第79話 お師匠様の魔術
『……ーオ』
クロカキョウの記憶……
『……ャーオ』
加護魔術……
『……ニャーオ』
僕はどんな魔術を使ってミスティアさんを助けたんだろう。
一瞬で賊を無力化するなんて……。
『……ブニャーオ』
わからない……
クロカキョウ……と、僕……
ああ、なんだろう、この胸になにかがつかえているような感覚……
何か大切なことが抜けているような……
『ブニャァアア!!』
「う、うわ! ね、寝小丸さん! あ、す、すみません! こっちの束はもう終わりました!」
び、びっくりした!
今はお師匠様の話はいったん忘れて草刈りに集中しよう!
朝食の席でお師匠様と夢の話を終えた僕は、絶賛、お師匠様に言い渡された『草刈り』のまっ最中だ。
お師匠様から『童は鍛錬に集中するんだよ』と言われたもの、次から次へと色々なことを考えてしまい、どうしても作業が遅くなってしまう。
──そして寝小丸さんに怒られる。
ありがたいことに、寝小丸さんは僕が刈った草の束を口で咥えて運ぶのを手伝ってくれるているのだ。
ただ、どこに運んでいるのかは僕もわからない。
とにかく草刈りに意識を集中しないと。
しかし、この鎌一本でこのあたりの草を刈るなんて、どれだけかかるかわかったもんじゃないよな。
「十日はかかるか……とにかく手を動かそう」
◆
「おや、童。終わったのかい?」
なかなか先の見えない作業にひと息つこうと、腰を伸ばして休憩しているところにお師匠様がやってきた。
「お師匠様、まだ始めてから二アワルも経っていませんよ……終わるわけないですよ……」
「ん? お前さん、その鎌で草を刈るつもりかい?」
「はい。納屋を探したところ、使えそうなものはこれしかなったので」
「そうかい。なにを使ってもいいと言ったが……その様子じゃあと十年はかかるだろうね。まあ、翌年には最初に刈ったところには草が生えてきているだろうがね」
「お師匠様……いくらなんでも十年もかかるわけ……え? ま、まさか、あっちからあっちまで、全部の草を刈るんですか!?」
お師匠様が額に手をかざして遥か遠くに視線をやっているのを見て、僕はかすむ地平線を指差して大声を上げる。
「おや? わたしは庵の草すべて、と言ったはずだよ? 違うかい?」
「た、確かにそう言いましたけど……そんな……こ、この庵っていったいどのくらいの広さがあるんですか!?」
「さあ、そんなこと気にもしたことなかったからねぇ。童がその鎌を持って端まで行ってみるがいいさ」
それを聞いて一気に「十年」という言葉が現実味を帯びてきた。
「まあ、それだと寝小丸にも迷惑を掛けてしまうからね。──どれ、手本を見せてあげようかね」
そう言うとお師匠様が口を小さく動かす。
そしてお師匠様が腕を振りかざした次の瞬間──
「うわっ!!」
ゴオオ、という轟音とともに旋風が巻き起こった。かとおもうと、それが大地を滑るように一直線に突き進んでいく。
風の塊はあっと言う間に地平線の彼方に消えていった。
そしてその竜巻が通り過ぎた跡は──草は綺麗に刈られ、横幅五十メトルほどの道ができていた。
寝小丸さんが楽々と通れるほどに広く長い道だ。
「わたしならこうするね。加護魔術は本来生活を豊かにするために精霊様のお力を借りるんだよ。だからこういったことにも精霊様は喜んで力をお貸しくださる。無論、どれだけ精霊様に好かれているか、という度合いにもよるがね」
「す、すごい……」
改めて目の当たりにするお師匠様の加護魔術に、僕は感動してしまった。
ミスティアさんよりも強いだろう、とは思ってはいたが、これほどとは──。
確かにこれなら数日もあれば、この理不尽なまでに広い草原の草を刈り尽くすこともできるかもしれない。
僕にもこんなことができるようになるのか……?
まだ加護魔術のなんたるかも教えてもらっていない今の僕が、いきなりこんな真似できるはずもない。けど、ゆくゆくはこうなれるように鍛錬を積まないと!
「さあ、童。頑張るんだよ」
「はい! お師匠様! 頑張ります!」
お師匠様を見送った僕は、寝小丸さんが眠そうな目をして丸まっている横で、お師匠様の真似をしてみようと挑戦してみる。
見様見真似で右手を前に突き出し
「精霊よ! ラルクの名において命令する! 草を刈れ!」
勢いよくその手を横に払う。
「…………」
『ニャー』
「精霊よ! 草を刈れ!」
「…………」
『ニャー』
まあ、そうだよな。
でもファミアさんに聞いた通りだと思うんだけど……
何がダメなんだろう……?
そして僕はせっせと鎌を動かした。
◆
酷い夢を見た日から三日が経ち──。
今のところあの夢にうなされることはなかった。
カイゼルさんや冒険者の男の人もまだ眼が覚めていない。
エミルとはお互いの鍛錬方法が異なるため食事時以外に会うこともなく、会っても挨拶程度の会話しかしていなかった。
「寝小丸さん、全然終わらないですね」
『ニャー』
「あ、そこの束、もう縛り終わりました」
『ニャー』
「そろそろ休憩にしましょうか」
『ニャー』
そして僕は今日も雨の中、朝から寝小丸さんと一緒に延々と草刈りを続けていた。
草刈りを始めてから三日で刈れた範囲は四十メトル四方程度。
お師匠様の魔術の跡にできた道の横幅にも満たない。
それでも寝小丸さんの額程度しか刈れなかった初日と比べるとかなりの成長だ。
「ふうー、あいたた、腰が痛い……」
刈り終わって綺麗になった地面に寝っ転がると、寝小丸さんも僕の隣で丸くなる。
午後の雨が顔に振り付けるが、もう慣れっこだ。
大きく口を開けて喉を潤すと厚い雲に目をやる。
森に入ってからというもの太陽を拝んでいない。
お師匠様も『異常だね』と言っていたぐらいだから、なにか良くないことの前触れかも、なんて要らない神経を使ってしまう。
だがそんな天候とは裏腹に、こうしてなんとも平和な毎日が過ぎていく。
と言っても三日だけど。いや、一昨日は死にそうになったからまだ二日か。
「そういえば寝小丸さん、いつも食料ありがとうございます」
がばっ、と、上半身を起こして寝小丸さんにお礼を言う。
エミル曰く毎日の食卓に並ぶお肉は、寝小丸さんが狩ってきてくれているものを調理しているそうだ。
それを今朝聞いて、お礼を言わなきゃ、と思っていたところだったから今のうちに、と思い頭を下げた。
『ニャーオ』
寝小丸さんは丸まったまま、目も開けずに返事をする。
「そうだ! 僕ばっかり手伝ってもらうのは申し訳ないので、今度寝小丸さんの狩りも手伝わせてください!」
『ニャーオ』
『いいよ』と言っているのが、なんとなくわかる。
寝小丸さんとのゆるい関係もなんだか心地よくなってきた。
「さあ、そろそろもうひと頑張りしますか!」
休憩を終えて立ち上がると寝小丸さんものっそりと巨体を起こす。
そして僕はおもむろに草の束を身体の前に構えると──ぶるぶるっ、と、身震いした寝小丸さんから勢い良く飛び散る水滴から身を守る。
これを至近距離でまともに受けると洒落では済まされないくらいに痛い。
僕は何度も食らったので、もう身体が覚えたのだ。
案の定、いつものように針のような水滴がそこら中に飛び、僕が盾にした草の束にもビシビシと音を立てて当たっている。
寝小丸さんのぶるぶるが終わるまで、ぼーっと立っていると、
「きゃああ!」
僕の斜め後ろから悲鳴が聞こえてきた。
なんだ!? と、振り返ると
「い、痛ぁい、痛ぁい!」
尻もちをついて顔を手で覆っているエミルの姿が。
「──エミル!?」
悲鳴をあげたのは彼女のようだ。
僕は急いでエミルの前に立つと草の束でエミルの身体を隠す。
「──大丈夫?」
「あ、ありがとうございます、聖者さま。はい、少し驚きましたけど──」
そう言うと、エミルの全身から金色の光が放たれ──次いで銀色の髪がふわっ、と持ち上がる。
しかしそれもほんの一瞬のことで、すぐに光は止み、髪も元に戻る。
「──もう大丈夫です」
さすが聖女だ。見事なまでの速さで手当てを終えてしまった。
なんだか僅か短期間で治癒魔法の威力が増しているような気がする。
僕とエミルは別々の修行内容なので、エミルがお師匠様からどんな指導をされているの見当もつかないが、確実に成長しているのが今の魔法によって知ることができた。
僕も頑張らないと! っていっても草刈りだけど。
「何か用事でもあったの? エミル」
「はい、お師匠様が聖者さまをお呼びするようにと。カイゼル様たちがお目覚めになったようです。クラックも──」
「えッ! ほんとッ!? わかった! すぐ行く! ──寝小丸さん! ちょっと行ってきます!」
『ニャー』
「あ、聖者さま! 待ってください! ようやくふたりきりに──」
僕は草の束を寝小丸さんに渡すと、飛ぶように屋敷へ向かった。
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