第十六章 過去1-2






むき出しの電球が吊るしてある以外にはろくに明かりもない塞いだ廊下に阻まれて、鳥はあちこちに引っかかりながら不器用に飛んだ。

追って行くと、三階の一番奥の部屋へと迷い込んで行く。


茉莉花が妙な音を聞いたのはその時だ。


ガツ、ガツと、人為的な音が鳥の消えた先から響いた。

何事かと部屋の中をのぞいたころには、音はすっかり止んでいる。

変わったところと言ったら、暗い部屋の中に強烈な一筋の光が差しているくらいだった。


外側から窓に打ち付けられたベニヤが一部剥がれているらしく、夏の強い日差しが光の線を引いていた。


小鳥はポツンと、光の中にいて、その小さな影が光の帯に穴を空けている。

奇妙な音のことなどは、頭の中から消えていて、茉莉花は小さな鳥を捕まえようと、少しずつ、少しずつ、近づいて行った。

すんでのところで鳥は、茉莉花の手を逃れた。光の中に茉莉花だけが取り残された。

こんなに歩いたのは久しぶりで、明るいものを見たのも久しぶりだ。

板の隙間から外を覗こうと思ったのも、気まぐれ。


気まぐればかりが重なった日に、気まぐれな選択によって茉莉花は出会ったのだ。

ベニヤの隙間を覗いた茉莉花に向かって、突然、何かが襲いかかって来た。

それはスカートを履いた長い脚で、向こう側から突き出して、ひと蹴りでガラスと板を散らした。茉莉花の右の耳を掠めて通り過ぎる。


白い腿を滑る薄緑のスカート。

足は窓を破ると、そろそろと向こう側へと引っ込んだ。

尻餅しりもちをついた茉莉花は目を細めて窓枠を見上げた。



「どうしたの?」



「ん?初めて会った日のことを思い出してた」



その乱暴な女性が、今、隣に座るこの人。



『なに……してる?』


あのとき茉莉花は奇妙な侵入者に尋ねた。

人と口をきいたのは随分久しぶりだった。毎日顔を合わせる人間は複数名居たが、話をするようなことはなかった。

まさか人が居るとは思っていなかったのか、少女は驚いて叫び声を上げた。


『ご、ごめんなさい!まさかこんな廃墟に人がいるなんて思っていなくて、あ、人様のお家を廃墟だなんて、すみません!私、鳥を』



突然のことに気が動転したのか、少女は自分が今、立っている場所も考えずに頭を下げた。

ここは三階だ。

少女は片足を出窓の外の装飾に、もう片足を窓の側まで伸びた太い木の枝に置いていた。

ぐらりと傾いた少女の右腕をとっさに取り、茉莉花は少女を部屋の中へと引き入れた。

少女の持つ小さな鳥かごが、床にぶつかり、ガシャンと派手な音を立てた。

心臓が鳴る。

冷や汗が出る。

こんなにも嫌な鼓動でも、鼓動は鼓動だ。自分は生きている。少女も生きている。

生きているものは、死ぬものだ。



「あんた、死にたいのか!それにあんな乱暴に窓を蹴破けやぶって、そっちの鳥に当たったらどうする」



「わ、私がのぞいたときは小鳥はもっと部屋の奥の方にいたんです。お屋敷の中が暗かったから、何か獣でも住んでいたら、先生の小鳥が襲われてしまうかもと思って」



細い、癖のない髪を肩まで伸ばした少女はいかにも儚げで、口答えなどしそうになかったのに、話してみると印象が違った。



「先生?」



「うん。私の結核けっかく治療の先生」



結核けっかく……」



「あ、大丈夫だよ。すぐ帰るから安心して。感染うつらないよ。あの鳥を捕まえたら本当にすぐに帰る」



何を気にしているのか、見当違いなことを釈明する少女が酷く不快だった。

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