第76話 ラルクからキョウへ


「到着~っと!」



 眩い突風のお陰で命からがらマールの花の採取に成功し、結果的に無傷で使いを終えた僕は、行きに要した時間の半分ほどの時間で庵まで戻ってきた。

 行きと比べて帰りは肩の荷が下りたからか、なんだかとても身体が軽く、飛んでも跳ねても少しも疲れないのだ。

 モーリスと特訓していたときと比較しても段違いに付いた体力に、自分自身少し驚いた。

 調子に乗った僕は寝小丸さんと追いかけっこのようなことをしながら来た道を戻り、蓋を開けてみれば半日以上の時間を、ずーっと走り続けていた。

 ちなみに寝小丸さんとは尻尾にぶら下がって遊べるほどには仲良くなった(と思う)。


「寝小丸さん、今回は付いてきてくれて本当にありがとうございました!」


『ンニャーオ』


 寝小丸さんに頭を下げて別れると

 

「お師匠様! ただいま戻りました!」


 屋敷にあがり意気揚々と食堂の戸を開けた。

 

「お師匠様! 冗談抜きで死ぬところでしたよ! だいたいなんなんですかあの地図……は……」


 が、お師匠様と話しているお客様の背中を見て


「す、すみません! 失礼しました!」


 慌てて身体を反転させた。


「いや、構わないよ。童、ご苦労様。──中へお入り」


 戸を閉めようとしたところをお師匠様に呼び止められて、遠慮がちに中に入る。


「予定よりだいぶ早いじゃないかい。マールの花はちゃんと──おや、童、お前さん、その瞳……」


「あ、眼帯! ちょっと部屋に戻ってきます!」


 僕は眼帯を着けていないことを思い出し、部屋に取りに行こう、と──


「いや、それはいいんだよ。それより──」


 食堂から出ようとしたところをまた呼び止められる。

 振り返ってお師匠様の顔を見ると、


「それよりその眼はどうしたんだい──ん? んん! おお!」


 お師匠様が僕の顔と──正確には左眼と──胸とを交互に見やる。


 僕はお師匠様が何のことを言っているのかわからずに、きょとん、と突っ立っていると、入口に背を向けていたお客様が僕の方を向いた。


 そして、僕とお客様の視線が交わり──


「あ、人鬼オーガに襲われていた──」


「せ、聖者様!!」


 お客様──僕が助けた少女──は大きな瞳をさらに見開き、しっとりと濡れている銀色の髪を揺らして立ち上がった。

 僕は少女が元気そうなことに安堵しながらも、

  

「せ、聖者様? なんですか、聖者様って──」


 聞き慣れない言葉にいっそう、ポカン、と口を開けて首を傾げる。

 顔を綻ばせた少女は僕の足元まで駆け寄ってくると、両膝をついてお祈りの姿勢をとる。


「ああ、アースシェイナ様! こうして再び聖者様にお会いすることが叶いました! あぁ、ありがとうございます! 心より感謝申し上げます! あぁ、あぁ……」


 そして僕の顔を見上げ──笑顔でありながらポロポロと大粒の涙を流し始めた。


「ちょ、ちょっと! なんですか! えぇと──」


「エミリアです! エミリアと申します! あぁ、聖者様!」


「ちょっとエミリアさん! ちょ、お師匠様! い、いったいなにがどうなっているんですか!?」





 ◆





「……なるほど……それで聖者……はぁぁぁ……」


 

 お師匠様が『後でわたしの部屋においで』と言い残して、マールの花をカイゼルさんたちに処方しに行っている間、エミリアさんからなぜ僕が聖者なのか──ということの一部始終を聞いた。

 なんでも人鬼オーガの動きを止めた僕の姿が神の御使いであるかのように見えたそうだ。


 そして僕はわざと大袈裟に聞こえるように盛大なため息を吐いた。


「……それ、やめてください。僕の名前はラ……」


 僕は一瞬、ラルクと名乗っていいのか、ファミアさんのときのように偽名を使ったほうがいいのか迷い、言い淀んでしまった。


「聖者様……」


 エミリアさんを見ると目尻に涙を溜めている。


「とにかく無事でよかったです。男の人もじきに目が覚めるそうですよ」


「聖者様……」


「お師匠様の言うようにしばらくここで養生していってください。まあ、僕が言うのもなんですが」


「聖者様……」


「じゃあ僕は身体の汚れを落としてくるので、どうぞごゆっくり」


「あぅ、聖者様……」



 僕は話もそこそこに、逃げるように部屋へ戻った。




 ◆




「ラルクです。お師匠様」


「──お入り」


 湯を浴びてさっぱりした僕は、お師匠様の了承を得て引き戸を開ける。

 お師匠様の部屋は僕の部屋と同じく、至って質素な造りだった。

 脚の短い机が置いてあり、それを挟み向き合う形で床に直接座る。


「童、自分の姿を見たかい?」


 なんの前触れもなく、唐突にそう言われて僕は戸惑ってしまった。


「姿……ですか?」


 膝の上に置いた自分の手に視線を落とし、両手のひらをまじまじと見る。


「ほれ、これで見てみな」


 顔をあげるとお師匠様が手鏡を机に置いた。

 僕はそれを手に取ると自分の顔の前に持っていき──


「あッ!! ひ、瞳がッ!! 黒いッ!!」


 右だけでなく左の瞳も黒く変貌していたことに驚き、後ろに仰け反ってしまった。

 

「な、どうして! いつ、いつから!」


「昨日の朝はなんともなかったよ。おそらく森の奥で何かがあったんだろうね、さあ、なにがあったのか聞かせてくれるかい?」


「森の奥……もしかして……」



 そして僕は、おかしな視線に見られたせいで大地の裂け目に落ちたこと、光る風のお陰で助かったことなどをお師匠様に話した。

 





「やっぱりそうかい」


 話を終えるとお師匠様は閉じていた目をゆっくりと開いた。


「やっぱり……?」


「アクアディーヌ様ではない精霊様が童の中にいらっしゃったから、もしや、と思ったけど──童、お前さん、リーフアウレ様にも好かれたようだね」


「リーフアウレ……様……? って、たしか風の精霊ですよね」


「ああ、そうだよ。どうやら童はリーフアウレ様とも契約を交わしたようだね」


「……え……? 僕、別に何も……」


「水の精霊様のときにも童は気が付かなかったんだろう? 風の精霊様との契約にも気付かないのは仕方がないだろうよ」


 そういうお師匠様はとても機嫌が良さそうに見える。 


「え……じゃ、じゃあ、あの光は風の精霊……だったんですか……? でもどうしてまた……」


 僕はお師匠様の突拍子もない話を受け入れられずに、まぶたを何度もしばたいた。


「まあ、そのうち実感するだろうさ。無論、そのことも修行に組み込まれているからね」




 風の精霊……が僕に……どうして僕なんだ……

 でも、いったいどんな力があるんだろう。


 そういえばアリアさんとフラちゃんを蘇生させたのって、アクアの力なのかな……

 修行のときにでもお師匠様に聞いてみようか……




「明日からはもっと大変になるよ」


「はい!」


 そして僕は悩んでいたことをお師匠様に相談してみた。


「お師匠様、さっきも思ったことなんですが、僕はみんなにラルクと名乗ってもいいのでしょうか……あまり知られないほうがいいとなると……」


「そうだねぇ、ちょいと誤魔化した方がこのあと都合がいいかねぇ……なにか良い考えでもあるのかい?」


「夢の中の人なら迷惑を掛けずに済むと思うので、キョウはどうかなと」


「キョウ……ま、良いんじゃないかい? なら童はキョウと名乗るといいよ、そうすればなお以って貴族どもの目も誤魔化せるだろう」


「──はい、お師匠様、それでは僕はこれから先、必要に応じてキョウと名乗ることにします」





「さあ、夕飯にしようかね。──あの娘にも手伝ってもらうとするかい」


「お師匠様……僕、なんだかあのエミリアって人のこと……苦手というか……」


「それも修行のうちだよ」


「…………」





 しばらく話をした後、僕とお師匠様は夕飯の支度をしに食堂へ場所を移した。







 ◆







 その夜、僕は酷い夢を見た。


 眼が覚めてなお、胸は掻き毟られ呼吸が荒く、心は焦燥感に支配され、そして全身は怒りに震えていた。

 握りしめた拳からは真っ赤な血が滲み、両頬には熱い涙が伝っていた。


 こんな夢を運んだ巫女に憎しみを募らせずにはいられなかった。



 夢の中で知り合ったクロカミアという少女──。



 この少女が、なにもできずにいる僕の目の前で殺される夢だった。



 それは目を覆いたくなるほど惨たらしい殺され方だった。





 


 

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