15 異質な四人目
――ガルトナルグ。それはマザーヒルズの西の端にある街の名。
そこそこの規模を持ち、隣国グランウォルグからもっとも近い位置にある。ゆえにグランウォルグの情報は、この町からマザーヒルズ中央部に走ることになる。それを分かっているから、マザーヒルズはもちろん、グランウォルグからも重要視されている都市だ。
「ガルトナルグから王宮まで走る郵便はもちろんすでに幾つかあるんだが」
オルヴァはまるで世間話でもするかのような声で語った。内容は国家の重要機密なのだが。
「今回は新規に増やす。そのためにアティスティポラの協力も要請してる――まあ要するに、バルナバーシュの御大があの土地に興味を持ち始めたのはこのせいなわけだ」
だが、かの大商人はシグリィたちに依頼をするとき、このことをおくびにも出さなかった。同席していたオルヴァにも無反応で通したのはさすがと言おうか。
「経済的な援助ですか?」
「それだけじゃない。今回の郵便に、魔方陣を使う予定でいる」
「それはまた……」
カミルが眉をひそめるような顔をした。“無茶なことを”という声が聞こえるようだ。
切羽詰まってるんだよ正直、とオルヴァは肩をすくめた。
そこで一度話を切り、息をつく。
その呼吸に含まれたものを敏感にかぎ取ったのか、カミルは抑えた口調で訊いた。
「……まさか、戦を仕掛けるとでも?」
「いや。その逆だ」
「逆――」
冷静だったカミルの目が今度こそ見開かれる。
そんな馬鹿な、と彼にしては珍しい、動揺の見える言葉が漏れ出た。
オルヴァは首を振り、疲れた声で言った。
「嘘じゃない。すでにうちの王宮にいくつも情報が上がってきている。
ただし――
「すぐにではないんだ。計画自体はずっと前からあったし、着々と進んでいたらしいんだが――今になって、停滞している」
「何故です?」
「何でもアリューズナーの次男が駄々をこねたとかなんとか」
ぴくり、とカミルは反応した。視線が動き、淡々としていた表情に真剣みがました。
「――ラシェルト・アリューズナー公……ですか」
「ああ。知ってるのか?」
「私はグランウォルグの出身なので」
少し目を伏せながらそう答える。
実際、カミルはどこからどうみても西部出身然としている。何も驚くことはないのだが、ひとつだけ不思議なのは彼の
しかしまあ、彼は旅人なのだから、色々事情があるのだろう。オルヴァとしてはそこを問い詰める気もない。
今はそれよりも。
(ラシェルト・アリューズナー……か)
グランウォルグの名門アリューズナー家の次男。普段は「ラシィ」と呼ばれている。若くして高名な学者であり、当然のことながら王に仕える騎士でもある。
そう言えばつい最近、彼の名を聞いたばかりだ。グィネの関所でユードと再会したとき、ユードはその
(――そうだった。ユード)
オルヴァはふと思い出した。
あの吟遊詩人と後で合流しようと約束したというのに、肝心の自分がこんなことになってしまった。ユードは後を追ってくれているはずだが……もしシグリィたちが元の場所にいるのなら、今ごろ顔を合わせているだろうか?
オルヴァがいない状態で、会話がかみ合うだろうか。あの吟遊詩人は人が集まってきてくれなくては商売にならない詩人なわりに、初対面の人間にさほど愛想がよくないのだが――
(早く元の場所に戻らねえと――っても、夜の内は行動のしようがないが……)
夜の内にできることを色々考えてみても、見知らぬ森の中ではどうにも不利だ。今は諦めるしかない。
どうかユードが無意味にシグリィたちと争っていないことを願う。
オルヴァは深くため息をついた。
「それで、ラシェルト公……アリューズナーの次男坊は、どう駄々をこねているんですか」
ふとカミルが話の続きを持ち出す。
「あー……何でも『戦争なんてやりたくなーい』と言ったらしいぞ」
「………………」
「いや、本当にな? グランウォルグの宮廷で語りぐさらしい」
「でしょうね」
仮にも王に仕える者でありながら、宮廷の命を「やりたくなーい」の一言で蹴るとは凄まじい度胸だ。
もっとも、ラシェルト・アリューズナーにはそれだけの力があった。アリューズナー家はそれ自体が相当の発言権を持つ家柄であるし、彼は学者として成功してもいる。
何より彼は現在、グランウォルグの王国郵便総裁である。
グランウォルグは絶対王政だが、近年王族の力が減じていると言われている。そのため実権は事実上重臣たちにあり、かといって重臣の中で飛び抜けた権力者もいないため、『それぞれの分野で』彼らは力を誇示する。そうして、お互いに権力を誇示し合う。
郵便総裁たるラシェルト公も同様だった。名目上は王の郵便組織だが、実権は完全に総裁のものなのだ。
彼の胸ひとつで、国内の郵便が止まる。
もちろん、国外の情報を載せた郵便であっても――
そんなことをすれば国がどれほど混乱するか。普通の人間なら想像がつくからその権利を行使したりはしない。
だというのに、『やりかねない』のが件の次男坊だと言われている。
総裁権ですか、とカミルはぼやくような声音で呟いた。
「無理ですよ。じきにラシェルト公は総裁を降ろされます」
「そうか? そんな噂は今のところないようだが」
「兄がそうするでしょう。あそこの長兄は、国に逆らうことを決して許さないはずです」
「ああ――」
うなずく。その点では、たしかにカミルの言う通りだ。
アリューズナーの長兄は現在、軍部の長を務めている――軍事大国グランウォルグの、事実上の要である。
謹厳実直で自分に厳しく他人にも厳しく、全ては国のため王のためと考えている人物だと聞く。弟の奔放すぎるわがままを、決して許すはずがない。
その割には――、思わず呟く。
「実際、戦の計画は止まったようなんだがなあ、ラシェルト公の言動で」
「……おそらくそれはただのきっかけだと思いますよ」
カミルは言葉に迷うように、視線をさまよわせる。「元々乗り気ではなかった人物が、渡りに船で行動をとめたのではないですか。それが誰だかは分かりませんが……複数かもしれませんし」
「なるほど」
オルヴァは、マザーヒルズの宮廷で確認した現時点での情報を頭の中でじっくりと吟味する。
話では、ラシェルト公を説得するのに手間取っているとのことだった。念のため注意深く調べても、計画が進行している様子はない。これ幸いとその間にこちらは防御を固めておくつもりだった――クルッカの跡地に郵便を通し、人を即座に転移させられる魔方陣を利用することは、数多ある防御のうちのひとつだ。
情報をさらに早く、かつ内密に王宮に運ぶために。
と言っても魔方陣は高くつく。カミルが「無茶なことを」という顔をしたのも当然だった。
その辺りのことを、最近王宮とアティスティポラとの間で密に相談し合っているのだが――
それにしても。
オルヴァは目の前の青年を凝視した。「詳しいな? アリューズナーの事情に」
「これくらいグランウォルグの者なら軽く予想をつけられます」
「そうかもしれんが、お前さん、確信して言ってるだろう?」
確かにアリューズナーの兄弟は、グランウォルグでは有名らしい。だがカミルはここ数年は旅をしていて国にいなかったはずだ。
オルヴァの探る視線を受けて、カミルは肩をすくめた。その口元が、ほんの少しだけ、困ったように笑った。
「――昔の話です」
夜が深まり、森は特有の静けさに沈む。
耳を澄ませると、ほう、ほうとどこかでミミズクの声がしていた。
不思議な村ですね、とカミルが独り言のように呟いた。
「不思議?」
「言葉にはできませんが……雰囲気と言うか。肌に触れるものが普通の森の中と違います」
言って、落ち着かない様子で腕をさする。「ああ」とオルヴァも嘆息気味にうなずいた。
この森で目覚めたばかりのときは、何の変哲もない森だと感じた。しかしこの村に着き、時間が過ぎるにつれて、何か徐々にせり出すような感覚がある。自分が不安定な足場の上にいるかのように落ち着かない。
(……一晩過ごすだけなのに、妙に不安になる場所だ)
「こういうとき、お前さんの主人ならどうするだろうな」
何気なくそう問う。
カミルは視線で家の壁を撫でていた。この家には窓がないが、彼の視線は壁の木材を透かして外を見ようとしているかのようだ。
「そうですね――危機感を覚えるよりも、面白がるかもしれませんね」
「面白がる」
「セレンと二人で活き活きと活動すると思います」
「で、お前さんも付き合わされるわけか?」
「まさか。自分からついて行くんです」
即答。オルヴァは思わず微笑を浮かべる。
彼らとは本当にささやかな付き合いしかないが、それでも非常に仲がよいのは分かる。その間に結ばれている信頼関係も――正直なところ、どんな経験をすればここまで深く信頼し合えるのか、オルヴァには想像もつかないほどに。
(いや。たった今、俺もこいつらを信用したっけな)
国の機密事項を漏らした。今のところそのことに後悔もない。たぶん彼らはオルヴァの信頼を裏切らないと、勝手に信じている――信じられる。
それが彼ら三人の持つ“雰囲気”だ。
――そう、三人の。
(四人目……あのお嬢ちゃんだけ、異質だな)
少し目を伏せて、脳裏に最後の一人の姿を思い描く。十六歳だと聞いた、頼りなげな美しい少女。箱入り娘の印象に男性口調が妙にちぐはぐな彼女。
引っ込み思案そうでありながら、危急の際にはまっさきに飛び出して大けがをしそうな、そんな危うさがある。
(人として信用できない、とは言わないが)
例えば約束や誓いならば、むしろ一途なまでに守ってくれそうだ。
けれど。
逆に頑ななまでにそれを守ろうとして火傷をする――そんな雰囲気を醸し出している人物相手に、本気の約束などできるだろうか?
急に、なぜ彼女がシグリィ一行に加わったのかが気になった。オルヴァは伏せていた目を上げて、カミルに向かい口を開こうとした。
「なあ、あの
だが、最後まで言葉にすることはできなかった。
声が尻すぼみになり、やがて消える。
上げたはずの視線がぼやけ、ちょうどこちらを向いたカミルの顔がよく見えなくなる。瞼が重い。頭が、ふらりとふらつく。
何だこれは? ――考えようとした事柄がぐにゃぐにゃと曲がり、代わりに脈絡もないことが頭を巡る。バルナバーシュを襲った猿型“迷い子”の姿。あのキンキン声の夫人――国の王。シレジアの王族との軋轢。ユードのこと――クルッカの森。森に住む人々、――ゼンとルナ。
そうだ。ゼンとルナはどこへ行った?
ほんの小さな村を巡回しに行っただけのはずなのに――?
ようやくそこまで到達した思考が、外からぬっと現れた手に掴まれ、真っ暗闇の淵まで引きずり落とされる。
必死に持ち上げようとする瞼の隙間から、カミルがこちらに向かって手を伸ばしているのが見えた。
「オルヴァさん、――」
術をかけられた。
そう気づいたときにはもう遅かった。瞼は鉛となってオルヴァの視界を閉ざし、彼はゆっくりとその場に崩れ落ちた。
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