16 びしょ濡れの泥酔美人魔導師
「待ってくれ。わかったから!」
奥へ消えたジャコブさんは、革袋と首飾りを手に慌てて戻ってきた。
「宝石にも手は付けてない。これで許してくれ! 頼む!」
「で、部屋が直り次第、営業再開ってワケか? 随分と都合のいい話だな?」
「これ以上、何が目的だっていうんだ!?」
「あんたたちの、微塵も反省しねぇ態度が気に入らねぇんだよ! 衛兵に突き出せば、あんたらの人生、終わりだぜ?」
今日これだけ必死に戦ったのは、この街を守るためでもあった。それがまさか、街の中に悪の片棒を担いでいる奴がいたなんて。
「わかった。店を畳んで街を出る!」
「ふざけんな! 俺の仲間があんたたちを見張ってる。逃げられると思うなよ」
「見張ってるって……」
不意に名案が浮かんだ。それを実行するため、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「衛兵に引き渡すのは勘弁してやる。代わりにこの宿の二階、十部屋全てを明け渡せ。今日から俺が貰う」
「そんな……」
「牢獄行きと平穏な生活。どっちがいい? 馬鹿でもわかるだろ? それに奥さんは、セリーヌから宝石を一つ貰ったよな? それがあれば生活には困らねぇだろうが」
「わかりました……従います」
「ちょっと、あんた!」
非難の声を上げるバルバラさん。
「なんだ、文句があるのか? 宝石を取り上げてもいいんだぜ?」
ようやく観念した彼女を解放し、革袋と首飾りを取り戻した。
「俺を始末しようとか、街から逃げだそうとか、余計な考えは捨てた方がいいぜ。俺に何かあれば、これと同じ書類を持った仲間が衛兵の所へ駆け込む算段になってるんで」
完全にハッタリだが効果覿面だろう。
短剣を収め、束ねた書類を折り畳む。
「んじゃ、改装は早急に終わらせてくれ。明日にはこっちへ引っ越すからさ」
完全勝利の余韻を胸に、揚々と宿を出た。勢いとはいえ、自分の根城が手に入るとは思いも寄らない結末だ。万が一、ドミニクたちの報復があったとしても、あそこに拠点を移せば牡鹿亭への被害も軽減できるだろう。
宿を後にセリーヌを探した。するとあいつは木製のカップを片手に、屋台のカウンターで店主と談笑している。
なんだかイヤな予感がする。
「遅かったですねぇ〜……」
「おまえ、大丈夫か?」
腕を掴まれ引き寄せられたが、手にしたカップの中には怪しい液体が揺れていた。
「おい。これ、酒だろ!?」
カップには赤黒い液体。漂うアルコールの香りといい、間違いなく果実酒だ。
「こんなに酔うって、どれだけ飲んだんだ?」
いや、この強烈な香り。かなり強い酒だ。
「なんだ。リュシアンの連れだったのか?」
「マチアスさん!?」
声に顔を向ければ、店主は顔見知りだった。この街で飲食屋台を経営し、街中を点々と移動販売している四十代の男性だ。
「こいつは悪いことをしたな……美味しいお酒が欲しいっていうから、女性に人気の果実酒を出したら止まらなくなってな」
すまなそうに苦笑するが、マチアスさんにしても客商売。それを責める理由もない。
「えへへ〜。この、若鶏のモモ肉もおいしいですよ〜。はい、あ〜んして……」
夢のような出来事に思わず口を開けてしまったが、食べかけの串焼きを口へ押し込まれるというのも微妙だ。今日は本当に冴えない。勝利の余韻、台無し。
でも、モモ肉が本当に旨いのが腹立たしい。カリッと焼けた皮の香ばしさと食感。口内へ広がる肉汁。ほんのりとした甘みと程良い弾力は、噛めば噛むほど味わいが広がる。
「リュシアンの彼女だったのか。とびきりの美人だし、そんな服を着てるから、てっきり奥の歓楽街で働く女性なんだとばっかり……でも、こうして見るとまさに美男美女のベストカップル。お似合いだぜ」
それを聞いたセリーヌは、即座に木製テーブルへ手の平を打ち付けた。
「それは聞き捨てなりません! 私はリュシアンさんの彼女ではありませんし、そんないかがわしい場所へ行ったこともありません! 清廉潔白な
そんな釈明に思わず困惑してしまう。
「自分で自分を生娘なんて言う奴がいるか。酔ってるからって、言葉を選べよ……」
「にしたって勿体ない……その顔とそれだけのスタイルだっていうのに、男を知らないなんてさぁ……人生、損してるよ?」
マチアスさんは、木製カウンターの上へ鎮座しているセリーヌの胸へ釘付けだ。その視線に気付いた本人は、慌てて胸元を隠した。
「また胸を見て……なぜこの街の男性は、いやらしい人ばかりなのですか!?」
「俺を引き合いに出すな!」
即座に反論すると、マチアスさんが笑う。
「それが自分にないものだからだよ……胸と母性という心を惹き付けて止まない宝は、男を新たな探求へと駆り立てるのさ……」
遠い目をしてつぶやくマチアスさん。なんだか無駄に格好いい。
「そうだ。そういうことだ! だから、俺が胸に惹かれるのも自然なことなんだ!」
マチアスさんに乗って熱弁を振るうと、セリーヌは薄紅色の唇を尖らせた。
「良くわかりませんが、男性の方は女性の胸が好き、ということですか?」
『間違いない!』
マチアスさんと声が重なった。
☆☆☆
「大丈夫か? ちゃんと歩けるのか?」
支払いを済ませて牡鹿亭へ歩き出したが、相当酔っているらしい。飲みかけを手放さないのでカップごと譲ってもらったが、足取りがどうにも怪しい。たまらず、通りに設置されている木製ベンチへ座らせた。
「きゃっ!」
腰を下ろした拍子に酒がこぼれたらしい。カップをベンチへ打ち付け、半泣きで俺を見上げている。
「冷たい……」
「は?」
「びしょ濡れです……」
「え?」
「濡れたんです。ここが!」
「ぶっ!」
法衣の胸元をぐいと引っ張るセリーヌ。下着ごと思い切り引っ張っているせいで、双丘の先端まで見えそうだ。
「おいぃ。ちょっと待てぇっ!」
両手を掴み、慌ててそれを隠す。
「冷たい……服が張り付いて気持ち悪いです〜。脱がせてくださいよ〜」
なんだコレ。誰か助けて。これだから、酒癖の悪い女は嫌いなんだ。
「まったく、しっかりしろ。こんな所で脱がせるわけにいかねぇだろうが。着替えたいなら、牡鹿亭までどうにか歩け!」
「もう、歩けないです〜」
「ったく、なんなんだよ!?」
この俺が、どうしてこんな目に。
泥酔美女なんて大嫌いだ。
☆☆☆
「リュシアン、どうしたんだい!?」
勇ましき牡鹿亭へ戻り、裏口へイザベルさんを呼び出した。俺を見るなり、驚いた顔で目を見開いている。
まぁ、それもそのはず。酔いつぶれたセリーヌを負ぶって、どうにかここまで戻ってきたのだ。こっちも
「話は後だね。早く上へ運びな。どうせあんたは、みんなと飲むんだろ? 今夜はベッドを貸しておやり」
「突然連れてきて、すみません……」
自室へ戻り、ベッドヘセリーヌを横たえた。女性をこの部屋に入れるのは初めてだ。見られてやましいものはないが、意味もなく緊張する。
そういえば服に酒をこぼしていたはずだが、さすがに脱がせるのはムリだ。
「せめて、コートだけでも……」
純白のコートを脱がせ、イスの背もたれへ無造作に放り投げる。
「びしょ濡れで、気持ち悪いです〜」
急に身を起こしたセリーヌ。法衣を脱ぎ捨て、下着姿で再びベッドへ倒れ込んだ。
「なんなんだ、こいつは……」
再び訪れた眼福タイムだが、これ以上ここにいると一線を越えてしまいそうだ。
幸い、天使の揺り籠亭で保管されていたカバンから、こいつの軽装を引き上げてある。それを枕元へ静かに置いた。
右腕の痺れは徐々に強くなっている。セリーヌが眠ってしまった今、治療はお預けだ。
最悪の流れだが、こいつが潰れてくれたのはある意味幸いとも言える。このまま明日の夜までやり過ごし、何としても記憶を保持しなければならない。
「こんなに変貌するなんて意外だな。それにしても、綺麗な寝顔しやがって」
名残惜しくもセリーヌの体を掛け布団で覆い、部屋の扉をそっと閉めた。
廊下へ出ると同時に、溜め息が漏れる。
「今頃、階下じゃ悪魔の宴か……」
シルヴィさんは深酔いしているかもしれない。酒が強い上に欲情し始めるという、かなりタチの悪い御方だ。
居住スペースである二階を抜け、一階店舗へ続く内階段を降りていく。
「あれ? なんで?」
妙に賑やかだと思ったら、シルヴィさんとレオンだけじゃない。そこには懐かしい顔ぶれが集まっていた。
「あっ、リュー
真っ先に駆け寄ってきたのはアンナだ。昨日会ったばかりだが、やはりこいつが加わるだけで雰囲気が明るくなる。
「どうして、おまえとエドモンまで?」
エドモンはカウンターで料理を頬張り、寡黙なクレマンさんへ愚痴っている。
あっちはアンナとは逆に、北方出身者特有の金髪と色白の肌。以前から室内で魔導書を読んでいることが多かったせいで肌が病的に白いのは相変わらずだが、また太ったような気がする。魔導師だから戦いにさほど支障はないのだろうが、痩せろ。真理の探究者なんていう大げさな二つ名が泣いている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます