第208話 騒がしくも、静かな夜 1



「へい! っらっしゃいぃ!」


「三人なんだけど、空いて──」


「あ~、悪いな! ちょいと今満席なんだわぁ!」


 師匠とエミルを連れて訪れたルディさんの店は、日暮れにはまだだいぶ早いというにもかかわらず、すでに満席のようだった。


 新入りの店員だろうか。

 両手に皿を持った若い男がこっちに向かい満席と告げると、急がしそうにそのまま席の間を縫うように奥へと行ってしまった。


 ルディさんは休みなのか?


 深くかぶっていたフードを少し上げて店内を確認するが、店内に知った顔はなく、見たことのない顔ぶれの店員しかいなかった。


 ──仕方ない。近くで店を探すか。


「すみません。師匠。ここは満席のようなので、別の店へ移動しましょう」

「おや、そうなのかい? なら、あの騒がしい連中を放り出せばちょうど席は空くんじゃないのかい?」


 言われた方を見ると、男ばかり十人ほどの冒険者らが、隣の席に座る女性たちに絡んでいた。

 女性全員、見るからに迷惑そうな顔をしているところから、知り合いではなさそうだ。

 酔っぱらった冒険者が女性に纏わり付いているのか。


「はん! まったくもって喧しい連中だね」


 男らを観察していた師匠が鼻を鳴らすと、


「お、お師匠様……」


 本当に冒険者の団体を放り出しかねない師匠の雰囲気に、エミルが小さく声を出した。


「そんな目でわたしのことを見るんでないよ。わたしだって今はか弱い淑女だ。わざわざ目立つような真似をするはずがないじゃないかい」


 いつもは見上げているのだが、今はエミルと同じくらいの背丈になっている師匠が横目でエミルを睨む。


 俺は学院の制服の上にローブとフードを、エミルも学院から支給された服の上にローブを纏い、フードで顔を隠している。

 だが、師匠は若く変化した姿のままだ。無論、顔も隠していない。

 そのため、パッと見では『か弱い淑女』に見えなくもないのだが……。


 なにか企んでいるような師匠の横顔に、早くこの場から離れた方がいいと直感した俺は、


「まあここは貴族街とは違って冒険者街ですからね。ああいう賑やかな団体もいるんですよ。すぐに見回りの冒険者が対応しますから。さあ師匠。俺たちは早く別の店へ行きましょう」


 そう言って、回れ右をしようとするが──


「にしても節操がないねぇ。ったく、カイゼルはなにをしていたんだか。冒険者街の浄化は終わったんじゃなかったのかい」


 まずい……

 このままではカイゼルに矛先が……


「お、お師匠様! カ、カイゼル様は大業をなしてくださいました! そ、それに見てください! あの冒険者はこの国の冒険者ではなさそうです! さすがに他国の冒険者の素行まではいくらカイゼル様でも……」


 絶妙なタイミングでカイゼルを庇おうとするエミルに俺も続く。


「そうですよ! 師匠! 見てください、あの冒険者らの剣を! スレイヤではあまり馴染みのない反り返った剣ですから、きっと他所者に違いありません! さあ、ここはスレイヤの冒険者に任せて別の店へ──」


 動物並みの勘で良からぬ空気を感じ取った俺は、師匠の腕を引いて店を出ようとしたのだが──


「はん! そんなことはわかっているさ。あいつらがどこの国の奴らかもね。そんなことよりわたしはおまえさんが勧めたクロスヴァルトの羊肉が食べたいんだよ。どうしてもね。だから別の店へ行く気はさらさらないよ」


 師匠は頑として、その場から動こうとはしなかった。


「し、師匠……」


 そして師匠は俺の手を振りほどくと、ツカツカと店の中へ入っていってしまった。

 それも、よりにもよって、あの冒険者らが騒いでいる席へ向かって。


「し、師匠!」


 もうこの時点で嫌な予感しかしていない俺は、


「エミルはここにいてくれ!」


 慌てて師匠の後を追った。






「し、師匠! マズイですって! あの冒険者たちだって手を出しているわけではないですし! なにかあったらすぐに警備団が! それに万が一師匠の術や素性がばれでもしたら──」


「はん! だからわたしがそんな愚かな真似をするわけがないだろう! ちょいと席を譲ってもらうだけさね!」


「い、いや、だからそれがまずいんです──って、師匠! し、師匠っ!」


 俺の言うことに耳も貸さずにずんずん進むと、師匠は男らのテーブルの前までやってきてしまった。


 そして男らを見下ろすと──


「少しよろしいかしら」


 え!?


「先ほどからこちらの女性たちが迷惑そうにしていることに気が付いていらっしゃいますか?」


 し、師匠が! 

 師匠が女性らしい話し方を!

 似合わな……い、いや、今は似合っているのか……?


「他のお客様の迷惑にもなりますので、今すぐお引き取り願えますかしら?」


『──ぶっ!』


 かしらって……


 不謹慎にも俺は師匠の後ろで噴き出してしまった。


 すると、一番女性にしつこく絡んでいるように見えた男が、


「あ゛? なんだおめぇは……って」


 師匠を見上げるが、


「おお! こいつはたまげた! まだこんな上玉が居やがったのかよ!」


 今の師匠の容姿を見て鼻息を荒くした。

 ……なんとも複雑な気分だ。


「おい! この女でいいじゃねぇか! この女ならカークライト様も──」

「馬鹿野郎っ! こんな場所でその名を気安く口に出すんじゃねぇ!」


 一人の発言を、一番奥にいた男が咎める。


「あ、や、済まねぇ……つい」

「ちっ! 気を付けろっ! まあいい。とにかくこの女なら文句はないだろう。おい! 今夜の物色は終わりだ! バルザ! この女を馬車に乗せろ!」


 最奥の男が立ち上がる。

 すると、師匠を見上げていた男も席を立った。


 不穏な気配を察した俺は、瞬時に師匠と男の間に割って入ろうと──


 ──!


 が、それを師匠が手で制したことにより、俺は前傾姿勢で踏み留まった。


 目の前の男は俺のことなど眼中にないかのように、師匠だけを凝視している。

 他の男らも、テーブルの上の盃を一気に呷ると帰り支度を始めだした。


「バルザ! とっととしろ!」


 いつの間にか出入り口付近に移動していた指示役らしき男が急かす。

 と、師匠の前に立っていた男が力任せに師匠の腕を掴もうと──


 この男──バルザというのか。

 師匠の腕を締め上げようなど、自殺行為に等しい。

 テーブルに叩きつけられるか、外まで放り出されるか──。

 気の毒だが、当然の報いだろう。


 俺は数瞬の後に訪れるであろう男の行く末に、なるべく店に被害が出ないようにと、それだけを祈っていた。


 ところが──


「きゃ、きゃああ!」


 え!? きゃあ?


「や、止めてください!」


 は?

 し、師匠? 


「と、突然なにをするのですか!」


 あ、あなたこそなにをしているんですか……?


「黙れ女ぁ! いいから馬車に乗れぇ!」


 あろうことか、顔を苦痛に歪めた師匠が男に引き摺られて行かれようとしている。


 これには俺も空いた口が塞がらなかった。


 なにか聞いているかもしれない、と、エミルを見るが──ぽかんと口を開いていたエミルは、俺と目が合うと、ぶんぶんと首を横に振った。

 エミルも知らないということだ。


 なんだこれ?


 確かにあの瞬間、師匠は俺を止めた。


 するとこれは──まさか新しい任務に関係しているとか?

 いや、でもそんなことあり得るか?

 たまたま居合わせた冒険者らを相手に……

 だが師匠のことだから……

 わ、わからない……

 いったいどうすれば正解なんだ?


 あ!


 俺とエミルが途方に暮れている隙に、師匠を引き摺った男は店の外に出てしまった。


 俺は慌てて男と師匠を追う。

 その際、テーブルを確認したが、すでに男たちの姿はそこにはなかった。


 卂い──。


 最初に立ち上がった男もそうだが、冒険者らはかなりの手練れのようだ。


 俺の中で最強である師匠が先を行ったため、俺は師匠を止めることに意識を注ぐあまり注視していなかったが、どうやらあの集団はただの冒険者ではなさそうだ。

 師匠もそのことに気付いているはずだが、それも関係しているのか?


 俺はそんなことを考えながら急いでエミルと外に出ると、麗しい姿の師匠がまさに馬車に乗せられる直前であった。


「きゃああぁぁ!」


 師匠の悲鳴が夕暮れの冒険者街を切り裂く。


 周囲にはすでに人だかりができている。

 だが、その中には家族連れも多く、連れ去られようとしている女性をみて、先陣切って救出しようとするような者はいなかった。


「さっき男の動きを封じようとしたら師匠に止められたんだが、エミル。どう思う?」

「も、申し訳ありません……私にはとても……」

「だよな……」


 まさか変化して本当に『か弱い淑女』になってしまった?

 いや、それなら俺を止めるはずが……


 この時点でも師匠の考えがわからずにいた俺は、下手に動いて後で叱られることを避けようと、とりあえず様子を見ることにした。


『警備団が来たぞ!』

『こっちだ! 女の人が攫われそうになっているぞ!』


 誰かが通報していたのか、通りの向こうから警備が走ってきていた。


 すると、馬車に乗り込もうとしていた男らのうちの一人が弓を構えた。

 青の都に張り巡らされた結界のなかでは、ある一定の条件を満たさないと魔法はその効力を発揮しない。

 男が魔法ではなく弓を構えたということは──あの男が『魔法師としての階級が低い』のか、『神抗魔石を使用していない』のか、それともあえて魔法は使用せずにいるのか、のどれかだ。

 だが、それを考えるのを後回しにすると、俺は地面を蹴った。


 男が弓を放ったのだ。

 師匠がなにを考えいてるのかはわからない。

 しかしこのままではあの矢は確実に警備団の命を奪う。


 風奔りを行使して矢の軌道上まで駆けた俺は、放たれた五本の矢を一本残らず手で掴んだ。


 わっ! と歓声が沸く。


 俺の手の中に矢があることに、野次馬たちはなにが起こったのか察したのだろう。


 師匠……

 いくらなんでもこれは……


 俺が師匠の真意を伺おうと師匠に目を向けた。──そのとき。師匠の唇が薄らと笑みを浮かべたのを俺は見逃さなかった。


 ゾクリ──。


 俺の背筋を、今までに経験したことのないような悪寒が駆け上がる。


 次の瞬間──


「助けてください! ラルクロア様ぁ!」


 師匠の甲高い叫びが、大勢の人で溢れる冒険者街に響き渡った。


 ──なっ!


 ラ、ラルクロアッ!?


 な、なぜ師匠がその名で俺に助けを!?


 俺は一瞬混乱に陥った。


「お願いです! お助け下さい! ラルクロア=クロスヴァルト様ぁっ!」


 ク、クロスヴァルトの名までっ!?


 い、いったい師匠はなにを考えて──


『ラルクロアだって!?』

『クロスヴァルト家の長男の名だぞ!?』

『あ、あの無魔の黒禍か!?』



 群衆がざわつく。



 そのとき俺は、師匠のあの微笑の意味がわかったような気がした。



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