第137話 合否の通知
「いらっしゃ──、あれ? 昨日のお兄さん! また来てくれたの!?」
「はは、やあ、食事、頼めるかな……?」
「もちろん! すぐに注文取りに行くから座ってて!」
相変わらず元気のいい店員が朗らかな笑みで応じてくれた。
簡単に食事を済ませるつもりで適当な店を探していたのだが、どこの店もなんとなく敷居が高くて入りそびれてしまい、今後のことなどを考えながら歩いていたらいつの間にか冒険者街付近まで来てしまっていたのだ。
それなら昨日食べられなかったクロスヴァルト産の肉を食べよう、と思い付き、昨日と同じ店で食事することにしたのだった。
冒険者街の食堂はやはりそれだけ入りやすい。
ここまで歩いて来たこともあって、時刻もいい頃合いだ。
もうじき五の鐘の鳴るころだろう。
俺は昨日と同じ席に座ると、昨日と同じように日が傾く王都の景色を眺めながら店員が来るのを待った。
「お待たせ! 今日は何にする? サリドーレ産の新鮮な貝がたっぷり入ったから今日はそれがお勧め!」
「──じゃあ、それの蒸したのを適当に。あと、クロスヴァルトの羊肉はまだあるかな?」
「あ、気に入ってくれたんだ、ちょっと待ってて、すぐ確認してくる!」
そう言うと店員は小走りで厨房へ戻っていく。
あの少女が看板娘として頑張っている限り、この店は安泰かもしれない。
おそらく今日もすぐに満席になるのだろう。
料理も無論だが、ひょっとするとあの少女目当てで足を運んでいる客も中にはいるのかもしれない。
その証拠に少女の後ろ姿を目で追っている男の客がちらほら見受けられる。
「お待たせ! 良かったねお兄さん! あと一人前だけあるって! どうする?」
「それは幸運だ」
俺は笑顔で返すと、昨日と同じく炭焼きにしてもらうことにした。
「お兄さん珍しい髪の色だけど、どこから来たの?」
食前に頼んだ、果実酒を水で薄めたものを運んできた店員が興味深そうに訊ねてきた。
「一応スレイヤ生まれなんだけど、やっぱり黒髪黒眼は目立つかな」
「え、スレイヤなんだ、びっくり。冒険者の人の中にも髪が黒い人はいるけど、瞳まで黒い人は初めてだから。ん~、でも似合ってるからいいじゃん──うん! 目立つから遠くからでもすぐに見つけられるし!」
「はは、そう言ってくれると嬉しいよ。今日もこの見た目でちょっと嫌な思いをしたばかりだったからね」
「そうなんだ……お兄さん、こんなに良い人そうなのにね。あ、そうだ、お兄さん名前なんていうの? 教えてもらっていい? わたしはカルディナ、二十歳。気軽にルディって呼んでね?」
「え、二十歳……」
「見えないでしょ、へへ、よく未成年と間違えられるわ」
「あ、いや、俺はてっきり……ああ、俺はラルク、十四歳だ、ってルディさん、年上だったのか……」
「いいわよ、ルディで。話し方だって今まで通りで構わないわ。ね、ね、それよりラルク、昨日一緒にいた女の人たちってどういう関係?」
「どうって、どういう意味? ただ相席になっただけだけど」
「ふ~ん、そうなんだ。ねえ、あの人たち、リューイ族、でしょ? すっごい綺麗だったよね」
声の調子を一段下げたルディが顔を寄せて訊ねてくる。
やっぱり見られていたのか。
というか、それを聞くために店が忙しいというのに俺と話をしていたのか。
「えぇと、一応俺は何も見ていないことになっているから答えられないんだ。察してくれると助かるんだが……」
「へえ、ラルクって口堅いんだ。うん、冒険者は秘密は守れないと長生きできないって言うしね。──じゃあ直接聞いてみちゃおうかしら」
ん? 直接?
ルディが顔を上げ、視線を向けた方を俺も見ると、昨日と同じ格好をしたリューイ族ふたりが店の外で立っていた。
ふたりは真剣な表情で手にもっている紙きれを見つめている。
あんなところで突っ立って何をしているんだ?
不思議に思い首を傾げると
──ゴォン、ゴォン
鐘が五つ鳴り響いた。
五の時を知らせる鐘の音だ。
「きゃあぁあ! 受かったぁ! 受かりました! ジュエル! ジュエルは! ジュエルはどうっ!?」
「問題ないの! ジュエルもこの通り受かったの! これでお腹一杯お肉を食べられるの!」
「良かったぁ! ああ! 神様! ありがとうございますっ! お父様! お母様! リュエルもジュエルも無事に合格いたしました!」
突然ふたりが大はしゃぎで飛び跳ねる。
ああ、そうか、試験結果が発表されたのか。
どうやら俺の予想通り、あのふたりは合格できたようだ。
俺も確認しないといけないな。
ポケットから受験票を取り出し、合否の確認をしてみると──。
俺の受験票はキラキラと七色に輝いていた。
「お、合格か、まずは第一関門突破、というところか」
安堵に胸を撫でおろすと
「え、うそ、その受験票って……だってラルク、冒険者じゃ……」
俺の受験票を見て驚愕に目を見開いているルディが震える声でそう言った。
「いや、俺は一言もそんなこと言ってない、と思うんだが……」
「そんな! わたし、そうとは知らずにすっごい馴れ馴れしく話しかけちゃって……」
ルディは神妙な顔つきになると
「も、申し訳ございません! ラルク様!」
がばっと頭を下げた。
「ル、ルディ! よしてくれ! 俺はただの平民だ! そんなことをする必要はない!」
俺は慌ててそう言うが、ルディは頭を上げようとしない。
他の客も俺たちの席を遠巻きに見ている。
まいったな、こりゃ、どうしたらいいんだよ……
しかし次の瞬間、
「リュ、リューイ族だぞ!」
誰かがそう叫び、客の視線が一点に集中したことにより、俺とルディの間に流れた気まずい空気は霧散した。
助かった、とばかりに俺も入り口に目をやると、昨日相席したふたりが入って来る。
だが昨日とは違い、全身を隠すように着用していた外套を脱ぎ、美しい尻尾を惜しげもなく見せている。
学院に入学が決定したことで身の安全は確実に保障されることになったから、暑苦しい外套を脱いだのだろう。
尻尾と同じ金色の長い髪を優雅に揺らす姿は気品が漂っている。
しかも頭にはリューイ族の高貴な身分をあらわす大きな耳が付いている。
耳が大きければ大きいほど身分が高いと文献で読んだ。
あの大きさから察するに、おそらくあのふたりはプリメーラ連合国の貴族であろう。
貴族がパンと水とは。
まあ、それは事情があるのだろうからいいとして──。
おいおい、貴族だったのかよ……
これじゃあ俺もルディと変わらないじゃないか……
これからは冒険者街の中であっても言葉遣いや態度に気を付けよう、と自戒した。
「しかも極上だぞ!」
客が叫ぶ。
カイゼルの教育のおかげか、リューイ族を見てもいきなり飛びかかるような輩はいないようだ。
まあ、術で返り討ちにされるのが落ちだろうが。
だが客がどよめくのも仕方がないだろう。
ふたりの立ち姿はため息が出るほどに美しい。
ただでさえ豪奢な金色の髪と尻尾が、夕陽を浴びることによっていっそう輝きを増している。
昨日はちらりと見えただけだったが、顔立ちもとても整っている。
しかもそんな美少女がふたりもいるのだ。
ふたりは双子であるらしく、とても似ている。
言葉は悪いが、客が『極上』というのも納得してしまう。
「綺麗……」
ルディも声を漏らしていた。
だがふたりはそんな声を気にする風でもなく、空いている席を探している。
しかし席はすでに満席となっており、自然と四人席にひとりで座っている俺の前へとやってきて──
「あの……よろしかったら相席を──え? き、昨日の!?」
声の感じから、昨日俺の前に座った少女の方が、俺に声をかける、と同時に目を丸くした。
「おめでとうございます。その様子だと合格されたようですね」
貴族相手でも話しかけられたら応じるしかない。
俺はすっと席を立つと直接目を合わせないようにして、まずは祝いの言葉を口にした。
わざと大きな声で言ったのはここにいる客が良からぬことを考えないようにだ。
この時間に合格といえば魔法科学院、武術科学院どちらかしかない。
ふたりの見た目から魔法師だとはすぐに理解できるだろう。
案の定、客は明らかに動揺している。
ああ、ルディもだが。
噂には聞いていたが、魔法科学院の生徒というのはこれほどまでに特別扱いされるのか。
「あ、有難うございます、昨晩はご馳走していただき有難うございました。申し訳ありませんが、またご一緒させていただいてもよろしいでしょうか」
「いえ、私はもう食事を済ませましたので、たった今勘定を終えようとしたところだったのです。よろしかったら席をお譲りいたします」
俺はそういうと頭を下げて、荷物を手にした。
するとそのときルディとは別の店員が
「お待たせしました! サリドーレ産大粒貝の蒸し物と、クロスヴァルト産羊肉の炭焼きでぇす!」
料理を運んで来て、俺の席に並べた。
「……あのう? まだ召し上がっていないのでは……? ……私たちとの相席はご迷惑でしたか……?」
「い、いえ、そういうわけでは」
たじろぎそう返すと
「だったら一緒に食べるの。次会ったらお礼をしようと決めていたからちょうど良かったの」
もうひとりの少女が、肉を見ながら言う。
「姉もこう申しておりますので是非ご一緒に」
ふたりからそう言われてしまい、俺は断ることができず席に着くことにした。
「昨日のお肉食べたいの! とっても美味しかったからまた食べに来たの!」
昨日と同じように俺の隣に座った少女が、席に着くなりルディに注文する。
合格が決まったから国に帰るための費用を自由に使えるようになったのだろう。
ということは、合格発表までの間、店の入り口で立っていたのは合格と同時に肉を食べるためだったのか。
だが、
「も、申し訳ありません、クロスヴァルトの羊肉はこちらで品切れとなってしまいまして……」
ルディは緊張感を漂わせながらそう答える。
「え?」
「うそなの!」
ふたりが同時に俺の注文した肉を見る。
「楽しみにしてたの! このお肉を食べるために今日の試験頑張ったの!」
「ジュ、ジュエル! そんなに大きな声を出したら──」
「リュエルだって楽しみにしてたの! 昨日も寝言で『お肉! お肉』って言ってたの!」
「ちょ、ちょっと、ジュエル! 本当に!? やだ!」
「本当なの! 心配で起きて見てみたらよだれ垂らして──」
「キャアアアア! 言わないで! 言わないでいいから!」
俺とルディは呆気にとられていた。
ちなみにふたりの会話は他の客にも丸聞こえだ。
「あのお肉が食べたかったの……お肉……」
「ジュ、ジュエル、ほら、他のお肉を食べてみましょうよ、ほら、貝も美味しそうよ?」
俺の前に座るリュエルという少女は、そう言いながらも視線は肉に釘付けだ。
はあ…また食べられないのか……
仕方ないか、とふたりに向けて
「ではおふたりの合格のお祝いに私からその料理を
そう言い、他には聞こえないような小さな声で「昨日申した通り、私は故郷に帰ればいつでも食べることができますので」と付け加える。
「それはいけません! 次は私たちがお返しをしようと決めていたのです! 幸運にもこうしてお会いすることができたのですから、そのようないただき物をするわけには参りません!」
リュエルという少女が頑なに拒否する。
「どうか遠慮なさらずに、さあ、冷めてしまう前に召し上がってください」
「ですからそうは参りません!」
ルディも他の客も、俺と少女のやり取りを不安そうに見ている。
すると俺の隣のジュエルという少女が肉を見たまま
「……三人でわければいいの……」
ボソリと呟く。
「……」
「……」
そして俺はルディに取り分けるための皿を頼むと、店内の止まっていた時間が流れだした。
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