第189話 休めない休日・四の鐘



「ちょ、ちょっとモーリス! こんな場所になにをしに──」


「なにをしにって、お前に家を見せに来たんだよ」


「い、家!? 家って誰の──」


「んなのわざわざお前を連れてきたんだ。お前の家に決まってるだろう」


「お、俺の!? 俺の家ッ!?」


「ああ。俺の家は城だからな」


 そんなの知ってるよ!

 そういうことじゃなくて、ああ、意味がわからない。

 いや、たしかに昔モーリスに家を頼んだが──


「って、なんでよりにもよってクロスヴァルトの隣なんですかッ! 不味いですって! 考えられませんよ! 常識疑いますよ!」


「あんまりでかい声出すとお隣さんに迷惑だぞ?」


「──!」


「ま、聞こえないだろうけどな。いいじゃねーか。『ちょっと料理つくりすぎちゃったんでー』とか言ってお裾分け持っていけるぞ?」


 冗談じゃない!

 いくらモーリスが用意してくれたといってもこんなのあり得ない!

 今回ばかりは断固拒否だ!

 貴族街のこんなに広い家、俺のような平民が住んでいいわけがない!

 しかもクロスヴァルトの隣だなんて!


「とにかくこんな豪華な家に住めませんからっ!」


「おいおい、そんなこと言うなよ」


「モーリスだって女性を連れ込めないように小さい家にするとか言ってたじゃないですか!」


「なんだ、憶えてたのかよ、記憶力良いなお前。まあ確かにあのときはそんなようなこと言った気もするが、資金には困らなかったからな」


「困らないって……まさかあの水晶貨をすべて使ったんじゃないでしょうね」


 嫌な予感に、眼を細めてモーリスを見る。


「ん? 使ったぞ? というか足りなかったから報奨金も使ったが」


 報奨金って、あの神抗騒乱のか!


「余ったら治療院や孤児院に寄付するって──」


「魔道具が高かったんだから仕方ないだろう」


「え、魔道具……?」


「なにを隠そうこの屋敷には俺が大陸中から集めた魔道具がふんだんに使われている。ラルク、時計って知ってるか?」


「……鐘がなくても詳しい時刻を知ることができる魔道具」


「正解。まあ学院にもあるからな。各部屋にあれの小さいものが設置されている。手のひらに乗るほど小さくなったものもあるぞ? 他には──」


 くそ!

 魔道具で俺を釣ろうとして!


「結界石柱に自律回復鉄、水生成装置に調理加熱炉、日が沈むと自動的に灯る照明もつけてある」


「……へぇ……そんな魔道具もあるんですね……」


 興味を惹かれるものばかりじゃないか!


「なんだよ、冷めた顔しやがって。魔力がないお前でも使えるように考えてやったんだぞ?」


「……はあ」


 それは嬉しいけど!

 でも!

 でも!


「折れた宝剣でも一晩で修復する魔道具や、指定した強さで鍛練の相手になってくれる木偶なんてものも買っておいたぞ? まあ、この辺は俺の趣味全開だけどな」

 

「……へえ」


 なんだそれ!

 どこでそんなもの仕入れてきたんだ!


「そういやラルク、夢見石って聞いたことあるか?」


「……ありませんけど……」


 なんだ!?

 夢見石って!


「枕元に置いておくだけで夢の世界に旅ができる石らしいぞ。これが結構高かったんだなぁ」


「……本物ですか? それ……」


 夢の世界に行ける!?

 そんなものがあるなんて!?


「それはお前が確かめろ。ここにある物はすべてお前の者なんだからな。どうだ、中を見てみるか?」


「……」


 見たい!

 この目で直接魔道具の数々を見てみたい!


「んだよ。はっきりしろって」


「……まあ……見るだけなら……」


「見たらきっと気が変わるぞ? それだけ逸品を取り揃えておいたからな」


「ま、まあ、少しだけなら……」


「よし。じゃあ開けるぞ?」


 モーリス(魔道具)の誘惑に負けて敷地に足を踏み入れようとしたそのとき──


『おーい! ラルククーン!』


 ──げっ!

 その声は!


『上着で制服が見えなかったから似た人だと思ったよぉ!』


 しまった! アリーシア先輩だ!

 もうそんな時間か!


 アリーシア先輩がここにいるということは──


『本当だ! おーい、線なし君! こっちこっち! やっぱり来ることにしたんだ! 体調大丈夫なの?』


 ヴァレッタ先輩……

 ああ、終わった……

 最悪だ……のこのことモーリスについてきたばかりに……


「どうしたラルク。あの制服、お前の知り合いか?」


「はい……先輩です……昨日の件でクロスヴァルトの屋敷に呼ばれたんです」


「ってことはお前もか。なんだよ早く言えよ!」


「俺は今日は体調が──」


「そうかそうか、んじゃ屋敷は今度ゆっくり案内してやるよ。その後に鍵を渡すから楽しみにしてろよ? ──しかしクロスヴァルトに乗り込むとは、お前も大人になったな!」


 モーリスが俺の方をポンポンと叩く。


「違っ──」


『ラルククーンッ! ほら、向こうでみんな待ってるよ! 四の鐘に遅れたらまずいから早くおいでよ!』


「じゃあな、ラルク。しっかりやれよ」


 そういうとモーリスはコンスタンティン邸へ戻っていってしまった。

 俺はというと──


『アリーシア先輩の視力……完璧にドジを踏んだ……』


 走って逃げだしたい衝動に駆られるも、ここでそうするわけにもいかず、トボトボと先輩たちの下へ向かったのだった。






 ◆







「わざわざ来てもらってすまないね」


 高価そうな調度品が並ぶ応接室で、壮年の男が口元に蓄えた髭を弄りながら低い声を発した。

 深く沈む腰掛けに身を委ねた恰幅の良いこの男は、スレイヤ王国の貴族、ステファイド=クロスヴァルト侯爵だ。

 久しぶりに見た父様は、以前と比較してふた回りほど腹が出てはいるものの、頬はこけ、酷くやつれているように見えた。


 俺は一番端の席に座り、目立たぬようになるべく下を向いていた。


「娘たちを助けてくれた生徒の中にはサウスヴァルトのお嬢さんもいると聞いたので、私から直接礼を伝えたくてね。みなさん、娘を助けてくれてありがとう」


 他人に頭を下げる父様など始めて見た気がする。

 そしてその隣に座るふたりの少女──ネルフィとミルフィも父様に合わせて頭を下げる。

 妹たちの反対側に座っているマーカスは、偉そうにのけ反り返っていた。


「侯爵直々にお礼をいただくなど、畏れ多いことです」


 俺たちは侯爵との受け答えのすべてをヴァレッタ先輩に任せていた。

 『私に任せておいて』とヴァレッタ先輩が言い出したのだが、俺はその気遣いがとても有難かった。

 フレディアも口には出さないが、明らかに安心した顔をしていた。


「ヴァレッタさん、でしたな? 父上は息災ですかな? ヴァレッタさんとも随分と久しぶりのような気がするが……いつ以来になりますかな」


「はい。お陰さまで父も……元気にしております。以前お会いしたのは、私が赤狼の森に遊びに行かさせていただいた際ですから、もうかれこれ十年になりますわ」


 十年前……

 俺が四歳のときにクロスヴァルトに来たことがあったのか……

 全く記憶にないな。


「もうそんなになりますか……いや、お美しくなられて、これなら悪い虫が付かないよう父上が大切にしまっておくのも頷けますな!」


「とんでもないことでございますわ。社交界は私がすべてお断りしておりますの。サウスヴァルトは表に出ない方が皆さまのためにもなりますで」


 みんなのためになる?

 どういうことだろう──

 

 父様とヴァレッタ先輩の会話も気にはなるが、俺はそれよりも感情の無い人形のような様相のネルフィとミルフィに目が釘付けになっていた。


 無表情、無感情……なにか、そういった仮面を被ってでもいるかのように眉ひとつ動かさない。

 

 まるで抜け殻のようだ……

 七年前はあれほど表現豊かだったというのに……


 俺は自分の素性を疑われるかもしれないという緊張感よりも、他人の魂と入れ替わってしまったかのような妹に対する違和感の方が勝っていた。





「──君は瞳も髪も黒いが、生まれからしてそうなのかね?」


「え……」


「彼は『無魔の黒禍』に憧れているそうで、その影響でこの格好をしているそうです。我が学院にもそういった生徒は多いのですよ?」


 妹に意識を取られていたということもあり、突然話を振られて言葉に詰まった俺を、ヴァレッタ先輩が打ち合わせ通り絶妙なタイミングで救ってくれた。


「ふむ……憧れ……」


「父様、そろそろ稽古の時間です。僕は失礼してよろしいでしょうか」


 終始つまらなさそうにしていたマーカスだったが、離席を許されると挨拶もせずに退出した。


 結局一言の発言もなく、俺たちとは一切会話を交わさなかった。


 だが、部屋を出るなり


『おい! なぜサウスヴァルトなど屋敷に入れたのだ! それにあの黒髪の男! 不快でしかないぞ!』


 家の者を怒鳴りつける声が俺たちにも聞こえてきた。


「や、済まない、皆さん。あれは昨日のことを私に叱られ、少し気が立っているのです。本人に悪意はないのでどうかご勘弁を」


 侯爵が困り顔で言い訳をする。

 以前の父様であれば、息子であろうとそんな無礼な態度を許しておくはずがないのだが……

 いったいどうしたというのか。

 昨日のことも本当に叱ったのだろうか。

 なんというか、すべてがちぐはぐに見える。


 俺の知っている家族の像はそこには無かった。

 まったく知らない家族を見させられているようだった。


「お気になさらずに。クロスヴァルトとサウスヴァルト間の緊張も雪解けの兆しが見えると良いのですが」


 ヴァレッタ先輩が意味有りげな発言をする。が、これに対して父様はなにも答えなかった。




 ◆




 どうなることかと気を揉んでいたが、俺のことは最後まで気付かれずに侯爵との面会は終了した。


 帰りがけ、初老の執事から五人それぞれに包み紙が手渡された。






「お疲れ様でした。みんな肩が凝ったでしょう」


 クロスヴァルトの敷地が見えなくなったあたりで、ヴァレッタ先輩が俺たちを労った。


「僕はそうでもないけれどね、ラルクにはキツかったんじゃないかい?」


 アーサー先輩がそう言いながら俺の肩を揉む。


「はは、二度目があるなら遠慮したいところです……」


「安心したまえ、侯爵にお会いできるなんてそうそうないことだよ」


 貴族の家系のアーサー先輩も、クロスヴァルト侯爵と会ったのは初めてだという。

 まあ、普段は自領にいるのだからそれもそうだろう。


 それにしても……疲れた……

 これならどこかの国の謀反人を相手にしていた方がいくらか楽だよ……


 なんでこんなことに──と、坂道を下る班のみんなを見てため息を漏らした。





「わわ、クレール金貨だ! それも……八、九、十、十枚も入ってる!」


 早速包み紙を開いたアリーシア先輩が驚愕の声を上げた。

 そんなに? と、俺も開けてみると、金貨と──一枚の紙切れが入っていた。


 なにか書いてあるぞ?


 みんなの包みには入っていないのだろうか。俺はその紙を広げてみたところ──


『親愛なるラルクロア様──』


 書き出しの一文が目に入ってきた途端、慌ててその紙を制服の内ポケットにしまった。


 幸い誰にも気付かれていないようだ。


 だ、誰だ?

 俺のことに気が付いた人物がいる?

 ラルクロア様? 様と呼ぶということは──


「どうしたの? ラルク君」


 突然黙り込んだ俺を不思議に思ったのか、フレディアが俺のことを振り返った。


「──いやなんでもない。こんな大金もらってもいいものかと」


 早まる鼓動を抑えてそう答える。

 とにかく人のいないところで続きを読まないことには──


「昨日のことは授業の一環だから、本来であればこういうのはよくないのだけれど、侯爵ご本人からの好意を受け取らないというのは却って失礼なことよ。学院には私から報告しておくから有り難く受け取っておきなさい」


「りょーかーい!」


 アリーシア先輩が元気に返事をする。


 そういうことならもらっておくが……


 俺が知りたいのはそんなことではなかった。





「ねえ、線なし君、この後なにか予定ある?」


 『包み紙をちゃんとしまっておきなさい』とアリーシア先輩を窘めていたヴァレッタ先輩が、俺に近寄り尋ねてきた。


「この後は、冒険者街に行って用を済ませてしまうつもりです」


 アリーシア先輩が小声なので、俺もなるべく小さな声で答えた。


 早くひとりになりたかった俺は、「ですのでそろそろそっちに向かいます」と、ここで班のみんなと別れて次の目的地に急ぐことを伝えた。


「冒険者街? そんなところになにをしに行くの?」


 ヴァレッタ先輩は興味深そうに瞳を輝かせる。


「大した用事では……食堂に肉の注文をお願いしに行くだけです」


「肉? って、食べるお肉?」


 「そうです」と答えた時点で、俺は嫌な予感を察知した。


「そこまでするってことは、もしかして美味しいの?」


「……さあ……好みがありますから、どうでしょう……」


 無難な回答ではぐらかすつもりだったが


「ふ〜ん。ねえ、そこ、私もついて行っていい?」


 失敗したようだ。


「冒険者街ですよ? 先輩がいくような区画では──」


「美味しいものがあるのなら、私はどんな場所でも大丈夫よ?」


 そうだった……


「え? なになに? なんの相談?」


 するとアリーシア先輩も話に混ざってきた。


「ヴァレッタ先輩が俺と冒険者街に行くって言うんです。アリーシア先輩からもやめるように言ってもらえませんか」


「ヴァルが冒険者街に? 本当かい? それならば僕もお供しよう。あそこは荒くれ者が多いからね」


「ちょっと線なし君! 私はふたりきりで──」


「じゃあ私も行くぅ! 冒険者街なんて久し振り! ねえねえ、だったらみんなでご飯食べようよ!」


「私はふたりきりで──」


「それが良い! アリーシア、いい店知っているのかい?」


「着いてからでもなんとかなるでしょ! 懐も暖かいし!」


「ははは、アリーシアはいつもそうだ! よし、馬車を拾おう!」


 いや、先輩方、ちょっと落ち着いて!

 あの店に行くとしても貴族がいくような店ではないんですけど!


 意気投合したアリーシア先輩とアーサー先輩が、ズンズンと道を進んでいく。


「ラルク君……」


 フレディアがどうしたらいいのかわからないと俺を見てくる。


 はあ……もうこうなったら仕方ないか。

 先輩方と親睦を深めるいい機会だ。


 俺が苦笑いのまま頷くと、フレディアは先を行く先輩ふたりの背中を追いかけていった。


 こんなことになってしまった原因でもあるヴァレッタ先輩を見ると──


「な、なによこれ……」


 俺の数倍も顔を引きつらせていた。




 かくして、ひとりの時間はしばらくお預けとなってしまった。





 

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