第65話 人の命を助けるということ


 な、なんでこんな場所に!?


 あのあと帰らなかったのか?

 絶好の機会チャンスだったのに?

 それとも人鬼オーガが目覚めてしまって、ここまで逃げてきたのか?


 どうして……


 どちらにしてもあのときの人が今ここで倒れていることには変わりはない。

 とすると、この男の人は人鬼オーガの角を切り取っていた人だろう。


 いったいなにが……


 僕はまだ近くにこのふたりを襲った魔物がいるかもしれない、と、耳をそばだてて周囲を警戒した。が、


 気配は……ないな


 わかる範囲では魔物のものと思しき嫌な感覚はなかった。


 魔物じゃないのか?


「う……」


 そのとき、なにかに縋るように女の人が両手を持ち上げ苦しそうに喘いだ。


「だ、大丈夫ですか!」


 僕はその手を取ると続けて声をかけた。


「なにがあったんですか! 怪我は、痛い箇所はありますか!」


「……ク……は……」


 なにを言っているのかわからないけど、彷徨う瞳からなにかを探しているように思える。


「しっかりしてください! もうひとりも無事です!」


 そう伝えると女の人は弱々しい笑みを浮かべる。

 男の人のことが心配だったのだろう。


「どうしたんですか! なにがあったんですか!」


「……が……て」


 口元に耳を近付けても聞き取れない。

 体力の限界なのか、女の人の呼吸が細く弱くなっていく。


「魔力枯渇か!?」


 奪魔人鬼アブソーブオーガに魔力を吸収されてしまったのか!


 普通の人間は、魔力がゼロになってしまうと生命活動が著しく低下してしまう──ばかりでなく、最悪の場合は死に至る場合もある。


「このままではふたりとも命が危険だ!」


 でも、僕ができることといっても……だれか大人がいてくれたら……


 大人と考えたところでファミアさんから貰った呼び合わせの石のことを思い出したが、僕に馴染むまで七日は使えないと言っていたことも同時に思い出し、ファミアさんに頼ることは早々に断念した。

 このふたりの具合から察するに、どう見ても七日は持たないだろう。



 イリノイさんから渡された地図に緊急事態の際の対応策が書いていないか目を皿のようにして隅から隅まで読み返すも、そういったことは書かれていなかった。

 ため息を吐いた僕は地図を内ポケットにしまい、ふたりに目を落とす。


「安静にするのが一番だと思うんだけど……」


 なんにせよこのまま野ざらしというわけにはいかない。

 たが、周りを見回しても雨に当たらずに休めるような場所が──


「庵なら……」


 無茶なことなどわかっている。


 ここまでひとりでたどり着くのも苦労したというのに、残り一層とはいえ大人ふたりも担いで進むなんて、無謀な行為としか考えられない。


 もし僕が途中で体力が尽きたら──

 もしまた人鬼オーガのような残忍な魔物に出くわしたら──

 もし移動の最中、ふたりが亡くなってしまったら──


 もの凄く後悔するだろう。


 だが今、この場所から森の外まで戻るにしても三日はかかる。

 森の外に出ても運良く大人がいるかもわからないし、そこからレイクホールの街まではさらに三日もかかる。

 かといって暖をとることもできないこの場にとどまって介抱したとしてもジリ貧だ。

 先に進めば地図を見る限りでは明日の夜には門に着けるだろう。五層の門から庵まではすぐの場所だ。


 うまくいけば一日かからずに庵までいけるかもしれない


 そう計算すると、三層戻るよりも一層進んだ方が距離的には近いし、休む場所をすぐに提供できる。


 勝手に知らない人を連れていったりしたら、イリノイさんはなんていうだろう。

 でもこれは緊急事態だ、人助けなんだ。

 イリノイさんも理解してくれるだろう。


 薬草が保管されていればなおのこといい。イリノイさんが来るまでの間持ちこたえられれば……


 四層は未知の領域だから時間がどれほどかかるかわからない。

 だが、僕は──


「魔物が出たら頼むぞ! アクア!」


 もうひとりではない。

 無論、こんな状況でも返事などないが、いざというときに頼れる相棒がいる。

 そのことも前と比べて僕の取れる選択の幅が広がる要因になっていた。

 アクアの存在がなければ間違いなくもっと狼狽えていただろう。



 僕は大きな木の皮を剥がすと片側に木の蔓を結いつけ即席の担架をふたつ作り上げた。それに男の人と女の人を乗せると蔓を引っ張り少し歩いてみる。


 だが踏ん張ろうと力を込めれば込めるほど、ぬかるんだ地面に足を取られ、杳として前に進まない。


 これは厳しいか……


 木の皮も泥にめり込んだままピクリとも動かない。

 両肩にかけた蔓は身体に食い込み、激しい痛みに襲われる。



 別の方法で試してみるか?

 もっと小さな力で動かせるように……。

 小さな力で──あ!


「アクアに凍らせてもらおう!」


 どうしたものか逡巡していたとき、子どものころ、凍った池に蹴り込んだ石が少しの力で遠くまで滑っていった映像を思い出した。

 あれなら摩擦も少ないし少しの力で済むから、疲れることなく進めるかもしれない。


 そうと決まれば──


「アクア! この木の皮の底の部分を凍らせて!」



 …………。



 あ、そうか。

 ファミアさんから教わった加護魔術の詠唱でないとダメか。


「ラルクの名においてアクアを使役する! この担架の底を凍らせろ!」



 すると淡い光の珠がポッポッとふたつ現れて担架に吸い込まれていくと、


「おお! 動くぞ!」


 軽く引っ張っただけなのに、なんの負荷もなくスーッと滑り出した。


「ありがとう、アクア! でもふたりの背中は凍らせないようにしてあげてね!」


 そして僕は休む間も無く四層の門をくぐった。




 

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