましょう。小袖こそで朝餉あさげ作ってまっちょりますけんね」


 そう言って、凛の布団の横に置いてあったサラシを手に取る大袖。そして手際よく、凛の胸にサラシを巻き付けていく。

 こうして、凛のたゆやかな乳房をサラシで潰すことが、いつの頃からか、藤堂家の朝の慣習となっているのであった。


 いや――慣習という言葉は正確ではないか。


 凛の乳房をサラシで潰すこの行為は、凛にとって、いわば大事な大事な“儀式”だった。

 それは、十九歳の少女である藤堂凛が、藤堂家当主として――そして剣士として変貌するための厳かな儀式。

 サラシで女性の象徴ともいえる乳房を潰し、女としての心を捨てさる儀式。


 そして、心を捨て去った潰れた胸の中に、藤堂家当主としての――すなわち、武士としての、剣士としての心を詰め込む儀式。

 だが悲しいかな、いくら凛が剣の腕がたとうとも、そして武士としての儀礼や所作に秀でていようとも、凛が武士として認められることはない。それすなわち、凛が女であるがゆえ。

 藤堂凛という存在は、実に歪なモノだといえた。 


 その精神――まさに武士としての資質十分なりて、高貴かつ情け深くて仁ありき。

 その容姿――スラリとした長身をもち、他に比類なき美しさにて、月さえもその身を恥じるとさえ称されるきめ細やかな白き肌。神さえも思わず手を伸ばして触りたがると誉れの高き、腰まで伸ばされた艶髪。

 その腕前――十九という若さで、江戸でも五本の指に数えられるほどの剣の腕。若いゆえ、その伸びしろはまだ十分にあるとの評もあり。いずれは三本の指で数えられるうちに入るであろう。


 これほどまでに、武士として、そして家の当主としての優れた資質を持ちながらも、凛は“女”であるというこの一点のみの理由によって、武士としても藤堂家の当主としても、認めてもらうことができないのだ。

 そしてそれがまた、凛の持ち前の負けん気に拍車をかけさせたのであった。


 ――もっと強く。

 ――もっと武士らしく。


 凛は、ただただひたすらに自己研鑽を続けた。

 周囲の人間に、自分が藤堂家の当主としてふさわしいと認めさせるために。自分が武士としてふさわしいと認めさせるために。

 そして――――両親を凶刃にかけた下手人を、必ずやこの手で討ち取ってみせるために。


 凛の強靭なる精神力は、やがて凛を周囲の人間が一目を置くほどの傑物として成長をとげさせた。まだまだ、女だということに対する偏見は根強いが、そんなものなど、負け犬の遠吠えにすぎぬ。陰口をたたくくらいならば、堂々と私に手合わせでも申し入れればよいのだ。そんな度胸のない痴れ者共に、何と言われようが私は動じぬ。泰然自若。それが武士の心也。

 となれば、次に凛が目指すは、凛の本懐ともいうべき、両親のカタキ討ちのみ。

 今までは何の手掛かりもなかったが、ここにきて、同じような辻斬り事件が発生した。まるで、父上と母上が私を導いてくれているかのように。

 今こそ、本懐を遂げる時である。されど、蒼龍殿は私に関わるなと申された。なにゆえ? なにゆえ、私が関わってはならぬのか?

 納得がいかぬ。私に関わるな、ということは、それすなわち、今回の辻斬りの下手人が、父上と母上のカタキであるからではないのか??


 心に少しでも猜疑心さいぎしんが生まれてしまえば、その猜疑心というものは日を追うごとに大きくなるもの。だからこそ凛は、真偽を確かめに、煉弥の元へと向かったのだった。なぜ、自分がこの事件から締め出されているのか、その真偽を確かめるために。

 だが、煉弥が真偽を語ることはなく、凛に頭を下げてこう嘆願した。


 ――――どうか。この事件は俺に任せてくれ。


 必死になってそう懇願こんがんする煉弥に、凛はとても心を打たれたのだった。

 煉弥の言葉に虚偽の色なぞまったくもって感じられなかった。

 ただ――私のことを心配してくれて…………。

 ただ――私のことを想ってくれて…………。

 煉弥の言葉から、そんな想いがひしひしと感じられた。だからこそ、私は煉弥を信じることにした。だからこそ、私はカタキ討ちをするということを、いま一度考え直すことにした。


 だが――――!!

 昨夜の光景はなんだったのだ?!

 俺に任せてくれと言いながら、なぜ、奴はあんなところにおったのだ?!


 なぜ――――あれほどまでに愛らしい少女と共におったのだ?! それも、少女を抱き寄せるかのようにしてだッ!!!!!!!

 ギリリリ!! と歯がくだけるかと思われるほどの歯ぎしり。それを耳にした大袖、ふぅとため息を吐きながら凛に言う。


「凛嬢。なんばあったかしらんけど、とりあえず力ぬいちょくれんかね? そげん全身にぐぅ~~っち力入れられちょったら、サラシが巻きにくぅてたまらんばい。最近、ただでさえ凛嬢の乳ば、でかくなってきよるんやき、なおさら巻きにくいんちゃ」

「……なあ、大袖」

「なんかね?」

「……私の胸は、そ、その……大きいのか?」

「はぁ? あんね、凛嬢。自分のことは自分じゃわからんっちよう言うけど、凛嬢の乳ば、相当でかいほうばい? 町娘とか見てん。凛嬢みたいに、ツンとした立派な乳ばしちょる娘、なかなかおらんやろうに」

「そ、そうか――い、いやっ! だが、上には上がいるわけだろう? そ、そこで大袖に問いたいのだが……過日にお前と小袖が言っていたことは、やはり相違ないのであろうか?」

「あたきと小袖が言いよったことぉ?」


 サラシを巻く手を止め、首をかしげながら言う大袖。なんのこっちゃ? 思い当たることば多すぎて、何が言いたいんかようわからん。


「そ、その……あれだ。だ、男子は、そ、その、乳房が大きい方が、こ、好みだと、そう申しておっただろう?」

「あぁ~~~。まあ、確かにでかい方が好きな野郎ば多いんっちゃない? やけんど、たで食う虫も好き好きっちいうてね。小袖みたいに、ちんまくて乳がペッタンコな女子おなごが好きっちゅう野郎もそれなりにおるけんね~」

「そ、そうか……うん。そ、そうか……」


 何度もうなずく凛。そしてそれを怪訝な表情で見つめる大袖。


「で、それがどうしたん?」

「……い、いや、その――――」

「あぁ~~~もぉ~~~~~うっとおしかねぇ!! 気になることばあるんやったらシャキッと聞いてみんかい!!」


 母親が子供を叱りつけるように大袖が凛の背中越しに怒鳴る。突然の大声に、ビクッ! と身体を揺らす凛。そして少しの沈黙。大きく息を吐く凛。


「……や、やはり、その……れ、煉弥も、乳房が大きい女子のほうが、す、すす、す、好き……なの、だろうか……」


 急に何を言い出しよるかと思ったら、なんちゅうくだらんことよ。煉坊は昔っから凛嬢一筋ちゅうに。ほんっとこん二人っち、なぁんでこげんにお互い素直になれんかねぇ。凛嬢か煉坊、どっちでもいいけん、さっさと好きっち言いないよ。


「まあ、好きかどうかは知らんけど、大きい方がよかっちゃない? ほら、煉坊っちあげん身体でかいけん、ちんまい女子じゃ見た目的に釣り合わんけねぇ。それから考えれば、凛嬢と煉坊がさっさとくっつきゃ一番丸く収まるっち思うけどねぇ」

「そ、そそそ、そういうわけにもいかぬ!! 父上も申しておった!! お互いの気持ちが一番大事だと!!」

「じゃあ、本人に聞けばよかっちゃない? あたきのこと、どう思っちょるんか~~~!! っち、いつもの凛嬢みたいに強気で攻めればよかよ」

「……それができれば――苦労はせぬ」


 語尾が消え入るような小さな声で凛が大袖に訴える。まあ、確かにそればできちょったら、こげん悩むこともなかっちゃろうね。

 はぁ~~~~、と大きな大きなため息をつく大袖。そのため息をうけ、凛の艶髪がさらりと宙に踊り、艶髪のすきまから凛の背中の白い柔肌が垣間見える。ほんに、よか女子なんやけど……ねぇ。

 これ以上は余計なことば言わんがよかろうと、大袖は黙ったまま凛の胸にサラシを巻く作業を再開した。シュルシュルと巻かれていくサラシ。ひと巻ごとに潰れていく凛の胸。ひと巻きごとに少女から剣士へと変貌していく凛。

 いつもならば、この儀式によって自らの女心を寝室に置いていくのだが、今日は、どれだけサラシを巻こうと凛の女心が凛の胸の中に居座って出ていってくれなかった。


 胸が――痛かった。

 煉弥の言葉を信じたい。煉弥の言葉の裏に感じた、煉弥の想いを信じたい。

 だが、煉弥のそばにいたあの少女。自分がもっていないモノを、全てもっていたあの少女。

 愛らしい。ほんとうに、その言葉しか思い浮かばぬほどに、愛らしかった少女。


 それに比べて、私はどうだ?

 女鬼などと周囲にあだ名され、女らしさを自ら捨て去り、年頃の町娘が夢中になるようなことは一切避け、ただただ剣の道のみを追及してきた男女。さっき、大袖も言うておったではないか。色気もクソもない、と。


 ははっ……。笑えてくるな。

 あの少女と、私。どちらがよいかと万人に聞けば、間違いなくあの少女が選ばれるに決まっているではないか。

 色気もクソもない女鬼なぞより、さながら花畑の中でも一際輝くシャクヤクの花が如き可憐なあの少女のほうが、誰だって愛おしみたいと思うに決まっている。

 ぐすっ……、と思わず少し涙ぐんでしまう凛。大袖はあえてそれに触れないようにし、無言のままサラシを巻きつづけ、やがてサラシを巻き終えると、凛の背中を優しく撫でさすり、


「凛嬢――。小袖と、向こうでまっちょるから、落ち着くまでゆっくりしちょき」


 そっと凛の背中に投げかけた。凛はそれに無言でうなずくことで答えとした。声を出してしまえば、自分が涙ぐんでいることがばれてしまう。武士は決して人に涙を見せてはならぬのだ。

 大袖がゆっくりと立ち上がって寝室から出ていく。障子の閉まる音を皮切りに、ぶわっ! と凛の瞳から大粒の涙があふれ出す。


 やめろ!! 止まれ!! 止まってくれ!! 私は誓ったのだ!! もう、二度と涙を流さぬと!! 母上が斬られ、後日に父上が斬られた時に――私はそう誓ったのだ!!

 そう強く願えば願うほど、凛の瞳からとめどなく涙が溢れてくる。

 なんと女々しいことか!! 嫉妬の涙など、なんと――なんと、女々しいことか!!

 ……女々しい? ということは、私にも少しは女子らしさが残っているということか? とすれば、私が涙を流せば、女子らしくなれるのか?

 ああ! ああ! 何を考えている!! 女子らしさなど望むべきではない!! 私は藤堂家当主――藤堂凛だ!! 女子らしさなどいらぬ!! 色気などいらぬ!! 私が望むものは――――!!


 私が――――望むモノ?

 私が――――望む者?

 私は……私は……!!


 そこまでが、凛が理性を保てる限度であった。


「うぅ……うっ、うぅ……あぁ……あぁぁぁぁぁ!!」


 サラシで潰した胸の上で両手を組み、思いっきり前かがみになって嗚咽する凛。

 すれ違い――――。

 互いが互いをこんなに強く想いあっているというのに、ちょっとしたすれ違いが、想い合う二人をかくもこうまで苦しめるものなのか。

 どちらかが素直になれればよいのだが、互いの立場がそれを許してくれぬ。


 それに、煉弥も凛も、心の底では恐怖しているのだ。

 ――想いを伝えた後、自分達の関係性はどうなってしまうのか? もし、拒絶でもされやしたら?

 そんなことがチラリとでも脳裏をよぎれば、もう、想いを口に出すことなどできなくなる。

 嗚咽しながら、わずかに残っている理性の中で凛は思う。

 涙が枯れ、いつものように袖達と朝餉を食べたら、すぐにお師様のところにいこう。お師様のアジサイを見に行こう。母上が好きだった、アジサイを。

 そう思ったところで、凛のわずかに残った理性も消し飛び、凛は、ただただ嗚咽するだけの生き物と化すのであった。

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