第170話 ミレアとの約束



『なあ、今年はもう無理だろう……』


『ああ……聖教騎士、それも序列一位の騎士団長が交流戦に参加するなんて、勝てるわけがない……』


『向こう一年間は武術科学院の奴らにでかい顔をされるのか』


『はあ……都が観光客で沸いている時期になんで……』


『そういうことじゃねーの? 大勢の観客の前で魔法科学院を負かして自分たちの方が上だって知らしめたいんだろ?』


『お前、兄貴が向こうにいるんだろ? 聞いてみたらどうだ?』


 座学の授業が終わり、教官が退室すると同時に教室の中が騒々しくなる。

 中には武術科学院にいる身内と情報交換をするために、伝報矢を放つ生徒もいた。




「ねえ、どう思う?」


 階段状になっている教室の前方で騒ぐ生徒たちを見ていると、机に突っ伏した姿勢のジュエルが訊ねてきた。


「どうっ、て言われても、そうなのか、としか」


 ジュエルのだらしない格好に、そんなんでよく授業内容が理解できるな──とは言わずに短く答える。

 ジュエルは入学時に行われた筆記試験で満点を取った五人のうちのひとりだ。

 そんなジュエルに俺が、授業態度についてあれこれ言うこともない。


「交流戦、って、なんなんだろう? 僕は紅白戦しか知らなかったけれど……ラルク君、知っていたら教えてくれるかな?」


 姿勢を少しも崩さずに授業を受ける優等生代表、フレディアが俺の肩を突っつく。


「ああ、簡単に説明すると、魔法科学院と武術科学院、どちらが強いかを決める戦いだ。お互い七人の選手を選出して技を競い合わせるんだが……過去には死者も出ているらしい。両学院の間にある確執が垣間見える、因縁深い催しだ」


「死者……学生同士の力試しで死者……しかも大陸最強の聖教騎士が参加する……そんな試合に出たら……い、いくらラルク君でも……」


 俺の説明にフレディアの顔が青ざめる。


 そしてなぜ俺が戦うことになっているんだ。


「毎年冬に行われていると典範には書かれていましたが、今年はなぜ今の時期なのでしょうか?」


 今度はジュエルの向こうにいるリュエルが小首を傾げる。


「さあ……教官たちにも知らされていないらしいからな。一生徒の俺たちがあれこれ推測しても答えは出ないだろう」


 口ではそう言いつつも、どうせ古代派と現代派の派閥争いとかそんなところだろう、と心の中で苦笑する。


 エミルならなにか知っているかもしれないな……


 会う機会があったら訊いてみよう、と、荷物をまとめて


「さあ、昼にしようか、もう教室に残っているのは俺たちだけだぞ──ん? どうした?」


 席を立ったが、ジュエルがペン先で脇を突ついてきたため、そのジュエルの見ている方へ視線を向けると──


「ラ、ラルク……少しお時間よろしいでしょうか?」


 数段下で立っているミレアと目が合った。


「無論です、ミレア。──しかし、白宮には行かれなくても?」


「はい……『お昼はラルクとご一緒します』と言ってあちらはお断りいたしました……」


 心なしか元気がないように見受けられる。

 昨日の休みは家の用事で城に戻っていたと聞いていたが……。

 そこでなにかあったのだろうか。


「そうでしたか。承知いたしました、それでは参りましょうか」


 「済まないが先に行かせてもらう」と、まだ座っている三人に声をかけて、まとめた荷物を小脇に抱える。


 ミレアの後について階段を下りがてら振り返り、 


「フレディア、あとで話したいことがある。夕食が終わったら俺の部屋に来てくれ」


 そう残すと、俺とミレアは教室を出た。






 ◆






 食堂のテラス席、初夏の木漏れ日を浴びながら摂る昼食は腹も心も満たしてくれる。

 湖から吹く透明な風が、ミレアの水色の髪を優しく撫でては通り過ぎていく。


 生徒が少ないこの場所であれば、生徒たちの憧れの的であるミレアもゆっくりできるだろうし、変な噂が流れずに済むだろう。

 俺に向けられる嫉妬の視線もさほど気にならない。


 先ほどまでは暗く沈んだ表情をしていたミレアも、昼食を半分ほど食べ終え、多少は気分が切り替わったようだ。


 今は明るく会話を弾ませている。


「ふふ、約束ですよ? 昨晩お兄様から聞いたときは『わたくしだけ除け者にして!』って本気で拗ねましたから。でも結局ラルクロア様はいらっしゃらなかったとも聞いてホッとしましたが──」




 昨晩、お忍びの外出から戻ってきたモーリスに『コンスタンティン邸でラルクと待ち合わせをしていたんだ』と言われたミレアは、モーリスの足を踏みつけて酷く叱ったそうだ。

 『なぜ誘わなかったのですか!』と。

 爪先を抱えて転げまわるモーリスの姿が想像できて、つい、にやけてしまった。

 

 そして先ほど、唇を尖らすミレアから『次回ロティさんのところへ訪問する際には必ずお誘いください!』と言われたのだ。


 一応、昨日も誘おうと思っていたんだけど……

 ミレアから先に予定があると言われたから誘うことができなかったんだけどな……


 しかし結果として俺はいけなくなってしまったのだから、これで良かったわけだ。

 一カ月後の顕現祭に於いて二度目となる巫女の大役を仰せつかったミレアにとっては、次の休みが唯一の休日となる。

 それを聞いた俺は、ちょうど良かった、とばかりに、早速ミレアを誘ったのだった。




 「──次のお休みがとても楽しみです!」といって小さく笑うミレアに「私もです」と微笑んで返す。


 ミレアにとってロティは、身分こそ違えど心を許せる数少ない友人のひとりだ。しかも同性である。

 そしてそれは向こうも同じ思いだろう。

 もう七年の付き合いになり、会っている回数も俺よりも断然多い。

 だから一緒に会いに行きたい気持ちは強くて当然だ。


 ミレアの気落ちしていた原因はそこに合ったのか──と捉えた俺は


「お話とはそのことだったのですね」


 ミレアの表情を窺うが、


「……」


 ミレアはまたもや俯いてしまった。


 ──ふむ、どうやら違うらしい。

 なにか悩みでごともあるのだろうか。


 俺で解決できることであれば相談に乗ってあげたいのだが、ミレアは下を向いたまま言葉にしようとしない。


「ミレア、なにか悩みごとでもあるのですか?」


 だから思い切って俺から切り出してみた。

 もっと気の利いた台詞があるのかもしれないが、モーリスとは違って俺には思い浮かばない。


「それと、食事が冷めてしまいます」


 するとミレアは、バッ、と顔を上げ、


「──わたくし、怖いのです……」


 俺の目をまっすぐに見てそう言った。

 瞳は不安で揺らぎ、唇は微かに震えている。

 俺はミレアの真剣な眼差しを受けて全身に鳥肌が立った。

 そしてミレアから僅かにも目を逸らすことができなくなってしまった。

 

 それは、元専属の近衛として仕えるべき立場にあるスレイヤ王国第二王女に危険が迫っていることを恐れて──のことではなく、


 ミレサリア殿下……

 まるでアースシェイナ神の生まれ変わりのようだ……


 ひとりの男としてミレアのことを、ただただ美しい女性と感じてのことだった。


 だがそれは決して邪なものからくる感情などではなく、女神の神秘さに直面した敬虔な信徒が、畏れ多くもその美しさに心奪われてしまった瞬間のような心境だった。


 しかしすぐに我に返った俺は


「──いったいどうされたのですか」


 なにに対してそれほどの恐怖心を抱いているのか、ミレアの目を見たまま訊ねる。


「……まもなく顕現祭の式典が催されます。しかし、どうしてもわたくしは七年前のことを思い出してしまって……あの日、わたくしは意識を失っていたために自らの身に起こったことは憶えていないのですが、都になにが起こったのかはしっかりと聞き、この胸に刻んでいます」


 七年前──。

 俺の記憶にも鮮明に焼き付いている。


「それと同じことが、もし今回も起きてしまったら……そう思うと務めに集中できなくなってしまうのです。このような状態で神に感謝を捧げるなど……」


 指先まで震えてしまっている。

 どうやらかなり深刻な症状のようだ。


 確かに俺も人混みの中にいると『今襲撃を受けたらどうする』などといらぬ想像をしてしまい、動悸が激しくなって気分が悪くなる。

 死ぬほど師匠に鍛えられた俺でもそうなるのだ、女性であり王女であり、大切に育てられてきたミレアならなおのことだろう。


 しかし──



「──ミレア、七年前とは大きく異なります」



  七年という年月が俺を変えた。



「あのときとは違い、今の私は護るべきものがなんであるのか──」



  俺は誓った。



「そしてなぜ護りたいのか──」



  強くなると。もう失わないと。



「それを理解しています」



  だから



「ですので──」



  俺の魂の絆は



「私が大切と思うものは──」



  誰にも奪わせない。



「この命に代えてでもお護りいたします。どうぞご安心を、ミレサリア殿下」




  ────そうだろ?



 

「ありがとうございます、ラルクロア様──」


 一筋の涙を流すミレアの声に重なって


 ありがとう、キョウ……


 どこからかそう聞こえたような気がしたが、ミレアの髪を揺らす透明な風が、余韻ごと運び去っていった。





 

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