第十一章 鬼原 1-3
「ちっ、逃げ足の早い。でもまだ遠くへは行ってないはずよ。マリカ、追いかけるわよ」
亜美の声のお尻の方に重なって、奥の客室の方から
「は〜い!ああ、午後の仕事が無けりゃ、私も行くのに」
亜美がしぶしぶ客室の方へ足を向けながら、マリカを振り返って言った。
「いい?マリカ。アーチを
***
一人で旅館を出るのは初めてのことだった。
石畳を下れば良いだけなので迷うような道では全く無いのだが、とにかく心細い。
(変なの。ほんの少し前までは、一人で原宿の街を散歩してたのに)
良い大人なのに、まるで初めてお遣いに出された幼児にでもなった気分だ。
今、元の生活に戻れと言われたら、かつてのように心穏やかに過ごせるだろうか。
「……きっと無理だな」
昔の自分の心は、きっと凍っていたんだろう。厚い氷の上に草木が根を張らないように、何にも触れ合えずに何も感じずに。
だから、一人でも平気だった。
旅館で働くみんなの温かさを知ってしまったら、もうダメだった。まだ数分しか歩いていないのに、もう帰りたいなんて呆れる。
「はぁ。日記はどうするんだか」
「日記ってなんのことや?」
声に振り向くと、いつかの若い男が立っていた。
鬼原だ。
マリカの頭に白い名刺が浮かんだ。鬼原
あのときのスカウトマンだ。
鬼原は、重心を左右に振るような軽い足取りでやって来てマリカに向かってニヤリと笑った。
「久しぶり。元気やった?」
とっくに止まっている心臓なのに、嫌に跳ねた気がした。
どうしよう。
どうするべきだ。
助けてくれる人は周りにいない。
「やっぱ高い金出しても情報は買うもんやなあ。まさかのビンゴやん」
「……良く無い霊は入って来れないって」
「お嬢ちゃん俺のこと何やと思ってんねん!俺、生きた人間やで」
「じゃあ……じゃあ、なんで瞬間移動みたいなことができるんですか」
原宿で出会ったあの日、鬼原は常人にはありえない速さでマリカに迫って来た。
「普通はできひんけどな、俺はできんねん。見ててみぃ」
鬼原は急に大通りから脇道へとマリカを引き
「きゃっ」
裏路地で昼寝中の猫の真横に胡座をかくように座ろうとした鬼原が、尻を地面に着けた途端、二人に増えた。
わずかに透けている方の鬼原が立ち上がって言う。
「どうや、
透けている手を今度は実体化させて、鬼原は手の甲でマリカの頬に触れた。
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