第196話 交流戦6 『エミリアの賭け』
エミルが試合場に姿を現すのを、広すぎる観覧席でひとり見ていた。
そして静かに頭の中を整理していた。
紅白戦を中止にしてしまった俺の存在。
サウスヴァルトの関与。
古代派、現代派の争い。
派閥の無い魔法師。
ヴァレッタ先輩の敗北。
リーゼ先輩の勝利。
そして──
「──エミルか……」
考えることが多すぎる。
それなのに時間だけが過ぎていく。
「……はぁ……」
俺はため息をついて視線を上げた。
正面には貴賓席のガラスが見える。
あの中には国王やモーリスがいるのだろう。
師匠も──あそこにいるのだろうか。
あそこから試合を観ているのだろうか。
師匠はエミルが戦うということを知っているのか……
エミルがスコットと戦うことを知ったら……
「まあ、相談するだけ無駄だよな」
相談したところであの人のことだから
「はん! 人のこと心配してないで自分のことを心配しな!」
そう言って叱り飛ばされるのが関の山だろう。
ちょっとため息吐いただけで
「はん! 辛気臭いったらないね!」
って怒られるくらいだ。
それなら自分で考えた方が──ん?
「っ! し、師匠っ! い、いつの間にっ!? やけに現実的に聞こえると思ったら──痛っ!」
「いつだって気を抜くんでないよ。わたしはそう教えたはずだよ」
人の気配を感じて振り向くと、そこに突如現れた師匠の姿を見つけ、俺は堪らずに声を上げた──ところを杖の先で小突かれる。
「久しいね、ラルク」
「師匠……」
感動──とまではいかない再会に、それでも俺は胸が熱くなる。
庵で最後に会ったときよりも元気になっている師匠の姿を見て、安心したのかもしれない。
「コンティから報告は受けているよ。巨神やらシュヴァリエールやらご苦労だったね」
「あ──ありがとうございます……お元気そうで安心しました……でも師匠、どうしてここに……?」
「あそこから観ていたんだけどね。馬鹿な貴族が煩いから手洗いに逃げてきたんだよ」
俺に向けていた優しい表情から一転、気難しい顔付きに戻すと、杖の先で貴賓席を示した。
ああ。そういうことか。
師匠の貴族嫌いも相変わらずだ。
「そんなことよりお前さん、エミルを確り見てておやり。両の眼を見開いてね」
「あれ、師匠? エミルと会ったんですか?」
「ああ。今朝早くにね。あの子はここ数日、城で寝泊まりしていたようだからね。朝一番で私の部屋を訪ねてきたよ」
「そうだったんですね……エ、エミル、どんなことを言っていましたか?」
「はん! 女同士の話に入り込もうなんざ、お前さん、品位の欠片も持ち合わせていないのかい?」
女同士……
師匠がそれを言うか?
「ゆっくり話をしていたいのは山々だけどね。そろそろわたしも戻らないといけない。戻って馬鹿な貴族どもの話を聞くよ。どんなに馬鹿だろうが上手く使えば役に立つからね。お前さんとはまた後で時間を作ろうかい」
肩をすくめると師匠は振り返った。
「師匠! 俺、家族と会いました!」
扉へ向かう師匠の背中に報告する。
他にもいといろと話したいことはあったが、俺の口から出たのはエミルのことに次いで家族の件だった。
いや、元、家族か。
「──そうかい。で、どう感じたんだい?」
「なんというか……俺の知らない人の集まりでした……」
「……そうかい。……貴族なんてどいつもそんなもんさ」
そう淋しげに言う師匠の背中は、七年前よりも僅かに小さく見えた。
「──お前さんは私の弟子だよ。大切なね」
最後にそう残して部屋を出ていく師匠を、俺は頭を下げて見送った。
「手洗いはもっと近くにあるだろうに……」
師匠の優しさを噛み締めながら。
◆
エミルが試合場に姿を見せた瞬間、闘技場内の温度が跳ね上がった。
実際ここは観覧席とは隔離されているから温度が上がったことがわかるわけではない。
その観覧席といっても屋外にあるのだから、温度が上がるようなことはない。
だが、人々の熱気がそう感じさせる。
予想していた以上に観覧席は興奮状態にあった。
「いよいよか……」
この時点で俺は頭の中を空にしていた。
師匠に言われた通り、エミルの試合だけに集中していた。
そして俺はエミルから目を離さずにいた。
◆
試合場の中央に立つエミリアは、ラルクの視線を強く感じていた。
そのことに、先ほどまで収まらなかった指先の震えはピタリと止まっている。
「──ふぅ……」
エミリアは静かに息を吐く。
そしてスコットを待つ間、大歓声を遠くに、ひと月前に十月の議会場で再開したスコットとのやりとりを思い返した──。
◆
『私なら大丈夫です。少し話をしてくるだけですから』
シュルトら他の教官が制止するも、タルカッサスの石に触れ終えたエミリアはそれに微笑で応え、スコットと議会場の隅へと移動した。
十月の講堂は薄暗く、ふたりの表情は誰からも窺うことはできなかった。
『そんなにふたりっきりで話がしたかったのかよ、エミルぅ。それとも他の奴らに聞かれたら不味い話でもあんのかぁ?』
スコットがエミリアの小さな顎に手をかけようとする。
エミリアはそれを手で払い除けると
『クラックは……無事なのですか』
スコットを睨み付けた。
一見毅然とした態度に見えるが、スコットの手を払ったエミリアの手は震えており、全身は強張っていた。
『おぉ、怖。んなにギスギスすんなよ。俺とお前の仲じゃねぇか?』
そんなエミリアを見て、スコットはまるで子どもを茶化すように、大袈裟におどけて見せる。
『質問に答えてください』
『んだよ可愛げのねぇ。ま、そんな女を屈服させるのが堪んねぇんだがな』
『私はあなたなどに屈しません。早く質問に答えてください』
『チッ、まあいい。それよりお前、冒険者から情報得るのにまさかタダで、なんて甘い考えでいるんじゃねぇだろうな』
『下賎な……』
元冒険者のエミリアは、冒険者が何事も金で動くことを理解していた。
『……わかりました。相応の金銭は支払います。後日使いのものに持たせます』
だから嫌悪感を抱きながらも、スコットの言い分を受け入れる姿勢をとった。
だが──。
『あ? 俺は金なんかいらねぇぜ? 金なんてモンは若い奴らが持ってくる』
その言葉にエミリアは一瞬顔を引きつらせた。
それを見逃さずにいたスコットは
『わかってんじゃねぇかぁ。エミルよぉ。俺はお前の身体なら受け取ってやるぜぇ?』
エミリアの全身を舐め回すように見る。
そしてエミリアの細い腰に手を回してきた。
『……いや……やめて……』
エミリアはスコットの腕から逃れようとするが、身体が硬直してそれを許してくれない。
粗暴な男の匂いに、恐怖心が沸き起こる。
『タマンネェなぁ! 俺がしっかり男を教えてやるぜぇ』
スコットは全身を震わす聖女の首筋に顔を埋め、下品な言葉を口にする。
スコットと知り合ったエミリアは当時十四歳。
右も左もわからない冒険者生活の中、一回り年齢の離れたスコットは、とても頼れる存在だった。
頼らなければ死が近くにやってくる。
依存していたつもりはない。
だが、従わなければ生き抜くことができない。
そんな心理がエミリアの心に未だ残っていたのかもしれない。
だからエミリアは動くことができない。
首筋に感じるスコットの荒い息遣いに抗うことができない。
あの日、自分たちを置き去りにしたあの日に、スコットの本性を知ったというのに──。
──ふたりきりになるには、まだ早かった。
『や……めて』
エミリアは掠れた声を出すのが精一杯だった。
『聖女さんよぉ。クラックの命と自分の身体とどっちが大事なんだぁ? え?』
エミリアは全身に鳥肌が立った。
こんな男に慰み者にされる自分を想像して吐き気が込み上げてきた。
聖者さま──。
ラルクの姿が脳裏を過る。
だが自分の蒔いた種だ。
冒険者時代の負の遺産で兄弟子に迷惑を掛けるわけにはいかない。
エミリアは自分のことでラルクの手を煩わすことを一番に恐れていた。
スコットはなにかを知っているのだろうか──。
聖者さまの足手纏いにだけはなりたくない──。
クラックを見捨てる選択肢はない。
そしてラルクを始め、他人に迷惑を掛けるということも──。
エミリアは静かに覚悟を決めた。
『……わかりました。ただ……ひとつだけ条件を付けさせてください……』
『おい、勘違いするなよ? 俺はお前にお願いしてるわけじゃないんだぜぇ?』
『……わかっています……ですが冒険者のあなたにとっても都合のいい条件だと思います……私の身体、そして青の聖女に勝利したという名声……ふたつを同時に手にすることができるのですから……』
『なにぃ?』
エミリアから離れて説明を聞いていたスコットは、黙った。
おそらく頭の中で損得勘定を始めているのだろう。
だがエミリアはスコットがこの条件に食いついてくるだろうと確信していた。
なぜなら冒険者の間でスコットの実力に疑いを持つ者が出始めたからだ。
ほとんどの依頼を部下に任せて自分は踏ん反り返っているだけ──。
スコットは今、自分の地位を確固たるものにするためにも、さらなる名声を喉から手が出るほどに欲しがっているはずだ──。
そしてスコットは私のことを、ただの治癒魔法師と見下している──と。
果たしてスコットが出した回答は──。
『おもしれぇ』
◆
反対側の通路から冒険者風の男が姿を現す。
あの男がスコットか──。
よく見ればあのときの面影がなんとなく残っている。
奪魔人鬼の角を目の色を変えて斬り落としていた男。
俺はスコットを視界の端に置いたまま、視線の中心にエミルを見据えた。
『なにが起ころうと見届ける』
そう決めたのだから。
スコットが試合場に入りエミルと対峙すると、観覧席からヤジが飛んだ。
なにを言っているかまではわからないが、エミルに対する歓声とは明らかに異なる。もはや怒号といってもいいような叫び声が飛び交う。
国民は、青の聖女と対戦するスコットのことを良く思っていないことがひしひしと伝わってくる。
もし俺だったら絶対にエミルとの対戦は避けたいところだ。
「ん? なにか話をしているようだが……」
エミルとスコットが試合場で会話を交わしている。
こんなときアリーシア先輩が傍にいないのが悔やまれるが、盗み聞きなどしてはまた師匠から品位がどうのと叱られる。
俺はふたりの会話ではなく、エミルの表情に注目してそれを見ていた。
◆
戦う相手が試合場へやってきたことで、エミリアは閉じていた瞳をゆっくりと開いた。
「逃げずに現れたことはほめてやるぜぇ?」
観覧席から浴びせられるヤジなど気にもならない様子のスコットが、涼しい顔で第一声を放った。
「逃げなどしません。できることであれば戦いたくなかったという思いは未だありますが」
感情を見せることなくエミリアが、口元に軽く手を添えてスコットの発言に応じる。
スコットは軽鎧に長剣といった動きやすい装備をしていた。
一方エミリアは学院から支給された制服──ではなく、聖職者として教会に入るときの服に身を包んでいた。
手には武器を持っていない。
スコットよりも身軽な聖女の装備に、観覧席からの声援には不安の声も混ざっている。
「なんだぁ? 上品ぶりやがって。元はブレナントの平民風情だったお前がいつの間にかこんなに人気を得やがって。それもこれも俺のお陰だってわかってんのかぁ?」
両手を広げたスコットが、いまだ収まらないエミリアへの歓声をその身に受けながら卑しい笑みを浮かべる。
「たしかにあなたにいろいろと教わったことは事実です。ですがそれを得た分、失ったものも少なくありません。試練の森第三層で私は……あの三人を……」
「あんな奴らのことまだ覚えてたのかよ! お前記憶力いいな! 俺なんかとっくに忘れちまってたぜ!」
エミリアは歯噛みした。
聖職者であるエミリアを冒涜するようなスコットの言動に怒りを覚えた。
「私をここまでの魔法師にしていただいたのはスコット、あなたなどではなく、聖者さまとお師匠様です。それだけはこの場ではっきりと言わさせていただきます」
口元を隠すように話すエミリア。
スコットは知らない名が出てきたことに気を悪くする。
「あん? 聖者と師匠だぁ? んだそりゃ。俺とお前の間を邪魔をするようなら俺がまとめて叩き斬ってやるから安心しろぉ」
この男はどこまで身の程知らずなのだ──
エミリアは心底スコットという男を軽蔑した。
このような男と同じ空気を吸っているだけで身体が蝕まれていくような気さえした。
一刻も早く聖者さまの胸に──
エミリアは試合開始の号砲を心待ちにした。
「んでエミル、約束はきちんと守れよぉ? この国一番の冒険者の俺が、お前を妾にしてやるってんだ。悪い話じゃねえぜぇ?」
しかしまだ試合開始の合図は上がらない。
エミリアは仕方なくスコットの言葉に答える。
「約束は守ります。この試合、私が負けたらこの身体はあなたの思うようにしていただいて構いません。ですが、私が勝ったら──」
「ああ、わかってるんなら良い。俺も男だ。約束は守る。クラックは返してやるよ」
ふたりの会話が途切れたとき、魔法師が行使した空砲が試合開始を告げた。
「──ッリャアッ!」
それを待っていたとばかりに、スコットが勢いよく飛び出した。
だがエミリアはそれを予測していたかのように、後ろに大きく跳躍する。
「くくっ、そんなにビビるなよ」
まだ剣すら抜いていないスコットは、今の一手は単なる挨拶だと言って笑う。
だがエミリアはそんなスコットの挑発に乗ることもなく、呪文詠唱を開始する。
短く正確な詠唱。
エミリアが選択したのは第八階級風属性魔法『
ラルクから闘技場内の魔素が少ないことを聞かされていたエミリアは、行使する魔法も自分なりに思考していた。
なるべく魔素を使用しない階級の低い魔法を行使する。
そして威力が劣る分、それらを複合させて多彩な攻撃手段として弱点を補えるよう準備をしていた。
先が鋭く尖った氷柱が、十本、スコットめがけて襲いかかる。
スコットはそこではじめて剣を抜いた。
スコットはその場から動こうとせず、エミリアの魔法を真正面から受け止める構えをとる。
第一陣で二本の氷柱がスコットを襲う。
「──っシ!」
スコットはそれを剣捌きだけで軌道を逸らしてみせた。
後方に逸れた氷柱は勢いよく結界に当たると、大きな音をたてて弾け飛ぶ。
スコットは気を緩めることなく第二陣の三本の氷柱を処理する。と、氷柱は第一陣と同じ軌道で結界に当たり消滅した。
第三陣。
今度は五本の氷柱が一度にスコットめがけて突き進んだ。
スコットは慌てる様子もなく剣を構える。
だが今度の氷柱は先ほどまでの氷柱と違い、スコットの剣のすぐ手前でそれぞれが三つの氷柱に分裂した。
合計十五本の氷の槍。
「──チッ!」
これにはスコットは眉を動かしたが、それでも身体を穿つ魔法だけを冷静に見極め、次々に剣で捌いていく。
だがエミリアの魔法はこれだけではなかった。
今までは後方に逸れていた、単一軌道を描く氷柱だったが、最後の十五本は氷柱そのものが意思を持っているかのように軌道を修正した。
そして素早く転回すると、スコットの背後から一斉に襲いかかった。
「──クソッ!」
前と後ろ、両方からの攻撃にスコットは横に大きく跳ぶ。
しかし氷柱はその動きを見定めていたかのように、真横に水平に移動する。
そして十五本の矢は勢いを殺すことなくスコットに着弾する──と、盛大な土煙を上げた。
決して派手な魔法ではない。が、その正確さと美しさに観覧席からはため息交じりの歓声が上がる。
あの素行不良な冒険者もこれで敗戦だろう。
観客は皆そう思った。
聖女の勝利だと。
しかし土煙が収まり、その中に無傷で立つスコットの姿が現れたとき、観客からより大きな歓声が上がった。
あれだけの魔法攻撃を受けても無傷でいられる冒険者。
さすが第一階級冒険者だと称える者もいた。
だがエミリアは首を傾げた。
この程度の魔法で勝利できるとは思っていない。
しかし血を一滴も流していないというスコットの姿に違和感を覚えた。
「おいおい、最初っから飛ばすねぇ、エミルぅ。危うくかすり傷を負っちまうところだったぜぇ」
そう大口を叩くスコットの周りには透明な壁が見える。
「障壁魔法……」
「あったりぃ!」
エミリアの呟きの通り、スコットは障壁魔法を行使していた。
しかもただの障壁魔法ではなく、かなり高位の障壁魔法のようだ。
「今度はこっちから行くぜっ、と!」
土煙が収まりきらないうちに、剣を構えたスコットがエミリアに斬りかかろうと距離を詰め──るのではなく、なぜかその場に立ったまま一言二言呟いた。
するとスコットの前に巨大な火の玉が出現し──紅く燃える炎の尾を引き摺りながらエミリアの立つ場所へ突進した。
ゴオオッと凄まじい轟音を上げながらエミリアを襲う巨大な火球。
火球はエミリアに向かうにつれて周りの大気を巻き込み、炎の竜巻のような姿になった。
なぜあんなに高位の魔法が!
エミリアはさらに違和感を重ねるが、今はそれどころではない。
「──水壁!」
エミリアが魔法を行使すると、エミリアの正面に巨大な水の壁が形成された。
竜巻はその水壁に衝突すると、凄まじい蒸気を発しながら姿を元の火球程度まで小さくした。
だがそれでも威力は収まらない。
スコットは伸ばした左手を、力を込めるかのように強く握りしめる。
すると火球は水壁の中を徐々に前進し、通り抜けるまで後少しの所まで達してしまった。
「──くっ!」
エミリアは背に腹は代えられぬと、魔素を集め水壁の効力を上げる。
そのことが奏功して火球は水壁の中で手のひらほどまで小さくなり、そしてそのまま消滅した。
盛大な歓声が結界の外から聞こえてくる。
しかしエミリアの耳にその声はとても遠くのものに感じた。
それだけスコットに集中している──ということもあったが、少ない魔素を大量に使ってしまったことでこの後の戦いに余裕がなくなる──という切迫感からのことでもあった。
「──はぁはぁ」
エミリアが肩で息をする。
炎の竜巻が消え去った後も、エミリアの周囲には高熱の妬けた大気が残されていた。
呼吸をするごとに肺が焼けるような痛みに治癒魔法を余儀なくされる。
それでまた魔素が消費されてしまう。
それを見たスコットは
「おいおい、もう終わりかぁ? 俺は今のをまだ二十発は撃てるだけの余裕があるぜぇ?」
「青の聖女っつても所詮は女かぁ!」と高笑いをする。
このときエミリアはスコットの底しれない力を知った。
いや、スコットというより冒険者の、というべきか。
どんな手段を取ろうと勝つ。
そして生きて還る。
それを知ったエミリアは絶望感から肩を落とす──のではなく、
「私も準備運動が終わりました。早くこの後の試合を観戦したいので、次で決めます」
微笑を浮かべた。
それはとても美しい、だが見た者を心胆を寒からしめる冷酷な笑みだった。
しかしその裏、次で仕留めなければ魔素が持たないということもエミリアは理解していた。
「言ってくれるねぇ。まあ、そういう女じゃねぇと躾甲斐がないからなぁ」
「いつまでそうして笑っていられるか、見ものです」
「いいねぇ、ぞくぞくするぜぇ。ちょいと傷つけるもしれねぇが、自分で治せるだろ?」
「私のことでしたらご心配なく」
エミリアが魔法詠唱を開始する。
エミリアの周囲の空気が一瞬ぶれる。
対してスコットは、何を考えているのか右手に持った剣を下ろし、構えを解いてしまった。
そして先ほどと同じように左手を前に突き出し、
「──死ぬなよエミル!」
そう叫ぶと同時、下ろしていた剣に炎を纏わせた。
炎属性を付加した剣術──。
しかし驚くべきは炎が燃え盛っているのは剣だけではなく、腕から肩、上半身の右側すべてが炎に包まれていることだった。。
詠唱を終えて、魔法の行使も終えたエミリアは目を瞠った。
スコットが使用した魔法。
いったい何階級なのか、見当もつかない魔法に。
だがそのことを考えるのは今じゃない。
エミリアは少ない魔素を掻き集めて、スコットに立ち向う。
全身炎まみれのスコットがゆっくりと右手に持った剣を構える。
そしてほんの僅か、ゆらり、と動くと──次の瞬間、一気にエミリアに肉薄した。
「──っ!」
エミリアはスコットの攻撃を躱そうと右に跳ぶ。
しかしスコットの剣先はエミリアの身体の中心を捉えて離さない。
剣がスコットを導くように、スコットは剣に誘われるように、滑らかな動きでエミリアを追う。
まるでエミリアの影のように。
その動きは一切の無駄がなかった。
そしてエミリアが着地をした隙を狙い──
「──ダッラァアッ!」
エミリアの肩口に剣を突き刺した。
観覧席から悲鳴が上がる。
エミリアの右肩に突き刺さった剣先は、確実に背中から飛び出していた。
それを見て気を失う客が続出する。
エミリアの顔半分は妬き爛れて醜く歪み、そして──
「──ンアッ!?」
そのまま燃え尽きてしまった。
「──ンな馬鹿なッ」
自分の行使した術に驚き、スコットは動きを止めた。
目の前で起きたことが信じられないといった様子で呆けている。
だが次の瞬間──
【勝者! 魔法科学院、エミリア様!】
勝者を告げる声が大闘技場に響き渡った。
一拍置いて、会場から今日一番の歓声が上がる。
目を覆っていた客らも恐る恐る試合場を確認した。
その光景を見た者は次々に立ち上がり、勝者であるエミリアに惜しみのない拍手を送っていた。
大歓声が耳に届いたのか、スコットは眠りから覚めたようにハッと後ろを振り返る。
すると──
「──なッ!」
隙だらけの自分の背中すれすれに寸止めされている氷柱を見て、驚愕に目を見開いた。
そして氷柱の後ろには──
「──終わりです」
無傷のエミリアが立っていた。
「──テメェ……」
スコットは怒りからか肩を震わせている。
何が起こったのかおおよその見当が付いたのだろう。
「卑怯な真似をしやがって……」
「卑怯とは、私の魔法が、ですか? ──それは承服しかねますが、試合は私の勝ちのようです」
試合の勝敗は決まった。
氷柱を消したエミリアは、憐みのこもる瞳でスコットを見る。
さあ、スコット、潔く負けを認めなさい──。
これはエミリアの賭けだった。
師匠に、そしてラルクに伝えた賭け──。
このままスコットが大人しく負けを認めるようであれば、過去のことは水に流し、そうでなければ──。
エミリアはスコットのことを信じたかった。
信じていたかった。
酷い目に遭わされたこともあったが、元は同じ仲間だ。
エミリアの寛大な慈悲の心が、スコットに最後の最後で選択を与えたのだった。
「──クラックはどこにいるのですか」
厳かな口調でエミリアが問い質す。
「……」
しかしスコットは口を開こうとしない。
「もう一度訊きます。クラックはどこにいますか」
勝者の条件をこの場で遂行するべく、エミリアはもう一度問う。
「──くっ、テメェそれで俺に勝ったつもりか……」
「スコット。あなたは負けたのです。これだけの観衆がそのことを知っています。いまさらなにを足掻くのですか」
スコットが周囲を見渡す。
そこにはすでに係の者も通路に姿を見せており、試合は終了したことを知らしめていた。
「……わかった……」
項垂れたスコットがしぶしぶ口を開く。
そしてエミリアは──。
エミリアの今日最後にして最大の勝負。
命を懸けた賭け──。
それは今まさに始まったばかりだった。
◆
エミルがあんな戦い方を……
最後の魔法は素晴らしかった。
スコットの剣術もなかなかのものだったが、あれも魔剣の力によるものだろう。
一日に二本もの魔剣を目にするとは驚いたが、それが頂点の戦いという場なのであれば納得もしてしまう。
しかしそれよりなにより……
エミルの魔法は本当に素晴らしかった。
ここで見ていたから惑わされることはなかったが、実際に対戦していたら……想像したくもない。
「驚かされたな……」
あの魔法はエミルだからこそできる魔法だった。
「魂をふたつに分けるなんて、エミルしか考えつかないよな……」
原理まではわからないが、たしかにあの瞬間、エミルの存在はふたつあった。
エミルは邂逅者だ。だから魂をふたつ持っている。
だからそれを利用して、精巧な自分の分身を創り出したのだろう。
「しっかし自分の魂を斬らせるなんて恐ろしい魔法、よくもまあ……」
俺も邂逅者だが、そんなことは思いもつかない。
いや、思いついたとしてもどんな影響があるのかわからないから、決して実行はしないだろう。
これがエミルの言っていた賭けだったのか……
あの夢も関係なくてよかった……
と、ホッと息を吐いた。
「さて、それじゃあ俺も頑張るか!」
エミルが勝ったことによって勝敗は三対三。
最後の試合に俺が勝てば魔法科学院が優勝、だが俺が負けてしまえば……。
「ヴァレッタ先輩にどんな罰を受けるか……」
あの先輩なら、自分も罰する代わりにみんなも本気で罰するだろう。
「これは負けられないな……」
案内が来るのを待つ間、試合場を確認すると、エミルが試合場から出ようと歩き出すところだった。
「──!」
しかしその次の光景を目にした俺は声を失った。
スコットが右手に握る真っ赤に妬けた剣を、立ち去ろうとしたエミルの背中に突き立てたのだ。
「──ミル……?」
なにが起きているのか、なんでこんなことになっているのか、まったく意味がわからなかった。
あれもエミルの魂を分けた分身か……?
そう思った。思いたかった。
それは俺だけではなく、試合場を見ていた誰もがそう考えただろう。
「──エミル……?」
しかし先ほどの分身とは違い、姿を消すことはなくエミルの身体が地に崩れ落ちた。
そして観覧席から先ほどとは比べ物にならないほど大きな悲鳴が上がる。
「──嘘……だろ……エミル……?」
振り払ったはずの夢の映像が頭の中で流れ始める。
「まさか……」
係の者が試合場になだれ込み、スコットを取り押さえる。
「そんな……」
治癒師がエミルの脇に駆け寄り、治癒魔法を行使する。
「なんで……」
ここから見えるエミルは動く様子がない。
大闘技場全体が大混乱に陥る。
「──エミルッ!」
「──っエミルぅううッ!!!」
俺は観覧席の扉を蹴破ると、試合場へ全力疾走した。
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