36 強情者の背中
遠く、南の方角で、にわかに空模様が怪しくなった。
(強大な朱雀の術者の気配……それに、かすかに玄武の力も? あれはシグリィ様のものじゃないわ)
それがあの洞穴の方角なのは明らかだ。セレンは眉間に力をこめて南を見やる。
(新しい敵が来た……? それとも、
「よそ見をしている場合じゃないぞ……っ!」
ダッドレイの荒々しい声が飛び、同時に数個目の球体が放り投げられる。
それは丁度セレンを襲おうとしていた黒鳥の翼をかすめて地面に落ちた。
セレンは首尾よく顔を背けながら、ダッドレイに言い返す。
「だからね、レイくーん! 私のことは助けようとしなくていいってば。自分のことだけ護っててくれればー!」
「うるさい、よそ見するやつの言うことなんか信用できるか!」
「そんなに全部やろうとしてたらすぐに道具なくなっちゃうわよ?」
「だったらあんたこそ真面目に戦え!」
二人は絶えず乾いた草地を走り回っていた。六羽の黒鳥は彼らだけをターゲットに定めたらしい、勝手にどこかへ飛んでいこうとはしない。
これ幸いと、セレンは徐々に立ち位置を村から離れた方向へと移動させていた。時々放つ魔術は風を
ダッドレイには何も合図をしていなかったが、彼はどうやらセレンの意図を呑み込んだらしい。到底要領がいい動きではないものの、たしかに海の方角へ向かっている。
本当に、自分だけ護ってくれれば十分なのに、とセレンは心から思う。先ほども、避ける自信なら十分にあったのだ。だてに長く旅人をやってはいない。
とは、言っても。
(面白い子ね、本当に)
がむしゃらに〝迷い子〟対策道具を投げているように見えて、狙いは実に正しい。腕の力が足りずに届かなかったり、鳥の動きを捉えきれずにタイミングがずれたり、しかも意外とどん臭いのか転びかけることが頻繁にあったりもしているが、ダッドレイのやりたいことははっきりセレンに伝わっている。
――守りに入っている。
むやみに攻撃しているのではない。全ては敵の意識を逸らすため、そして
となれば海の方角へ向かっているのも、案外セレンに合わせてしていることではないのかもしれない。
海が近づくにつれて、地面の感触が変わり始めた。
見える植物の種類も変化する。そして、ところどころに石や岩が突き出るようになる。
やがて彼らは、巨大な岩が乱立する場所までやってきた。セレンもダッドレイも身を隠すのに十分な大きさの岩石ばかりだ。
道具を投げつけるのをやめて、ダッドレイがひとつの岩の陰に入る。
下手な魔術よりよほどダッドレイの持つアイテムの効果の方が苦手であるらしい、〝迷い子〟たちはすぐさまセレンに狙いを定めてくる。
セレンは岩山の間を縫うように走り回った。
彼女の動きにつられて、六羽の
「鋭き風よ!」
真空波を放ちざま、ひとつの岩陰に滑り込む。
そこにはダッドレイがいた。セレンは彼の隣につき、囁いた。
「ねえ。どうしてここに来たの? 私がいなかったら一人でも戦うつもりだったの?」
「………」
「と言うか、私たちがいることを予想していたんでしょう? 私の姿を見ても全然反応しなかったし」
いるだろうとは思ったさ、と青年は吐き捨てるように言った。
「今〝迷い子〟が戻ってきたら、あんたらはむしろ好んで戦いに来るんだろう。〝迷い子〟のことをあれだけ気にしていたんだ」
「まあそうね。そもそも月闇の扉が開いて〝迷い子〟が増えてるかもしれないから、この島に来たんだし――っと!」
鳥の一羽が頭上を大きく回って、彼らの前方へと姿を現した。
セレンはすかさず杖を突き出し、炎の渦を放った。
蛇のようにうねりながら、赤々と燃える渦が一直線に鳥に向かう。体勢を整えたばかりだった黒鳥はまともに赤光の中に呑み込まれた。
しかし燃え尽きない。一度は力を失って墜ちそうになりながらも、すぐに復活して上空に戻っていくことの繰り返しだ。
「場所を変える――」
ダッドレイがさっさと別の岩山へと移動しようとする。
それを、セレンは制した。
「待ちなさい」
「なんだ。あんたの命令は聞かない」
「待ちなさいって言ってるのよ、
ダッドレイが凍りつく。
「……血の匂い。動きの不自然さ。この距離までくればさすがに分かるわよ。いつ怪我をしたの?」
「―――」
「少なくとも私の前に現れてからは、転ぶ程度はあっても大きな怪我はなかったわよね。元から怪我をしていた? 傷口が開いたんじゃない?」
「――あんたには関係な、」
「いいから答えなさい!」
びくう、と青年は肩を引きつらせた。
セレンはさらに一歩近づいた。いつになく、厳しい表情で。
「世の中には見過ごせることと見過ごせないことがあるのよ! 見栄も強情も結構、それがかっこよかろうがかっこ悪かろうが、貫き通せば立派な道だわ。そうは言ってもこのまま私が知らぬふりして放っておいたあげく、致命傷になった日にはあなたの強情はただただ周りに迷惑かけただけになるのよ、それでもいいなんて言えないでしょう!?」
早口にまくし立ててから、「――
ひるがえした杖の先端で狙った先に、空中爆発を起こさせる。
詠唱の短縮が続いていた。魔術具である杖のおかげで大分制御されているものの、一歩間違えば力を暴走させてしまう。自分ひとりならそれぐらいのリスクは構いもしないが、一般人がこの場にいるとなれば別だ。
「あなたは足手まといなのよ」
セレンはきっぱりと言った。
「でも、私はあなたをここから追い出したいとは思っていないわ。むしろ来てくれて嬉しかった。戦力的に邪魔だろうがなんだろうが、助けようとしてくれる人がいるのは、私は嬉しい」
「――別に、あんたを助けたわけじゃ」
「嘘だわ。村を護ることが第一だったとしてもね」
ダッドレイは苦々しい顔で目を逸らした。
……例えばそれが、村を護るためにセレンたちの力が必要だからだったとしても。
あるいは、単に目の前で人が死ぬのを見るのが嫌なだけだったとしても。
理由などどうでもいいことだ。セレンにとって重要なのは、ダッドレイが実際にこの戦いに飛び込んできてくれたという事実だけ。
分別ある者なら愚行と蔑む、そんな行為だったとしても。
黒鳥が三方向から突っ込んでくる。セレンはダッドレイを抱き込み、無理やり横に飛んだ。彼女たちが隠れていた岩山をみっつの
それを視界の端で見ながら二人は地面を転がった。
手足に
「切り裂け、鳳凰の爪!」
今まさに彼女たちを狙おうとしていた残りの三羽を、目に見えぬ爪が裂き払った。
黒い羽根がいくつも舞った。ひらひらと緩慢に落ちる羽根は、こんな場合でなければうっとり見惚れていたい優雅さだ。
セレンは体を起こした。
無事なのは彼女だけだった。抱きかかえたままだった青年が、立ち上がろうとしない。
「レイ君! しっかりして!」
「う……」
苦しげな呻き声が漏れる。眼鏡はどこかに飛んで行ってしまっていた。その手が、体の一部分を押さえている。今の動きで今度こそ傷口が開いたのか、みるみる血が滲みだした――
右の太ももだった。
(足を怪我したままあれだけ走ってたの……? 全っ然そうは見えなかったんだけど!)
確かによく転びそうになってはいたが。本当に呆れた強情者だ。
セレンは口元だけで苦笑する。
「ごめんねレイ君、今のは私が悪かったわ」
「う……る、さ……い。大した……けが、じゃ……な、い」
ここまで来ても口が減らない。セレンは立ち上がり、ざくっと杖の足先を地面に突き刺した。
苦悶しながらも、ダッドレイはいまだその気迫を無くしていない。薄目で睨むようにセレンを見上げている。眼鏡を無くしているから、多分セレンの顔が見えてはいないのだろうが。
セレンは、会心の笑みを浮かべていた。
「いいわ、その強情に私も乗ってあげる」
「―――」
「レイ君」
すう、とひとつ息を吸う。「――立ち上がって、今すぐ村に戻りなさい」
「な、ん」
「いいから。私が突破口を開くから、ひとりで村へ戻るのよ。そこから先、あなたと村のみんながどうするかは任せるわ。できれば――」
ふ、と南の方角を見やり、「……私たちが戦わなきゃならない相手は相当強そうだから、村を護ることを最優先に考えてほしいわね。私たちのことは私たちでどうにかするから。もちろん、ラナーニャのことも」
「―――」
ダッドレイの呼吸が、緊張したように途切れた。
セレンは辺りを見渡し、近くに転がっていた眼鏡と道具袋を拾い上げる。砂を払い、ダッドレイに差し出しながら。
「あなたたちが村を、自分たちの身を、最大限護っていてくれることが――それで私たちを何の心配もなく戦わせてくれることが、今あなたたちのできる最善のことよ。それは理解できるでしょう?」
「………」
「分かったら、行って。あなたのその足で行くのよ。突破口を開く以外に私は何もしない。そして――そこから先、この場所のことは任せて」
そのとき、ダッドレイの灰色の瞳がわずかに見開いたのは――
おそらく、不明瞭な視界でも
それは六羽の鳥たちが
しばしの間、それを見つめていたダッドレイは、
やがて――体に力を込めた。
足にかなりの怪我を負っている。それでも、気迫を下半身に溜め込み、背筋を強情という名の心で天に引っ張り上げて。
青年は立ち上がった。
受け取った眼鏡をかけ直し、灰色の瞳でセレンを見据えて。
「――あんた、本当にこいつらを倒せるのか」
「問題ないわ。もう前哨戦は終わりよ」
「俺に情けをかけるための偽りではないんだな?」
「もちろん」
腰に手を当てて、セレンは微笑む。「だってここで嘘をついたりしたら、あなた一生私たち≪印≫持ちを悪く言い続けるでしょ。そんなことさせないわ」
「……ふん」
ダッドレイの表情が、初めてほんの少し和らいだ、気がした。きっと目の錯覚と思っておいた方がいいのだろうけれど。
「だったら、さっさと開いてもらおうか。突破口とやらを」
口調とは裏腹に、わずかに震えている右足。セレンは見ないふりをした。
その怪我をどこで負ったの、とも、聞かないことにした。
代わりに――すっと手を離した。地面に突き立ったままの杖から。
「鳳凰の爪よ!」
空になった手で、大きく空を薙いだ。手が撫でた場所から不可視の刃が生まれ、空で往生していた鳥たちの立ち位置を乱す――
ダッドレイは走るために姿勢を低くした。
一瞬――ほんの一瞬だけ、その横顔が逡巡の色を浮かべた。
唇が何かを言いたそうに、ほんの少し、動く。
けれど結局彼は何も言わなかった。迷いを振り切るように地を蹴り、走り出す。
鳥たちの下を抜けようとする青年を狙って一羽が滑空する。セレンはすかさず、生み出した風を叩き付けた。
周囲の空気ごと、動く。乱れる。〝迷い子〟のまとう力を、セレンの力が圧倒して場の支配権を奪い取る。
やがてダッドレイの姿が黒い点となって、消えた。
鳥たちがその姿を追うことはなかった。この場から離れていくだけの、大した力を持ち合わせていない存在はどうでもよくなったのか。
あるいは、度重なる〝迷い子〟対策道具に
つまるところ――連中はやっぱり獣なのだ。
(洞穴の方角に大きな〝気〟。そっちに、この鳥たちを操ってる側の誰かが現れたと思っていい……)
そして、今目の前にいる六羽の中に、突出した力の存在はいない。
操り人形六体。しかし一体一体が、セレンの力にびくともしないほどの抵抗力を持っている。
セレンは足を軽く開いた。
両手を下ろし、すうと胸に新しい空気を入れる。
ここは海が間近。特有の香りがほのかに体の中を行き渡る。
同時に、彼女がまとう力が優雅に揺らめいた。
力にさらされ、近くの岩山にぴしりと薄いひびが入る。
「――ひっさびさに、杖なしでやったげるわ」
鳥たちが意を決したように、ことさら大きく翼をはためかせた。
巨大な鳥が六羽。一様に漆黒の翼を広げれば、それだけでセレンの視界を覆い尽くせそうな迫力がある。
闇色の翼。一点の曖昧さもない、混沌の色。
……炎と風の魔術はほとんど通用しない。何度も術を放った手応えで、セレンはひとつの結論に至っていた。通用しないのはセレンの魔力量が劣るからというより、相性が悪いのだ。おそらくはあの鳥たちの主人も炎や風の使い手なのだろう――
ならば。
「久々すぎて加減できそうにないわね。存分に味わいなさい……っ!」
三羽の鳥が
それを背後に、残りの三羽がその体を凶器に変えて、セレンの体を串刺しにせんと突っ込んでくる。
海の色の碧眼がきらめいた。口元に広がるのは鮮やかな笑み。流れるような動作で両手を持ち上げ、彼女は。
思考の半分に幻を編み上げる。求める力を、現実に叩き込むための力を。
「果てより目覚めよ、凍れる大地の女王!」
その一瞬、場は眩しいほどに青く光り輝いた。
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