第215話 揺れる青の都
威風堂堂。
若き少年が一歩を踏み出す度、派手やかな貴族の壁が左右に割れる。
不気味な静寂。
海千山千の貴族らは、まるでこの世のものではない
ラルクロア=クロスヴァルト──。
三千を超える貴族の口を一瞬にして閉ざさせ、また、その全身に底知れぬ戦慄を覚えさせるに、その名は十分がすぎた。
誰もが息を呑み、少年がスレイヤ王国第二王子の御前に跪くその姿をただただ見つめていた。
◆
クロスヴァルト侯爵がなぜ……
いったい、いつから……
多くの疑問を抱えながらクレイモーリス殿下の前まで進んだ俺は、クラウズに倣うように膝をついた。
途中、視界に入ったミレアの顔色はとても良かった。
顕現祭の疲れも癒えたのだろう。
俺と目があった際には軽く微笑み、その表情はなぜかとても誇らしげだった。
◆
──無音。
聞こえてくるのはクラウズの微かな呼吸音だけだ。
会場がここまで静まり返ってしまっているのは、七年も音沙汰のなかった
まあ、この状況。
偽物だの亡霊だのと思われても仕方がないが……
どちらにしてもこの場に於いて、俺だけが相当に場違いな存在であることだけは確かだ。
七年前。まだ幼かったころ、船の上でミレアから騎士の任を授かったことがある。
あのときは都を救った『キョウ』として任命された。そのため有力な貴族からも反対の意見は出なかったと聞く。
だが──今回は勝手が違う。
今回俺がしたことといえば、交流戦でカイゼルに勝利しただけだ。
だからただでさえ重圧だというのに、クロスヴァルトの名を出すとは……
こうなってしまうと、不快感を抱く貴族も少なくはないだろう。
跪いているためクレイモーリス殿下の表情は窺えないが、いったいなにを考えていることやら。
そうだ、師匠は? 師匠はこのことを知っているのだろうか。
俺は付近に師匠の気配を探ろうと試みたが、
「──これよりアースシェイナ神の名の下に於いて、我、クレイモーリス=スレイヤ=ラインヴァルトの近衛任命式を執り行う!」
殿下が式を始めたため、大人しくじっとしていることにした。
「──クラウズ=ノースヴァルト。我が剣となりてスレイヤの安寧に勤めよ」
臣下から長剣を受け取った殿下が厳かに剣を抜く。
「謹んで拝命いたします」
光り輝く剣を右肩に当てられたクラウズが畏まって返答をする。
すると、重かった空気を払拭するかのように盛大な拍手が沸き起こった。
しばらく間を置き、殿下が俺の前に立つ。
「ラルクロア=クロスヴァルト。我が剣となりて、精根尽き、その身朽ち果てるまでスレイヤの安寧に勤めよ」
な、なんだか厳しくないか……?
俺が顔を上げると、殿下はニッと白い歯を剥いていた。
「は。アースシェイナ神とクレイモーリス殿下にこの身を捧げますことを、ここにお誓い申し上げます」
俺は余計なことは言わずに、宣誓をしたが──。
クラウズのときのような拍手でもって追認されることはなかった。
いや。まばらだが数人の拍手は聞こえてくる。
うさぎ班……だろうか。
神の名の下での神聖な式であるため、大っぴらに異を唱える者こそいないが……。
あからさまなこの空気。
これがここにいる貴族たちの心の声なのだろう。
わかってはいた。
わかってはいたが……歓迎されていないことに、つい溜息を吐きたくなる。
そのとき。
「クレイモーリス殿下。発言のお許しをいただきたく」
淡々と進めるべき式であるにもかかわらず、声を発した者がいた。
「ウェストヴァルトか。構わぬ。申せ」
ウェストヴァルト……?
「失礼ながら──」
殿下が許可を出すと、ウェストヴァルトと呼ばれた男は発言を続けた。
ウェストヴァルトといえば七賢人、つまりスレイヤの大貴族だ。
声色から、ウェストヴァルト卿はクレイモーリス殿下よりかなり年上──陛下と同年齢程度のように感じ取れた。
この場で発言を許されるとは……ウェストヴァルト家の当主だろうか。
「──此度の叙任はクラウズ殿ひとりと聞き及んでおりましたが。──さらにその者は……無魔のクロカの生まれ変わりではありませぬか?」
その問いは予想できた。他のヴァルトが黙ってはいないだろうと。
俺は記憶にないウェストヴァルト卿の尊顔を拝みたかったが、臣下の礼をとっているためそれは叶わなかった。
「たしかにラルクロア=クロスヴァルトは七年前、紅狼の森においてその認定を受けた。そして今、貴殿が視界に収めているのはまさにその当人である」
殿下の言葉に会場がどよめく。
「斯様な者を殿下の傍に仕えさせるなど。世迷言にも程度がおありではないかと」
場内のどよめきが、次第にウェストヴァルト卿に賛同する色に変わる。
「静まれッ!!」
クレイモーリス殿下にしては珍しく大きな声を発したことに驚いて顔を上げると、殿下はとても険しい表情をしていた。が、すぐにいつもの飄々としたそれに戻すと、
「微温湯に浸かり日々を過ごしてきた貴殿らは、あの忌まわしい記憶をもどこかへ仕舞い込んでしまったというのか。情けない……。よもや忘れたわけではなかろうな。今を遡ること七年の前に起きた神抗騒乱の悲劇を」
「なにを申されますか。スレイヤの支柱である我らヴァルトの末裔があの痛ましい日の──」
殿下が勢いよく右腕を振り上げる。
「であるならばよい。ならば聞かせよう。皆の者も心して聞くがよい! ──よいか! このラルクロアこそ神抗騒乱において──」
だが、殿下の言葉は得体の知れない音によって強制的に遮られてしまった。
ゴゴオ──凄まじい地響きのような音が聞こえ、それと同時に地面が大きく揺さぶられたのだ。
「じ、地震だ!!」
誰かが大声で叫んだ。
轟音と激震。
俺はなにが起きたのかと、その場に立ちあがり周囲を見渡す。
天井からぱらぱらと粉塵が降り注ぐ。
会場内の貴族は出口付近へと殺到する。
轟音も揺れも収まる気配をみせない。
地中深くから聞こえてくる気味の悪い音。
心臓の鼓動が強制的に速められるような感覚。
これはあのときの……
「陛下! 至急退避を!」
「殿下! こちらへ!」
近衛が王族に駆け寄り、それぞれを取り囲むと早足で階段を上がっていく。
この音……
あの音に違いない……
それは、顕現祭式典の際に聞いた開門の音──『破滅の嘆き』だと理解するのに、そう時間はかからなかった。
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