09 地獄に墜ちろ


 欲望と金が支配する箱庭。ここにいるだけで苛立ちが込み上げてくる。その気持ちを振り切るように老紳士たちを追い、背を向けていた女助祭へ強く当たってやった。


「いたっ!」


 俺の懐から革袋が落ちると、助祭が顔をしかめて振り返ってきた。


「ちょっと、まだいたの? あんたは向こうだって……」


「すみませんね。腰が痛くてしゃがめないんで、拾って頂けませんかぁ?」


 笑みを押し殺し、丁寧に足下を指さしてやった。そこには皮袋から半分ほどしっかり飛び出した紙幣の束。

 助祭は言葉を失い、硬直している。


「早く拾って頂けませんかぁ。すぐに治療して頂きたいんですけどねぇ。大司教様、じ、き、じ、き、に」


「はい。すみません」


 膝を折り、重そうな身体でかがむ助祭。この身体へ付いた脂肪のいくらかは、患者から搾取したお布施でできているんじゃないだろうか。


 怒りが限界を超えた。かがんだ助祭の頭を右手で押さえ、女の耳元へ口を近づける。


「人を外見で判断するとは最低だな。自分の姿を鏡で見てみろ。祭服を纏った金の亡者が」


 助祭の手から革袋をむしり取る。


「そんなクズになるくらいなら、俺は庶民で十分だ。地獄に墜ちろ」


 女の額を押すと、面白いほど簡単にひっくり返った。起き上がろうと藻掻く姿を眺め、下卑げびた笑みを見せ付けてやった。


 そのまま受付小屋へ進むと、中には二十代ほどの若い女助祭がいた。


「おはようございます。本日はどういった症状かをお聞かせください」


「呪いを解いて欲しい。大司教様の奇跡の力とやらがあれば余裕なんだろ?」


「え? はい。それはもちろん……」


 俺の迫力に気圧され、助祭はたじろいでいる。

 大きく息を吐き、手にしていた紙幣の束をカウンターへ叩き付けてやった。


「これだけあれば文句ねぇだろ。さっさと手続きしてくれ。さっきの、エミリアンとかいう男より優先でな」


☆☆☆


 馬車に揺られること二時間。寺院は霊峰れいほうの頂へ荘厳華麗にそびえ立っていた。


 幾人かの富裕層の後、俺たちはようやく順番を迎えた。案内されたのは薄暗い広間。床の中央へ魔法陣が大きく描かれていた。


「どうぞ魔法陣の中心へ。正面の祭壇に向かって膝をつき、祈りを捧げてください」


 助祭の指示に従い、セリーヌと共に進む。


 アルシェ夫妻とは寺院の入口で別れ、身を隠してもらった。大司教に顔が割れている可能性を考えると、足手まといにしかならない。


 ふたりの事を思いながら足を進めていると、正面奥には俺たちの身長を超える祭壇。その更に後ろには、大きな翼を広げ、両手を組んで祈る優美な金色の女神像。それはこの大陸でも信仰の厚い、慈愛の女神ラフィーヌの姿を再現したものと言われている。確か、ヴァルネットの大聖堂にも同じ物があった。


 魔法陣の中央で祈りを捧げるセリーヌ。それに習って膝をつくと、祭壇の袖口からひとりの男がゆっくりと現れた。


 おごそかな雰囲気を纏った七十歳程の老人。頭頂に輝くミトラ。真っ白な髭を伸ばし、他の司祭たちとは一線を画す豪華な祭服。この男こそ、大司教ジョフロワに違いない。


 簡単な挨拶を交わした後、数分に渡って小難しい祈りが続いた。大司教が両手を組んで気合いの声を上げた直後、魔法陣が淡い光を放ち始めた。中心で祈っていた俺たちの身体まで黄金色の輝きに包まれている。


 すると、風呂へ浸かっているように体の芯から温かくなってきた。右腕は特に熱を帯びているが不快ではない。むしろ違和感が取り除かれ、すっきりしてゆく。癒やしの魔法にほど近いが、更に強い力なのは間違いない。


 おおよその仕掛けを理解し、数分が経過。魔法陣の光が弱まり、完全に消滅した。

 大司教は長い息を吐きながら額を拭った。


「手当ては滞りなく終わりました。いかがですかな? 気分がずっと楽になったのがおわかりになられますか?」


「ええ。お陰様で、もうすっかり」


 大司教へ礼を言いながら、俺を見ているセリーヌにも頷き返した。


 奇跡の力は正真正銘の本物だった。感覚を失っていた右腕の痺れはなくなり、甲の紋章から碧色の仄かな光が漏れている。


「がうぅっ!」


 左肩には数日ぶりのラグの姿。舌を出して嬉しそうに笑っている。


「では、私はこれで。次の患者を診る前に、休憩を頂きたいのでね」


「大司教様。待ってください。是非、救って頂いたお礼が言いたくて。今、そちらへ」


 駆ける俺を止めようと、祭壇の脇に控えていた助祭たちが飛び出してきた。


「勝手に入られては困ります!」


 足払いを仕掛け、ひとりを転倒させた。続くもうひとりのみぞおちへ、肘打ちを叩き込む。


「どういうつもりだ?」


 後ずさる大司教の姿を見ながら、壇上へ続く階段を駆け上がる。


「また侵入者だな? 今日はふたりだけで来たというわけか。あきらめの悪い奴等め」


 その言葉に、階段をもうすぐ登り切るという所で足が止まってしまう。


「侵入者? 俺は、そこに隠されてこき使われてる女の子、マリーを助けに来ただけだ」


「奴等の仲間ではないというのか。だが、この子の存在を知る以上、ただ者ではないということか」


 困惑と狼狽を浮かべた老人は祭壇の中を覗き、ひとりの少女を引きずり出した。彼女こそ、目的のマリーに違いない。


「金に狂った挙げ句、奇跡の真似事か。大司教の名も地に墜ちたもんだな」


 ゆっくりと歩み寄る俺の動きに押されるように、マリーを庇いながら後退する老人。

 当のマリーは、何が起こっているのかわからないというような唖然とした顔だ。


「奇跡の力がインチキだってことは、とっくにわかってんだよ。彼女を利用した神様ごっこは楽しかったかよ? あぁ!?」


 即座に地を蹴り、老人の胸ぐらを素早く掴んで引き寄せる。


「待て。私の話を聞きなさい」


 苦悶の声と共に、頭頂から落ちたミトラ。重々しい音を上げ、壇上を寂しげに転がった。


「答えろ、ジョフロワ! てめぇの命は、いくらで買えるんだ!?」


 怒りを抑えられない。大司教の胸ぐらを掴んだまま、その奥のマリーへ目を向けた。


「マリー、行こう。俺たちと一緒にここを出て、街へ帰るんだ」


「待って、どういうこと? 大司教様へ乱暴を働くような人を信用できません!」


 見た目通りの可愛らしい声だが、俺を見る目付きは鋭い。なぜ警戒されているのか。


「君はこの男に騙されて、ここへ連れて来られたんだろ? 俺たちは君の両親に頼まれて、助けに来たんだ」


「騙された? 私が?」


「言いがかりは止めてくれないか。騙されているのは君ではないのかね」


 いぶかしげな顔をするマリー。それを追うように、横手から大司教の声が続く。


「彼女は自分の意思で望んでここにいる。騙したことなどない。そうだろう?」


「はい」


 その言葉を、はっきり肯定されてしまった。


「ジョフロワ。てめぇは黙ってろ」


「だから、大司教様に乱暴しないで!」


 大司教の胸元を掴むと、マリーの鋭い声が飛んできた。


「私の恩人なの。生きる力と希望をなくした私に、道を示してくれた偉大な方です」


「この金の亡者が恩人? 君を祭壇に閉じ込めて、その力を利用して患者を癒やす。その功績全てを、自分の手柄にしてるような奴なんだぞ」


「違います。それは私がお願いしたの。大司教様は私を聖女と謳い、人々の救済を行おうとしてくれた。でも、私は人見知りだし、聖女なんてガラじゃないし。こんな子供じゃバカにされるだろうし……」


 徐々に萎む声の中、祭壇へ視線を向ける。


「私が裏方に回って大司教様の力だと言った方が、効果があると思ったの」


「で、祭壇に隠れたまま、ふたりで治療を?」


「そうよ。別にお金なんてどうでもいいの。みんなが元気になって、とびきりの笑顔を見せてくれる。それが私にとっての報酬だから」


 けがれを知らない純真な笑顔に、こちらまで心が洗われるようだ。


「マリー。君には、叶えたい夢はないのか?」


「え?」


 突然のことだ。呆気にとられてしまうのも仕方ない。


「夢は何だって聞いてるんだ」


「私は……この癒やしの力で、ひとりでも多くの人を苦しみから救いたいの。私のように、悲しい想いを抱える人を減らしたい」


「立派な夢だな。でも、この祭壇に隠れたままで、その夢は叶うのか?」


「ここに救いを求めて来る方たちを助けることはできるわ」


「だけど、それ以外の人たちはどうなる? 君が見ているのはほんの一握りの世界だ。自分の目で世界を見ろ。その手で世界に触れろ。その足で世界を渡り歩くんだ。君には自由に生きる権利がある」


「自由に生きる?」


「そうさ。大司教の言う通りに生きて、夢を夢のまま終わらせるのか?」


 大司教の顔を睨むと、向こうも負けじと睨み返された。


「私にも背に腹は代えられない事情がある。侮辱するのも大概にしたまえ」


「とりあえず、ふたりとも外へ連れて行く。ジョフロワ。あんたは絶対に、アルシェさん一家へ謝罪させてやるからな」


「謝罪か、なるほど。それが必要になるのは君の方だと思うがね……まずはこの手を離してもらおう。自分で歩く」


 言う通り、解放してやることにした。例え逃げても、老人の足なら追い付くのは容易い。


「大司教様、私はどうしたら?」


「一緒に来なさい。そうでないと、彼は納得してくれなそうにないからな」


 軽蔑するような目が、不快でたまらない。

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