第十三章 転 1-2




          *





「あら、安河内やすこうちさんまだ居たの?」



「もう、亜美さんたら」



亜美のきつい冗談に、安河内は青い顔で力なく引きつった笑いを見せた。

旅館のみんなに迷惑をかけたくないと、安河内はあちこちで漏らしていたらしい。


彼を追う何かはあれから近づいたり、遠ざかったりを繰り返し、極楽浄土を出ていく勇気が今ひとつ出ない安河内の心をすり減らしていった。



「冗談よ、安河内さん。ちょっとからかっただけよ〜。本気で出て行って欲しいなんて思っちゃいないわ。ただ、あなた日を追うごとに辛気臭くなっていくからこっちも困っちゃうのよ。気晴らしに外にでも行ったら?ちょっとこもりすぎよ。このままだとカビが生えてキノコまで生えて来ちゃうかも。そんなのヤでしょう?」



亜美の言うことももっともだった。

最初はあんなに周囲を振り回す元気があった人なのに、ここ数日で随分ずいぶんやつれてしまった。



「大丈夫。苦味温泉郷の敷地内だったら、よっぽどのことがない限り霊は寄ってこれないわよ。長篠が湯の花の掃除に行くって言ってたから極楽山の源泉でも見に行ってくれば?マリカも行きたいって言ってたでしょう。一緒に行ってあげて」



「はい。安河内さん、そうしましょうよ」



「でも……」



霊験れいげんあらたかな温泉の湧出地ゆうちゅつちを見に行くんですから、ご利益りやくこそあれ、悪いことは起きませんよ。それにいい運動になりますよ」



自分でもこのセリフはちょっと胡散臭うさんくさいななどと思いながら、どうにかこうにかごねる安河内をなだめすかして、マリカは彼を外へと連れ出したのだった。



「一日の湧出量ゆうしゅつは5万キロリットルくらいです。日本一湯が沸く別府温泉と比較するとちょうど半分ほどですが、これでもまあ、日本国内では多い方なんだと思いますよ」



長篠ながしのぬき、安河内とマリカは掃除用具が複数入ったリュックを背負っていた。


ちょっとした登山に行くような出で立ちで、重なる枯葉を踏みしめ、山肌を蛇行するようにできた舗装もされていない道を、源泉目指して登る。


途中、湯の花掃除のボランティアをしてくれていると言う老人も加わった。

長篠が湧出地や、そこから湯を引いている仕組みについて解説してくれる。



「うちでは源泉から湯船まで湯を引くための『引湯菅いんとうかん』を地上に出しているんですよ。湧き出ている湯がかなり高温になるので、外気で冷えた管を通って山を下らせることで旅館にたどり着くまでにかなり湯の温度を下げられます。草津温泉のように湯もみをしないのはそのためです」



「普通はその、お湯を引くための管は地下に埋まってるってことですか?」



「はい。そう言うことになりますね」



「はい、長篠さん。湯は自然に湧き出してるんですか? 堀ったから出て来たとかじゃなくて? ポンプで組み上げたりしていないんですか」



意外なことに、顔色は相変わらずながらも安河内が手を上げて長篠に質問し始める。

ちょっと単純なくらい、外気を吸うことが効いているらしい。


亜美が言ったように、彼のような活動的な人間には外に出ることが一番の薬になるようだった。

マリカはほっと息をついた。



「ええ。歴史ある湯治場はだいたい自然湧出ゆうしゅつですね。源泉から直接引湯していますし、お湯は源泉掛け流し。苦味温泉の素敵なところがおわかりいただけましたか」



「すごいんですね。で、僕たちはこれから何をすればいいんでしょうか」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る