02 必死の逃走劇


「死にたくなけりゃ、どきやがれ!」


 街の入口で気怠げに立つ衛兵たち。彼らへ、いかづち属性の魔法石を放つ。


「はあっ!」


 ナルシスは、慣れた手付きでびゅんびゅん丸を操り、一団を華麗に飛び越えた。


 着地の衝撃で転げ落ちそうになったのは言うまでもない。ラグも乗り心地が悪かったのか、直ぐさま頭上へ飛び上がる。


「もう少し、丁寧に走れねぇのか」


「文句を言うヒマがあったら、仲間の一人でも捜したらどうだい?」


「ちっ!」


 悔しいが正論だ。多少無理をしてでも急いでくれている。

 びゅんびゅん丸は、驚き立ち止まる通行人たちをかいくぐり、馬車の乗り場を目指す。


「多分、乗り場にはいねぇだろ。煙と街の出口、その間を目指してくれ」


 突然に沸き立った白煙に、驚く野次馬たち。それらの人影に混じり、脇道へ逃げ込むひとつの人影を見つけた。朱に染まった服装と大きな体は、間違いなくあいつだ。


「ナルシス、次の通りを右だ!」


 びゅんびゅん丸は土が剥き出しの通りを疾走する。指示通りに脇道へ駆け込むと、その姿はすぐに確認できた。


「だから、痩せろって言ってんだ……」


 眼前を走るのはエドモンだ。朱の法衣がことさら目を引くのだが、加えてあの体格。逃げ切るのは到底不可能だろう。


「エドモン!」


「リュシアンの旦那ぁ!」


 こちらを振り返り、今にも泣き出しそうな顔をする小太り魔導師。苦痛に歪んだ顔で、肩を大きく上下させている。

 減速したびゅんびゅん丸から素早く飛び降り、二人へ視線を巡らせた。


「ナルシス、俺の代わりにエドモンを乗せてくれ。後から追いかける」


 周囲を警戒しながら腰の革袋をまさぐる。魔法石にはまだ余裕がある。

 衛兵に追われているとはいえ、この規模の街なら常駐人数も多くはないはず。精々、五十から百といったところか。


「リュシアン……バティスト……すまないが……手伝って……くれ……」


「ぶほっ!」


 苦しげなナルシスの声に視線を戻すと、エドモンの引き上げに四苦八苦していた。

 当の本人も必死だが、馬によじ登ろうと足掻く珍獣にしか見えない。


「さっさと登れ!」


 エドモンの大きな尻の下へ潜り込み、肩で強引に押し上げる。これは確かに重い。


「旦那がた、申し訳ないっス……」


「謝るヒマがあるなら早くしろ。これが俺たちなら、馬の運賃を取るんだろうが。今日は、おまえから貰うからな」


「後で、きっちり払うっス……」


「バカ。冗談に決まってんだろ!」


 その巨体をどうにか押し上げた時だった。不意に背後から、馬が駆ける足音と車輪が地面に擦れる走行音が聞こえてきた。

 一台の馬車が通りを駆け抜けて行った直後、目の前へナルシスの体が落下してきた。


「おい、どうした!?」


 驚きに、それ以上の言葉が出てこない。

 地面に倒れたナルシスの左肩には、一本の矢が深々と突き刺さっている。


「くそっ!」


 慌てて通りへ駆けだしたが、走り去る馬車の後ろ姿が見えるだけ。


「そういうことかよ……」


 やり場の無い怒りを当てつけ、思い切り地面を踏み付ける。

 完全に油断した。衛兵に知らせが入ったということは、マリーを攫ったあいつらが、付近に留まっている可能性も考えるべきだった。


 いつまでもこうしてはいられない。一刻も早く街を出て、みんなと合流する必要がある。

 びゅんびゅん丸の所へ戻り、ナルシスを馬上へ押し上げた。手綱をエドモンへ握らせ、足早に出口を目指す。


☆☆☆


「ここまで来れば大丈夫だろ……」


 森の中へ逃げ込み、乱れた呼吸を整えた。


 街を出るまでに数個の魔法石を使ってしまった。気掛かりは、衛兵の気を引くために炎の魔法石を打ち込んだ資材たちだ。建築用に積まれたものだろうが、大惨事にならなければいいのだが。


 木々の向こうに見えるグラセールの街からは、白煙に代わって黒煙が立ち昇っている。今頃、衛兵や住民たちは鎮火に追われ、右往左往しているだろう。


 シルヴィさん、アンナ、レオン。三人には会えなかったが、無事に逃げ出せただろうか。


「リュシアンの旦那。こいつはちょいと、面倒なことになったっスよ……」


 ナルシスの手当てを頼んでいたエドモンが、情けない声を上げている。


「どうした? 癒やしの魔法で、チョイチョイっと治してやればいいだろうが。そいつからは、いくら取っても構わねぇから」


「それが、そうもいかないんスよ」


 その手には、ナルシスに打ち込まれた矢が握られている。


「矢に毒が仕込まれていたみたいっス。手持ちの道具だけでは解毒できないっスよ」


「毒矢!? ナルシスは大丈夫なのか?」


「掛け合わされた麻痺毒っス。即効性の弱い毒で動きを鈍らせて、遅効性の強い毒で死に至らしめるつもりっスね。ひょっとしたら、リュシアンの旦那を狙ってたのかも……」


「狙いが逸れて、ナルシスに当たったのか? 俺を衛兵に捕らえさせて、口を割る前に命を奪うつもりだったってわけか?」


 ナルシスには災難だが、矢を受けたのがこいつだったのは不幸中の幸い。抜けた所で戦力に支障はないが、毒を受けたということは。


「ナルシスを解毒する必要があるんだよな。今それができるのは、エドモンだけだ」


「そういうことになるっスね」


「やっぱり……」


 ここで魔導師のエドモンに抜けられるのは致命的だが、やるしかない。


「ふたりは、ほとぼりが冷めたら街へ入れ。俺が衛兵を引きつける」


「どうするんスか!?」


「こいつがいるだろうが」


 ナルシスを心配そうに覗き込む、びゅんびゅん丸へと視線を向けた。


「おまえの相棒を借りるぞ」


 目を閉じたままのナルシスは力なく右手を挙げて、肯定の意を示してきた。


「旦那。大丈夫なんスか?」


「やるしかねぇだろうが」


 真っ白なびゅんびゅん丸の姿態。その首を優しく撫でてやった。


「ナルシスの旦那の具合が落ち着いたら、すぐに追いかけるっスから」


「期待せずに待ってるよ」


 白馬へ跨がり、森の外へ目を向ける。


「頼むぜ、相棒」


「がうっ!」


 びゅんびゅん丸へ言ったのだが、左肩に乗る本命の相棒ラグが応えた。

 白馬を操り街の入口へ。そこに衛兵の姿を見付け、声を張り上げる。


「てめぇらが探してる、リュシアン=バティストは俺だ! まとめてかかって来やがれ!」


 衛兵のひとりが手にした警笛が、辺りの空気をつんざくように響いた。すると街の奥から、衛兵たちがまばらに姿を見せ始めた。


「おっ! いいね、いいね」


 その様を確認し、街から遠ざかるように白馬を徐々に加速させてゆく。


「ほれ、ほれ。付いてこれるかよ!?」


 間もなく、別の出口から数頭の馬が飛び出してきた。上に跨がっているのは衛兵だ。


「二十はいるか?」


 びゅんびゅん丸の体力と脚力は既に確認済みだ。並の馬では追いつけないだろうが、できるだけ多くの衛兵を引き付けておきたい。


「あの数を相手に、傷付けない程度に加減できるか?」


 こうなれば、多少の被害はやむを得ない。


「リューにい。楽しそうなことしてるね?」


 不意に、背中へ触れた衝撃。


「アンナ、どこから出てきた!?」


「このお馬さんと、併走してたんだけど」


 さすが俊足の野生児。俺と背中合わせに飛び乗ってきた動きといい、身のこなしも軽い。


「シルヴィさんとレオンは?」


「わかんない。みんなで別々に逃げたし」


「仕方ねぇか。目的地は分かってるんだし、会えないことはねぇよな……」


「えへへ。会えるかどうかは、ここを無事に抜けられるかだと思うけどね」


「そのわりに、随分と余裕そうだな?」


 スリングショットを出そうと思っていたが、アンナがいれば衛兵の撃退は問題ない。


「衛兵の相手は任せたぞ。魔法石はいくら使っても構わねぇけど、人も馬も、できるだけ傷付けずに済ませてくれ」


「難しい注文するよね〜。大司教の敷地へ侵入したスイーツ食べ放題の報酬も、未払いのままなんですけど〜」


「だあぁっ! まとめて払ってやるから、何とかしてくれ」


「今度こそ約束だからね?」


 背後で、クロスボウを構える音がした。


「そうそう、シル姉が心配してたよ。リュー兄がムッツリスケベなのは、欲求不満なんじゃないのかしら、って」


「ぶっ!」


「私が何とかしてあげなくちゃ、だって。良かったね、リュー兄」


「良くねぇ。しかもこんな時に、そんなどうでもいい話を……」


「どうでも良くないじゃん。それに、落ち着くのは大事なことだよ」


 俺の身近な女性陣は、どうしてこうもペースを乱してくるんだろうか。まずはここを切り抜ける。全てはそれからだ。

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