第88話 記憶の融合


 まるで文献に描かれていた『龍』のようだった。

 

 ──銀白色の龍。


 かがり火の灯りを透過させる八体の龍は、獲物──隠れ者──を喰らい尽くさんと大口を開けて四散する。


 精霊が顕現した今、はっきりと僕の意識に伝わってくる。

 この空間に十五人の隠れ者が身を潜めている──と。


 僕の二十メトル後方にひとり──僕を羽交い締めにしていた男だろう──と、頭上三十メトルに十四人。


 頭上の十四人はアクアとリーファに任せ、僕は後ろを振り返った。


「──隠れても無駄だ。お前の場所は精霊が教えてくれる」


 僕は頭上で響く断末魔の叫びを気にすることなく続ける。


「お前たちはこの女の人たちをどうするつもりだったんだ」


 質問する僕の左右には、宙に浮く二体の小龍が、いつでも隠れ者めがけて飛び掛かれるように牙を剥いて待機している。


「……」


 が、しかし相手は会話に応じようとしない。


「精霊が姿を現せないとはどういうことだ」


 質問を変えてみるも


「……」


 隠れ者は口を開くこともその場から動く様子も見せずに、ただ沈黙を守っている。

 言葉は通じているはずだ。

 先ほどこの隠れ者が発した言葉はアルスレイヤ共通語だった。


「お前が口を割らないのなら、天井にぶら下がっていた十四人の中の誰かから聞くことになるが」


 いつしか室内には静寂が戻っている。

 アクアとリーファが務めを果たしたのだろう。


「エミル! 隠れ者はどうしている!」


 僕は前方の気配から気と目を逸らすことなく、後ろにいるエミルに向かって声を張る。


「──! は、はい! い、いきなり、上から、ひ、人が落ちてきました!」


 エミルの口調からは、なにが起きたのかわからない、という焦りの色が伝わってくる。


「全部で何人いる!」


「──じゅ、十四……いえ、十五人の隠れ者が──意識はあるようですが、身動きは取れずにいるようです!」


 天井にぶら下がっていた十四人と、エミルを襲いに降りてきたひとり、合わせて十五人──。

 僕が感じ取った気配の数と一致している。

 ひとまず敵の脅威は排除できたようだ。


 幸か不幸かエミルには精霊が見えないようだ。

 精霊には悪いが、あんなに恐ろしい魔物の姿を見たらエミルのことだ、この場で卒倒しかねない。

 エミルの返答に、意識は隠れものに置いたまま、ちら、と後方に目をやる。と、龍を象るアクアとリーファが隠れ者を押さえつけていた。が、エミルにはその姿も見えていないものと思われる。


「わかった! エミル! こっちもすぐに終わらす! 隠れ者はそのままで構わないから、倒れている女の人たちを診てやってくれ!」


「わ、わかりました!」


 素早くエミルに指示を飛ばし、再び質問を開始する。


「お前たちは何者だ? スレイヤの者じゃないのか?」


「……」


「なぜ姿を隠せる?」


「……」


「そうか、答えないか……それなら仕方がない、然るべき場所で相応の裁きを受けるがいい」


 僕にしても隠れ者を相手に、簡単に情報を聞き出せるなどと考えてもいない。

 僕自身、今起こっていることに対して、少しでも気持ちを整理する時間が欲しいからこうして尋問めいたことをしているに過ぎない。


 そして──


「最後にお前が言っていたクジとはなんだ。僕が口にした言葉を知っているのか?」


 僕がそう質問したとき、


「……イ様の……通り……」


 隠れ者が初めて──正確には二度目だが──口を開いた。


「なんだ?」


 僕はよく聞き取れなかったと聞き返す。


「……逢えたのか……」


 今以て姿を見せない隠れ者の声は、今度ははっきりと聞き取ることができたが、しかしその言葉の意味は理解できないものだった。


「逢えた? 誰にだ?」


「九字使いの魔術師……やはりこの時代に……」


「クジ使いの……? だからそれはいったいどういう」


「──同志よ! 我らは敗北した! いつしかまためぐり逢おうぞ!」


 僕の質問には答えもせずに、突然隠れ者が大声を張り上げると同時──


「──なッ!?」


 一斉に部屋の中の隠れ者の気配が消えた。


「エミル! 隠れ者はッ! 確認してくれッ!」


 最悪の事態が頭を掠め、攫われた女の人たちを介抱していたエミルに向かって指示を出す。


「え! あ、はいッ!」


 エミルは慌てて立ち上がると、一番近くで倒れていた隠れ者に駆け寄り様子を窺う。

 するとエミルは顔色を青くして、隠れ者の頭付近にしゃがみ込むと首筋に指をあてる。


「せ、聖者さま……」


 顔面蒼白のエミルが首を横に振る。



 毒……か、もしくは呪術の類か……



 精霊は──浮かんだままだ。

 であれば、精霊を封じられて隠れ者の気配を感じ取ることができなくなった、というわけではなさそうだ。

 やはり生命が絶たれている以外には考えられない。


 自分たちの素性が白日に晒されることを良しとせず、潔く死を選んだ、というわけか。



 それも全員が……



 僕の疑問はひとつ足りとも解消されることはなく、


「逢えた……? クジ使い……? クジ……」


 むしろ反対に考えるべきことが増えてしまった。



 視線を先ほどまで質問をしていた隠れ者がいた方へと向けると──そこにはやはり彫りの深い顔立ちの男が倒れていた。


 近くで見る男の死に顔は、どこか晴れやかな表情を浮かべているようにも見えた。








 ◆








「こんな結末とは……とりあえずいったん外に出よう」


 念のため確認した隠れ者は想像通り全員が絶命していた。


「はい……」


 お師匠様にも色々と報告することが増えた。

 『攫われた人を助け出すだけだよ』──なんて簡単に言って送り出してくれたけど……


「これって大変なことだよな……」


 隠れ者どもが『様』を付けて呼ぶ誰かが関わっていること、その前では精霊を封じられてしまうこと、そうすると気配を感じられずに隠れ者どもに接近を許してしまうこと。


 そしてなにより、


「やっぱり神、が関わっているのかな……」


 その考えに辿り着き、そびえる像を見上げる。


「聖者さま……」


「ああ、ごめん、ちょっと考え事をしてて──って!」


 いきなりエミルの抱擁を受けて


「ど、どうしたの!? エミル!?」


 僕は目を白黒させてしまった。


「助けていただいてありがとうございました……」


「ちょと! エミル! まずは外に──」


 僕はハッと息を飲んだ。

 触れ合うエミルの頬を伝う、エミルの温かい涙が僕の頬までも濡らしたことに。

 隠れ者に命を奪われそうになった瞬間の恐怖が蘇ったのか──。

 僕はエミルを無下にすることができずに、為されるがまま、しばらくそうしていた。


「聖者さま……私……小さなころから見る夢があるのです……」


 夢、と聞いてか、エミルの胸から伝わる激しい鼓動が僕に伝染したのか、僕の心臓が大きく跳ねた。

 

「私が命の危機に陥ったとき、きまって黒髪の男性が私のことを、自らの命に代えてでも救おうとしてくださるのです」


「黒髪……?」


「はい。私とその男性は……夢なので私もその男性も顔がよく見えないのですが……ふたりとも今の私よりも少し大人で……十八歳くらいでしょうか。悪者に捕らえられた私を黒髪の男性が……『ミア!』と叫んで救い出してくれるのです。私はその男性こそが将来私の前に現れる、私の運命を預ける人なのだと幼心に胸をときめかせていたのです……」


「運命の……人……」

 

「はい。昨日、聖者さまの、クラックから庇っていただいたときの聖者さまの目を見て私ははっきりと思い出したのです」


「昨日……あのとき……」


「私は……私は……私は夢の中でその黒髪の男性の名を懸命に叫んでいたのです! 『キョウ! 助けて! キョウ!』と!」


 僕の顔を正面に見据えたエミルが続ける。


「そしてキョウは私のことを『ミア!』と呼ぶのです! お婆様が呼んでくださっていたように!」


「……ミ……ア……」


 ああ、知っている。

 その名は知っている。

 夢の中の、僕が救うことができなかった少女の名だ。



 でもどうしてあのとき僕は咄嗟に『ミア』と叫んだのだろう……



「……だから今日も無理を言ってご一緒させていただいて……どうしても確かめたくて……心の声がそう強く訴えるのです」



 心の、声……それで昨晩はあんなに思いつめた顔を…… 



「エミル、でもなぜそんなに泣いているんだ?」


「聖者さまも……なぜ涙を流していらっしゃるのですか?」


 涙……? 僕が……涙……?

 僕の涙はクロスヴァルトを出る際に流した涙で尽きたはずだ。

 それなのに


「あ、れ……?」


 どうしてだろう。

 エミルの言う通り、僕の両目からは堰が切れたかのように涙が溢れ出ていた。


「魂が震えているのです。今日この日をどれだけ永きに亘り待ち続けたことでしょうか……」


 僕の涙をそっと指で拭ったエミルが、まさに聖女そのものの美しい笑みで僕を見つめる。


「魂……が? あ、邂逅者……」



 『エミルも邂逅もかもしれない』──お師匠様が言っていた言葉だ。

 それが事実なら……エミルと僕は……

 僕がキョウであるとするのならば……

 エミルは……



「聖者さま……、キョウ……」


 エミルの口から自然とその名が漏れたように、


「エミル……、ミ……ア……」


 僕も無意識下にその名を口にする。

 僕ではない僕がそうさせているかのように──。


 まるでなにかの魔法にかかったのか──と思わずにはいられないほどに、知らず知らずのうちのことだった。

 


「この先何度生まれ変わろうとも、その度に貴方を探し、こうして……貴方に恋をします……」


「こ……い……?」



 エミルは銀の瞳を潤ませて言葉を続けた。



「はい、心の声のままに、何度でも……」



 そして僕とエミルの顔は、お互いの瞳に吸い寄せられるように距離を縮めていった。





 

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