26 明かされた秘密
その夜、丘の家はにわかにせわしなくなった。
セレンの肩を借り、ラナーニャの不安そうな視線を受けながら戻ったシグリィ。彼の姿を見たマーサはさすがに青ざめたものの、すぐにハヤナに一階の部屋を空けさせた。そこへ今度はカミルに半ば運ばれるように移動し、ベッドに横になる。
チェッタが慌てて清潔な布をかき集めてくる。マーサはお湯を沸かしに行った。
寝ているところを叩き起こされたジオには、来客等があったときのために居間に待機してもらっている。
シグリィたちの習慣で言えば、いつも怪我の手当をするのはカミルの役割だ。
だが今日は彼が動くよりも前に、
「薬草……血止めの薬草を……! それから消毒と、化膿止めと……っ」
シグリィの傍から離れようとしない少女が一人。
「ラナーニャ」
シグリィは彼女を呼んだ。「君も怪我の手当を」
「いい。私はかすり傷だ――あ、ありがとうマーサ、チェッタも」
お湯をたらい一杯に抱えてきた村長に礼を言い、一足先に別室で着替えてきた少女は腕まくりをした。
マーサたち姉弟も、そしてカミルも、シグリィが彼女の名を呼んだことに驚いたようだ。一足先にそれに気づいていたはずのセレンは何も言わなかったが、内心興味を持っていただろう。
だが、説明できる状況ではない。
ラナーニャの手際は見事なものだった。
チェッタが呆気にとられて、迷いのない彼女の動きを見つめている。
少し遅れて、薬草や道具一式を持ってきたハヤナが飛びこんできた。
ラナーニャはそちらにも丁寧に礼を言い、すぐさま調合を始めようとした。さすがに道具の使い方全てまで把握していたわけではないらしい、途中からマーサの手を借りながらの作業となる。
一通りシグリィの手当を終えた後、ようやくラナーニャ自身の傷を確認する。
心配するマーサに、元から怪我の多い少女は微笑んで最低限の処置をした。これもやはり、慣れた手つきだ。
「な、なんだよおまえ。トクイなことあるんじゃんか」
チェッタがうろたえた声でそう言った。
ラナーニャはふと顔を上げて、またたいた。
「得意……? いや、得意とかじゃなくて」
「だってトクイそうにしか見えねーよっ」
「――深く考えていなくて――」
答えようとしていたラナーニャの言葉が途切れる。ベッド脇の椅子に座った少女は、そのまま考え込んでしまったようだ。
「大丈夫ですか、シグリィ様」
カミルがベッドを覗き込んでくる。ああ、とシグリィは片手を振った。
「問題ない。この分なら悪化させずに済むだろう――ありがとう、ラナーニャ」
「あ、いや」
パッと顔を上げた彼女は慌ててふるふると首を振った。「とんでもない」という意思表示のようだ。
シグリィは微笑んだ。
そして、視線をラナーニャから、その斜め後ろにいるマーサに移した。
「私たちがいない間、何もありませんでしたか?」
問いに、三姉弟が顔を見合わせた。
「……特別何もなかったと思います」
マーサはうなずく。
そうか、とシグリィは安堵のため息をついた。カミルが眉間に力を込め、「何があったのですか」と訊いてくる。
「〝迷い子〟だ。ある程度統率のとれた、黒い鳥の群れ。私たちの近くに転移術で運ばれたようだし、おそらく命令者がいる……信じられない話だが」
「
「……ラナーニャを狙っているように、見えた。だが確定ではないな。少なくとも私のことは眼中になかったようだ。場合によっては島の人たちも狙われるかもしれない」
その言葉の意味を、誰もが即座に呑みこんだ。
「それは……すぐ皆に報せるべきですね」
マーサが頬に手を当て、考えるしぐさをする。「避難場所の点検もしておかなくてはいけないわ。ハヤナ、この間見に行ってくれたわね?」
と姉が顔を向けた相手。
部屋の全員の視線がハヤナに集まった。
「どーなんだよハヤナ」
横にいた弟が、二人目の姉の横腹を肘でつっついた。
ハヤナはなかなか反応しなかった。
シグリィは目を細めて、彼からは遠い、戸口前にいたハヤナを見た。
若草色の髪の娘はこの場の誰よりも顔色が悪かった。怪我人であるシグリィよりも――
「ハヤナ! おい!」
とうとうチェッタが姉の腕を掴んで揺らした。
はっと我に返った痩せた娘は、「あ、うん」と慌てて首を縦に振った。
「見た。いつも確かめてるし、三日前にもちゃんと見た。今すぐでも使えるよ。でも――さ」
「なんだよ?」
弟が不審そうに眉をひそめる。
ハヤナはぐっと奥歯を噛みしめたようだ。
「……本当にその、鳥――だっけ。≪印≫なしを狙ってる……の? それ以外の可能性は?」
「それ以外というなら、ラナーニャ単独を狙ってるとしか言いようがない」
シグリィは即答した。
ハヤナは慌てて「そ、それ以外に!」と語気を強くした。
ラナーニャが不安そうにハヤナを見る。会話の向かう先はラナーニャにとって嬉しくないものだったに違いないが、それよりもハヤナの言動のほうが気になるのだろう。
マーサがハヤナの前に進み出た。
じっくりと妹の顔を見つめて、静かに口を開く。
「なぜそんなことを言うの?」
「―――」
「話しなさい、ハヤナ」
低いトーンに、有無を言わせぬ響き。
〝長〟を任された娘の、確かな迫力が部屋に満ち、他の者の言葉を封じる。
妹はくしゃりと表情を歪めた。
泣きそうに目の縁が赤く染まった。横を見れば弟が、むっつりした顔でハヤナを見上げている。
前を見れば、姉は静かで鋭い光を宿したまま、妹を見つめている。
――改めて思うまでもなく、以前からハヤナの言動には不審なところがあった。シグリィにさえ分かることだ、マーサも気づいていたのだろう。
そしてハヤナが自分から言わない以上、それはハヤナにとって痛みを伴う告白なのに違いなく――絶対に言うものかと、頑固な妹は決意していたに違いない。
だが、それでも。
マーサは怒っているわけではなかった。
だからこそ、妹の重い決心は揺らぐ他なかった。
――ハヤナはやがて、その場に膝をついた。
「ごめんなさい……」
蒼白の顔を両手にうずめる。
マーサは同じように膝をつき、妹の肩に優しく手を置いた。
「謝るのは今度でいいわ。今は最善を尽くしましょう?」
「……鳥に会ったんだ」
か細い声で、妹は隠していた部分を開いていく。
それは二日前に出会った、一羽の黒い鳥のこと――
「夜に見回りをしていたときに会った。ぼくはロイックと一緒だった――でも、そいつはぼくだけを狙っていた。ううん、ぼくじゃない。狙っていたのは多分、――」
必死で攻撃を避けた。足がもつれて転んだ。
そのとき、服の中から落としてしまったものがある。ころころと地面を転がっていったのは丸い丸い石。
「あの石――その、その子を見つけたときに、一緒に落ちていた石、それが」
ハヤナは青い顔をのろのろと上げた。
そして、シグリィのベッドの横の少女を見た。
「キミの……石だと、思う。
「私の……?」
椅子に座ったままのラナーニャが、呆然とした声を上げた。「青い……石?」
ハヤナは視線を床に落として、こくんとうなずいた。
「ぼくが持ってたんだ。とても綺麗な石。……ぼくの服から落ちたとき、鳥はそれを嘴にくわえてどこかに飛んで行った。それ以上はぼくもロイックも攻撃されなかった。だから」
「≪印≫のあるなしで狙っているわけじゃない。なるほど」
シグリィは言葉を引き継いだ。「タイミングを考えれば、それが私たちの出会った群れと別口とは考えにくい。ということは、やっぱりあれの狙いはラナーニャと、その周辺だと思うしかないな」
石に覚えはあるか? と少年はラナーニャに尋ねる。
少女は首を振った。
「知らない。でも、
「それってシレジアの石じゃない?」
セレンがあごに指先を当てながら口を挟む。「シレジアの特産品だわ。ブルーパール……青い石なら他の国にもあるけど、丸いってなると」
「ブルーパール……」
「断定はできない。だが可能性はとても高いな」
ため息と共に、シグリィは言った。「あれはシレジアでは貴重な魔術具なんだ。とても魔力の影響を受けやすい。それそのものが特異な気配をまとっていて、ある種の目印になる。さらに身に着けていると、人間にも影響を与えるから――」
その石がシレジアのブルーパールならば。
天井に視線を這わせながら紡ぐ言葉。どことなく歯切れが悪くなっているのを、彼自身自覚していた。
「だとしたらあの鳥が目印にしていたのは、その石の気配なんだろう。ラナーニャのためにあった道具なら、彼女の身体に何がしかの気配が残る……。ハヤナも多少その石の影響を受けていたんだろうが、石と相性がよくなかったんだ。今回は幸いだった」
――なぜ、ハヤナがその石を隠し持っていたのか。それを追究する者はその場にはいない。
だが当の本人は青ざめたまま、顔を上げられなくなっていた。
何かを言いたそうにしているのに、唇が動くことはない。それはなぜだったのだろうか。
「ハヤナ。言ってくれてよかったわ」
マーサは妹を柔らかく抱きしめた。
「マーサ……ぼくは」
「私たちはこの島のみんなと、あの子を守るの。手伝えるわね、ハヤナ」
妹の顔を覗き込む。
その横から、チェッタがじっと姉たちを見つめている。
言葉よりも雄弁な沈黙が流れた。
顔を上げたハヤナは、姉と視線を合わせた。
そして――うなずいた。
「避難壕の様子、今からすぐに見に行くよ。それとももう移動する? マーサ」
「もう深夜よ、今日はいいわ。明日の朝一番に。皆に知らせるのも朝になってからのほうがいいでしょう。その間に私たちは食料と薬草を運ぶ準備を」
「ま、待って……!」
ラナーニャが椅子から立ち上がった。勢い余ってよろめきそうになりながら、その場にいる全員を見回して、
「――私が! 私がこの島から出ていけばいいだけの話だろう? 狙いが私なら、私から離れればみんな安全で……!」
「あなたを助けたのは私たちです。今更見捨てるだなんてできないわ」
マーサのきっぱりとした言葉が、ラナーニャの声を遮った。
妹から手を離して立ち上がり、村の長はラナーニャに歩み寄る。
「第一、この島から出ていく方法が今はありません。ジオの舟で行くというなら、どのみちジオを巻き込むということです。それでもいいの?」
「――なら村からできるだけ離れた場所に」
「たしかにそれで村の者はある程度安全でしょう。でも私たちが攻撃されないということの保証にはならない。今は本当にあなただけを狙っていても、時間が経てばあちらの考えが変わる可能性がある。思考能力のある、命令者がいるなら」
「………」
「島の者を案じてくれてありがとう」
ラナーニャをもう一度椅子に座らせながら、マーサは穏やかに微笑んだ。
その優しげな仕種に動揺は見えない。隠すすべを心得ているのか、それとも真に揺らがないのか、シグリィには分からない。
ただ、知り合って以降マーサは常にあらゆる判断を即座に下してきたことは確かだ。判断の遅れが致命的になることを、経験的に学習しているのかもしれない。
あるいはそれも、先代村長からの教えなのだろうか。
「私たちはたしかに弱いわ。でも、自衛の方法が皆無というわけではないのよ」
「マーサさん、それは?」
シグリィは口を挟んだ。長は泰然とした視線をこちらに向けてくる。
「ユドクリフが持ち込んでくれた種々の道具があります。攻撃の手段も。一時しのぎにはなるでしょう」
「だが根本的な解決にはならない」
「それは仕方がありません。でも私たちはこういうとき、合言葉があります。〝ユドクリフが帰ってくるまで耐えよう〟という。……〝迷い子〟に襲われたのは初めてではないんです。そのときはいつも、こうしてきました」
「………」
マーサから視線をはずし、シグリィは天井を見つめた。
舌の奥にもどかしさを味わいながら、今はそれを飲み下すしかないと、冷えた思考が淡々と述べ立てる。
「……私たちもいる。その人が帰るまでの守備なら手伝える。避難するとしたら、食料はどれくらいもちますか?」
「約二週間」
「その人が次に帰る予定は?」
「……二週間後」
「賭けるには少し危険だな。だったら避難するより、村……いや島自体を、術で守るほうがいい」
少年はやおら上半身を起こした。
「シグリィ! まだ怪我が――」
「やるなら今すぐだ。私しかその術は使えない」
ベッドの横にあった上着を取り上げ、ラナーニャの制止をやんわりと退けながら床に下りる。
「シグリィさん、無茶は――」
「そ、そーだぞ! ケガ人はおとなしくしとくもんだぞ!」
マーサやチェッタの止めようとするのも首を振って返し、「セレン」と彼は連れを呼んだ。
「ついてきてくれ。作業の最中に敵がきたら私一人では厳しい」
「はーい」
杖を持ち直しながら、セレンが軽快に答える。
と、そのとき。
締め切ったドアの向こう。廊下からどたばたと慌てた足音が近づいてきた。そして乱暴にノックした後、
「おい!」
返事も待たずにドアを開け、ジオが顔を突き出した。「厄介なことになったぞ……!」
「ジオ? 何があったの?」
「村の連中がこぞって訴えにきやがったんだよ……! 何でもさっきおかしな鳥が襲ってきたとかで、何人か怪我もしてる……!」
ラナーニャがその場でふらついた。すかさず支えて、シグリィはジオに問うた。
「怪我人の状態と手当は?」
「ああ、幸いみんな軽いらしい。手当も済んでらぁ。だが連中――つーかダッドレイのやつが怒り狂ってて――」
ジオはいかつい顔を、もどかしそうな珍妙な表情に崩して声を上げた。
「――こんなことになったのは星の娘と≪印≫持ちのせいだって。今すぐそいつら追い出せってよ――」
ラナーニャはシグリィの腕を強く掴んだ。もはや途方に暮れた彼女の顔には血の気がない。
シグリィとマーサは素早く目を見かわした。
「分かりました。話を聞きに行きましょう」
背筋を伸ばして、マーサはそう言った。
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