第一幕 神社での煉弥と八重――女剣士、青天の霹靂


 人ごみがさらに多くなり、祭りもまさに宴もたけなわといった様相を呈している神社の境内を、煉弥と八重はお互いがはぐれないようにと寄り添うようにして歩いていた。


「ほっ、ほんとうに……ごっ、ごめんなさいぃ……」

「いえ、大丈夫ですって。本当に俺は気になんかしていませんから、もう謝るのはやめてくださいよ」


 ぺこぺこと小さく頭を下げながら何度も何度も謝ってくる八重に、煉弥は苦笑しながらそう答えた。


「ところで、その、頭のほうは大丈夫ですか?」

「えっ? はっ、はいぃ。ま、まだちょっとヒリヒリするような気がしますけど……」


 先ほど多重からキセルで思いっきりぶん殴られた辺りを手でおさえながら、八重が、エヘヘ……とはにかんだ。

 いやいや。ヒリヒリ程度じゃ普通はすまねえぞ。ありゃあ下手すると、死んじまってもおかしくねえほどの一撃だったはずだ。

 傷一つどころか、たんこぶ一つできていない八重の石頭を見下ろしながら、煉弥は心に軽い戦慄を浮かべるのであった。


 それはさておき、多重に支度小屋から追い出された後、煉弥は結局一時間ほど外で待つことになり、手持ちぶさたになった煉弥は、その間ずっとあることを考え続けていた。

 ――玄鬼おじきと多重さんとの間に、何があったんだろうな。それに、多重さんとは六年間会ってないってことは、八重さんは少なくとも九つの時から化け物長屋にいたことになるわけだろ? でも、俺が八重さんと顔見知りになったのは一年前からだし……なんつうか、謎だ。ろくろっ首には謎が多すぎるぜ。

 気になって気になってしょうがない。しかし、この疑問を直接八重にぶつけるというのも、なにかよくないことのような気もするし、だからといってこのまま黙っているというのも、また心に悶々としたものを植え付けてしまうことにもなる。はてさて、どうしたものか。

 そんなことを煉弥が思い悩んでいると、そんな煉弥の思いを察してくれたか、八重がおずおずとした口調で、


「え、えっと……そ、その、わ、私、八歳の頃に、おかあさんから連れられて、あの長屋のお世話になることになったんです」

「八歳の頃って――それはまた、ずいぶんと早い時分ですね?」

「は、はいぃ。そ、そのっ、私って、おちびさんの頃から、こっ、こういう性格なもので、このままだと、おかあさんの後を継ぐことはできないから、芸の勉強をする前に、人との付き合いを学びなさいって、おかあさんから言われて、あの長屋に住むことになったんです」

「……一人で、ですか?」

「は、はいぃ。おかあさんからは一人で暮らしなさいって言われてたのですけど、そっ、それだとあまりにあまりだって、楓さんがおっしゃってくださって、それで、お化け先生と一緒にくらすことになりまして…………」


 頼りになるのかならねえのかよくわからねえ人選だ。しかしまあ、他の強烈な妖怪共と比べりゃあマシかもしれん。じっさい、八重さんは今のように健やかに育ってくれていることだし、楓さんの人を見る目――否、お化けを見る目は正しかったと言えるだろう。


「寂しくは、なかったですか?」


 祭りを楽しむ周囲の人々の喧騒とは裏腹に、八重はうつむき、少し寂しげな表情を浮かべた。


「……正直に言いますと――とっても、寂しかったです……。どうして、おかあさんと離れなきゃいけないのだろう。どうして、一座の皆さんと離れなきゃいけないのだろう。わっ、私が長屋に来たばかりの時は、いつもそんなことばかり考えてしまって、夜になると、そっ、その、寂しくて寂しくて、わんわん泣いちゃって、お化け先生をよく困らせてしまっていたんですよ」


 わんわん泣いてる幼子時代の八重と、その八重をどうあやせばよいものか四苦八苦する口八丁がウリの助平お化け。想像すると、なんだか微笑ましい光景だ。当人たちからすれば、たまったものではないだろうが。


「しばらくの間、本当に毎日が寂しさでいっぱいでした。でも、そんな私に長屋の皆さんが優しくしてくださいました。ことあるごとに、私が寂しくないようにって、あの手この手で私と遊んでくださって――本当に、嬉しかったです」


 あの長屋に住んでる妖怪どもの性格から考えるに、あの手この手で八重さんと遊んでいたのではなく、あの手この手で八重さんで遊んでいたのでは? と煉弥は邪推したが、八重さんが遊んでくれたと思っているのなら、まあ余計な事は言うべきじゃねえなと口を閉ざしたまま八重の話の続きを待った。


「……わっ、私は今でも、他の方の目を見てお話しをすることが、にっ、苦手です。でも――でも、それでもおちびさんの頃と比べれば、わっ、私は幾分か、人見知りが治ってきた――とお化け先生が言ってくれてるのですが……わっ、私としては、そ、そのっ、まだ治るとかそういう次元じゃなくて、え、えっと、そ、そもそも、何のとりえもないろくろっ首が、長屋のみなさんと、そ、その…………」


 あわわわわわわ……と、いつのまにやら八重のいつもの悪い癖が出始めだした。こいつぁ、いかん。軌道修正が必要だと、煉弥が八重に優しく語りかける。


「八重さんの小さい頃がどのようなものだったかはわかりませんが、少なくとも――俺が八重さんと初めて出会った時よりは、八重さんの人見知りは治ってきてると思いますよ」


 煉弥のこの言葉に、はたっ、と八重は立ち止まり、両手を胸の上にあて、まるで許しを請うような目で、


「そっ、そうでしょうか……!」


 と、流れる雑踏の中で煉弥に問うた。


「ええ。間違いありませんよ。俺が保証します。現に――今、八重さんはこうして俺の目を真っすぐに見つめて話をしてくれているじゃありませんか?」


 そう言って、立ち止まった八重の方へと振り向き、優しく八重に微笑みかける煉弥。

 微笑みかけられた八重はというと、顔の熱だけで湯が沸かせそうなほどに顔を真っ赤に火照らせ、くいっと顔をうつむかせ、くりくりっとした大きな瞳を閉じた。そのまま、煉弥に聞こえないように、小さく自分に言い聞かせるように、


 ――がんばらなきゃ。勇気をださなきゃ。


 と何度も何度も早口でつぶやいた。そして、煉弥が立ち止まったままの八重の傍へと歩み寄ろうとした時――――、


「あっ、あのっ!」


 周囲の雑踏を形成する人々が、その足を止めるほどではないが、思わずチラリと八重に目をやるほどの大声だった。それはまた、八重という少女が、十五という短い人生ではあるが、その短い人生の中で最も勇気を要した一声でもあった。

 八重の呼びかけにただならぬ気配を感じる煉弥。その場で立ち止まり、少し表情を引き締めて、


「――なんでしょう」


 と、八重の呼びかけに答えた。


「え、ええっと――え、ええっと――そっ、そのっ――あっ、あのぉ…………」


 二の句が継げず、うつむいてしまう八重。

 こちらから声をかけてやるべきか? それとも、このまま待つべきか? さて、どうしたものかと迷う煉弥。

 お互いに目をそむけたまま流れる沈黙。周囲には相変わらず雑踏と喧騒が渦巻いていたが、今の二人の耳にはそれらの雑音が聞こえなかった。まるで、煉弥と八重だけ、この世界から切り取られているかのようだった。

 このままずっとこうしているわけにもいかん。ここは俺から歩み寄るべきだな。

 煉弥がうつむいたままの八重へと歩み寄る。うつむいた八重の視線の先に煉弥の足元が見えた。


 ――だめっ! このままじゃ、いつもの私とかわらないっ! がんばらなきゃっ! がんばるって楓さんとも約束したもんっ! がんばらなきゃっ!


 さっ! と顔をあげ、歩み寄ってきた煉弥を見上げる八重。その瞳には、緊張のあまりに涙が薄く浮かび上がっていた。


「あ、あのっ! れっ、煉弥さんに、わっ、渡したいものがあるんですっ!」


 そう言って、手にさげていた金魚の巾着袋から、あるものを取り出す八重。


「それは――?」


 八重が取り出したものを見て、煉弥は刹那、なんだこれ? と首をかしげそうになったが、すぐにそれがなんであったかを思い出し、微笑みを浮かべた。

 それは、先日、煉弥が八重の部屋におじゃました際、八重が気を失った時に八重のおでこに乗せてやった煉弥の手ぬぐいであった。ボロボロだったはずが、八重の手先によって綺麗に修繕されており、ちょっと見ただけでは、煉弥はこれが自分の手ぬぐいだとわからなかったのだ。


「こんなに、綺麗にしてくださって……。ここまで綺麗だと、なんだか汗拭きなんかに使うことがはばかれるくらいですね」


 煉弥から褒められて、顔を赤らめ、そしてほころばせる八重。


「こっ、こういうことしか、そっ、その……わっ、私はできませんから……」


 煉弥に手ぬぐいを手渡す八重。手ぬぐいを受け取り、愛おしむように手ぬぐいを懐へとなおす煉弥。


「ありがとう――ございます」


 煉弥が八重にお礼を言った、その時であった――――、


 おっと、ごめんよっ! と八重の背中にぶつかる雑踏の一人。


「きゃぅっ?!」


 たたらを踏み、前のめりになって転びそうになる八重。転んでしまわないようにと、八重が慌てて思わずしがみついたのは、煉弥の身体であった。


「っとと……大丈夫ですか?」


 反射的に、八重の背中に手を回して八重の身を雑踏からかばう煉弥。煉弥は気づいていないが、その様は、八重を抱き寄せたかのようになっていた。


「あっ…………」


 煉弥の大きな身体とたくましい腕に包まれ、羞恥心もそうだが、それ以上に大きな安堵感を覚える八重。


 ――今しかないっ! がんばるのっ! 伝えなきゃっ!


「あっ、あのっ――!!」


 煉弥にしがみついたまま、上目づかいに煉弥に必死に訴えかけようとする八重。小さな身体は小刻みに震え、瞳はうるみ、頬を淡く紅に染めた真にせまった表情から、八重が何か一世一代のことをしでかすのではないか? と、さすがの鈍感な唐変木にも感じ取ることができた。


「な、なんでしょう?」


 そんな八重につられ、思わず声がうわずってしまう煉弥。身体はでかいが、女性に対しての肝は小さい悲しき童貞浪人である。

 祭囃子と行き交う雑踏を背景に、お互いに身を寄せ合ったまま、見つめあう二人。やがて、意を決した八重が、秘めたる想いを言の葉に乗せて紡ぎだす。


「わっ、私……わっ、わわわわわわっ、私……そっ、そのっ……れっ、れっ、煉弥さんの、ことがっ――――」


 と、そこまで八重が口にした時だった――――、


「あぁ~~~! なんだかおっきな人がいると思ったら、やっぱり煉弥あんちゃんだ~~~!!」


 突然のあどけない声。声のした方に煉弥が目をやると、そこには凛が道場で読み書きを教えている子供の一人が煉弥を指さしている姿があった。

 ……こいつはまずいところを見られたかもしれねえ。

 人の口には戸口がたてられぬもの。ましてや、それが子供となればなおさらである。

 こいつが凛に余計な事を言う前に手をうたなきゃあならねえな。強く心に誓う煉弥。だが、現実というものは非情なものである。


「おいっ! あまり先走ると皆とはぐれてしまうぞ!」


 子供にそう呼びかけながら、ひょいっと、雑踏の中から突如として現れる凛。その周囲には、五~六人の子供がはべっていた。おそらく、祭りの引率でも頼まれたのだろう。

 ――マズイっ!!!!!!

 顔を引きつらせる煉弥。そんな煉弥を指さしながら、子供が追い撃ちをかける。


「凛先生~! 煉弥あんちゃんがいるよ~~~!」

「なに? 煉弥が?」


 怪訝な表情を浮かべて、子供たちをしたがえながら近づいてくる凛。

 やばい。やばい。これはひじょぉ~~~~~にやばい。だからといって、しがみついている八重さんを放り出してトンズラこくわけにもいかねえ。どうする? どうする?!

 その場から動けずに、ただただうろたえるばかりの煉弥。八重は八重で、一世一代の告白のタイミングを外されてしまい、どうしようどうしようと頭の中がパニック状態のまま、ただただ煉弥にしがみついているばかり。


 そして――――運命の瞬間は訪れた。


「めずらしいな、煉弥。キサマが祭りにくるなど――――」


 そこまで口にしたところで――否、そこまで口にすることが精いっぱいだった。

 ただごとではない雰囲気の煉弥と八重を目にした凛。切れ長の目を裂けんばかりに大きく見開き、その口はあまりの驚愕にだらしなく開きっぱなしになってしまっていた。


「うわぁ~~!! 見て見て凛先生~~!! 煉弥あんちゃん、すっごく可愛い女の人と抱き合ってるよ~~!!」


 空気の読めない子供がさらに巨大な爆弾を投下する。それにつられて凛の周囲にいた子供たちも、ほんとだほんとだ~~!! と煉弥と八重の二人に近寄って騒ぎ出す。


「よ、よう……凛……」


 引きつった笑みを浮かべて凛に会釈をする煉弥。

 しかし、それに凛が答えてくれることはなく、まるでおぞましいものを見て恐怖しているかのような、怯え、恐怖、憎悪、ともかく形容のし難い愕然とした表情を浮かべたまま、抱き合う煉弥と八重を凝視しつづけていた。


「ねえねえ凛先生~~! どうしたの~?」


 凛の異変に気付いた子供たちが凛の周囲に群がる。心配する子供たちが、凛の身体を揺さぶり始めた時――――、


「――――帰るぞッ!!!!」


 すさまじい一喝であった。そのあまりの声量に、何事かと祭囃子が中断し、雑踏を形成する人々は足を止め、周囲にいた子供たちは優しい凛先生の今まで見たこともないようなとてつもない迫力に、思わずわんわん泣き始めてしまうほどの一喝。


「お、おい――!!」


 引き留めようとする煉弥を無視し、背を向ける凛。その背中には、強烈な拒絶の色がハッキリと見て取れた。

 泣きじゃくる子供たちを、いささか強引に引率しながら去っていく凛。

 それを見送ることしかできない、煉弥と八重。

 止まっていた祭囃子と雑踏は、いつの間にやらまたざわざわと元のようにざわめきはじめていた。

 まるで、煉弥と凛、そして八重――この三人の関係のように。ざわざわと。ざわざわと。

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