第一章 原宿はスカウトの聖地です 1-4

母親は子供を抱えて走り去って行った。

黙ってその背を見送った少女は、差し出されたままの名刺に視線を移した。


受け取ることはできない。


だって、物理的に不可能なのだ。


「私……」


戸惑う少女の目の前で、名刺は空へと舞い上がった。

少女が最初に見たのは黒い袖口そでぐちと指の綺麗な手。そして黒いズボンと革の靴。


どうやら知らぬ間に自分の横に誰か立っていたらしい。

その誰かが、鬼原の差し出した名刺を下から跳ね上げたのだ。


顔を見ようと視線を上げると、視界はやや逆光だった。


(背の高い人……)


ひらひら落ちる名刺越しに、男の顔が見えた。

すっとした顎のラインが印象的だ。

真っ黒い、目尻がやや切れ長の瞳がこちらを見下ろしていた。

どこか作り物めいていて、俗っぽさのない、とても美しい人だった。

身体つきは細身なのだが男性的だ。


落下した名刺が不機嫌そうな青年の靴の下で、地面に擦り込まれ始めた。

白い紙に地面の凹凸おうとつが浮いた。


「ねえ、あの男の人」


「うん。……芸能人かな」


「顔小さい。足長い」


「こっちを向かないかな」


ざわめき始めた周囲に、青年は面倒くさそうに顔を顰めると、少女の腕を……掴んだ。


(え!!)


そのまま、歩道端のガードレールを楽々とまたぎ、路側帯に停車していた大きな車の後部座席のドアを開き、遠心力を利用するような勢いで少女を車中に投げ入れた。

少女はというと、まさか『つかまれる』なんてことが自分の身に起こるとは思いもよらず、ガードレールをすり抜けて、車のドアの一部もすり抜けて、どう言うわけか車自体はすり抜けずに、背中からシートに着地した。


体制を立て直そうとシートに手をつくと、右腕にきつく何かが絡まっている。

目の高さまで掲げてよく見ると、その何かは陽に透けてキラリと煌めいた。まるで蜘蛛の糸のようだ。

糸がピンッと引っ張られた気がして先を辿ると、運転席に座った先ほどの青年がキーを回してエンジンをかけるところだった。


「え、……え?!」


糸は千切ろうとしてもビクともしない。

少女の頭には、後方へ流れ始めた景色と一緒に「誘拐」の二文字が過ぎった。

けれど、すぐに思い直す。だって、さらったところで、


・享年15歳

・大正生まれ

・誰とも視線が合わず、体の中を子供達が走り抜けて行く


そんな自分には身の代金をふっかける相手などいないのだ。

そしてようやく気づいたのが、車内にはもう一人、青年の同乗者が居た。

変な角度で押し込まれた少女の背中を支えるようにして、優しげな、好青年然とした和装の男性が微笑んでいる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る