第八章 夏野1-5








「湯の源泉の方のおはらいとか、お清めとか、松本城の隣の歴史民族資料館で考古学の手伝いなんかもしてるし、霊場協会の定例会や、苦味温泉の集まりや、恵まれない霊たちのための慈善活動みたいなこともしてるし」



「へ、へえ。なんだか忙しそう」



「アイツと何か話したいことある?もしかしたら今日は捕まるかもよ。見に行ってみる?」



「はい。できればお話したいことが。日記を返しに行きたいんです」



「日記って、前、話してくれた日記? そういえば何が書いてあるの?」



マリカは角のヨレた古い日記を開いて見せた。

青いインクの文字が並ぶ。










八月八日

療養所サナトリウムの人たちは、皆、気の良い人ばかりだ。

ここへは新しくやって来る人もいるけれど、もちろん、去る人もいる。

親しい誰かが旅立っても、悲しいが気落ちしすぎることはなく、ただ、静かに毎日を過ごしている。

次は自分の番かなと、きっと皆、いつも思っている。

けれど、顔には出さない。

暗くなってもしょうがないのだ。ここはそういう場所なのだから、せめて楽しく過ごしたい。

気候もいいし、風土もいい。

病はひねくれ者で、快方に向かったかと思えば裏切られてばかり。

もう、頭に来てしまう。

時々、どうしようもなく不安で寂しい。

けれど、私も顔には出さない。







八月十日

昨日は激しくせきが出た一日だった。

あの子に会いにいく約束をしていたのに、出かけることができなかった。

早く咳を止めて、会いに行って、謝ろう。

先生のほたるを見せてあげたい。








八月十四日

真っ暗な茉莉花まりかの部屋に蛍を放った。

(本当はもっとたくさん見せてあげたかった。次は自分の手で取りに行こう。きっとたくさん、捕まえてみせる)

茉莉花の笑う顔を初めて見た。

月明かりが頼りだったので、あんまりよくは見えなかったけれど。

それが少し、残念。

また明日、会いに行く。










「へえ。『サナトリウム』か。子供達の療養日記かしらね。……この日記の子も『茉莉花まりかちゃん』なのね」

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