第54話 銀風の旋律との出会い



 階級の低い魔術師や戦う術を持たない者に於いて、魔物の動向を探ったうえで狩りや自身の防衛に役立てるという行為はほぼ不可能に等しい。

 訓練された第五階級以上の魔術師であれば魔物の魔力を探知し、個体名から強さ、彼我の距離などを把握することもできる。が、しかしそれも一度に受け取る情報量、すなわちある一定の範囲内に於ける魔物の数によって正確さが左右されてしまう。

 つまり、十分に訓練された第五級以上の魔術師であることを大前提として、なおかつ自分を基点として半径約百メトル内に存在する魔物の数が十数体程度であれば、情報は正確に受け取ることができる、ということである。

 それより広範囲に亘る索敵であれば魔力を感知できず、それ以上の数であれば魔物同士の魔力が干渉しあい、数、強さ、魔物との距離などの情報も不明瞭なものとなり、あまり意味をなさない。無論、そのときの魔術師の体調の良し悪しにより多少の誤差も生じてしまう。


 上位の魔術師でさえ魔物と対峙するには相応の注意を必要とするのである。では階級の低い魔術師や弱者が魔物の生息エリアに意図せずに侵入してしまった場合どう対処をすれば最善といえるのか。


 獣と違い極端に排泄物が少ない魔物は、生活痕を残さない。よって足跡や草木に絡まった僅かな体毛から判断する必要がある。ゆえに『魔物の動向を探ったうえで狩りや自身の防衛に役立てるという行為はほぼ不可能に等しい』のである。

 それでも敢えて正解を挙げるのであれば、魔物の脅威を知る者が口を揃えて語る『魔物に対する知識がなければ魔物には近付くな』である。

 

 しかし、本来その場所に生息するはずのない魔物が突如として目の前に現れてしまった場合は──。




 試練の森第三層。

 門をくぐって三アワルの場所に窮地に陥る数人の集団の姿があった。

 集団といっても地に立っているのは二人。残る四人は既に──息をしているのかしていないのかは別にして──倒れ伏していた。

  

「──だ、大丈夫か、エミル」


 背中あわせの姿勢で立っている二人のうち男の方が女に向かって声をかけた。

 男は剣を正眼に構えてはいるが息は荒く、切っ先が上下にぶれてしまっている。


「──スコット……私、も、もう、魔力が……」


 その男に女が声を返す。

 細く消え入りそうな声は体力の限界からか。事実、女の膝は震え、今にも崩れ落ちそうだ。 


 「くっ、何故こんなことに──」男が悔しげに唇を噛んだ。



 最近レイクホールにやってきた六人の冒険者集団パーティ『銀風の旋律』は結成八年の中堅パーティだ。

 中堅であるにもかかわらず難易度の高い試練の森に足を踏み入れたのは、リーダーであるスコットがエミルの第五階級魔法師としての腕を信頼してのことであった。


 第五階級現代魔法師として教会で奉仕活動を行っていたエミルは、十五歳になったその日からしつこくスコットにパーティメンバーになるよう勧誘されていた。

 エミルも当初は断っていたのだが、スコットと同じ銀風の旋律のメンバーであり幼いころからの知り合いでもあるクラックからも頼みこまれ、一年間だけならばという条件付きの下、手伝うことを決めたのだ。

 

 十五歳のエミルにとっては一大決心であったが、二十八歳のスコットはというと、念願だった試練の森深くに眠る鉱石や晶石の採取を、より安全かつ効率的に行う手段として、且つ欲の皮が突っ張っていない生真面目な少女であれば分け前が少なくて済む──程度の考えだった。

 さらには、あわよくば『ブレナントの聖女』と称えられるエミルを我が物にしようという考えもあってのことだった。



 

 三日前から降り出した冷たい雨は一向に止む気配を見せない。

 視界は悪く足元はぬかるみ、体力と体温を容赦なく奪っていく。二人を取り巻く過酷な環境は対魔物に於ける戦況の不利を如実に物語っていた。

 

 しかし、二人に目の前にはそれぞれ二体ずつ、計四体の魔物の姿がある。

 魔奪人鬼アブソーブオーガ──。

 言葉こそ発することはできないが、防具や武器を使いこなす、知能を持つ人型の魔物だ。

 さらにこの魔物はその名の通り相手の魔力を吸収する。

 試練の森に生息する魔物の大半は魔物以外から魔力を奪うことで生命活動を持続させる魔力吸収アブソーブという特殊な能力を持っている。

 だが、それらは深層地帯といわれる第五層以降に生息している魔物のはずだ。少なくともスコットの知る限りではこんなに浅い層で確認された例はなかった。

 それが何故第三層に、しかも門のすぐ近くに出現したのかはスコットの理解を遥かに超えてしまっていた。


 他のパーティーメンバーは十七歳になったばかりのクラックを含め、為すすべなく魔奪人鬼アブソーブオーガの振るう剣の前に倒れてしまった。

 魔奪人鬼アブソーブオーガ四体など、仮に一体だけであったとしてもギルド総出で討伐隊を組んだところで対処できるかどうか。

 力で押す第一階級魔法師か魔物の扱いに長けている聖教騎士でもない限り、この窮地から生還する手立てを持つ者はいないだろう。

 そのようなことは、ここまでの道中、思ったよりもエミルに執心してしまい、共にエミルに想いを寄せるクラックが邪魔になったがために事故に見せかけてクラックを魔物に殺させようとしたスコットであってもわかっていた。

 ついでに第一層、第二層と魔物の姿がなく、焦ったスコットが森の異変を訴えるメンバーの忠告を無視して第三層に突っ込んだがための、いってみれば自業自得であることも同時に解していた。


 「グッ、何故──」二体の魔奪人鬼アブソーブオーガが振り上げる剣を絶望の眼差しで見つめるスコットの口から二度目の呻き声が漏れ出る。

 それは試練の森を侮っていたことに対する後悔の念か、エミルをその手に出来なかったことに対する無念の思いか。




 「ああ、もう駄目……」


 倒れ伏す仲間に回復魔法をかけ続けていたエミルが小さい呟きと共にその場に膝を突く。

 エミルは小さな身体で、小さな手で、生死にすら確認できない仲間たちに最後まで回復魔法を行使していたのだ。

 ブレナントの聖女として、銀風の旋律の回復役として。

 しかし魔奪人鬼アブソーブオーガに全ての魔力を吸われ、もう切り傷一つ直す力も残っていなかった。

 そしてエミルは震える手で、腰に差していた刃物を抜いた。

 エミル自身、この旅で初めて手にした短刀だった。が、その短刀ではとてもではないが魔奪人鬼アブソーブオーガに太刀打ちすることなどできない。

 いくら冒険者となってから日の浅いエミルにしてもその程度の洞察力はあるだろう。

 ではどうするのか。

 エミルはとても十五歳とは思えぬ覚悟の決まった表情を浮かべると、短刀の刃先を自分の喉元へ持っていった。

 そして震える手で刃先を喉に押し付け、震える声で


「お父様、お母様……」小さく呟く。


 

 人鬼オーガであればきっと女である私を凌辱するはず──。

 そのために、このパーティーで唯一の女である私を最後まで生かしておいたのだろう──。

 


 そう冷静に判断したエミルは、清い身のままの死を選択したのだった。

 人鬼オーガ人豚オークなど、人族の女を汚すことで快楽を得る魔物もいる。

 そのことを知るエミルは清廉なまでに自ら命を絶つ道を選んだのだ。


 十五歳のエミルは自分から想いを寄せる異性など居はしなかった。

 七歳のころからブレナントの街にある教会で、回復魔法を活かして多くの人々の命を救ってきたエミルは、その飛び抜けた容姿も相まって救った命の数よりも多くの異性から交際や婚姻を申し込まれてきた。

 しかし、エミルはそのような申し入れをすべて断り、人々の救いに人生の全てを捧げる決意をしていたのだった。

 そんなエミルでもやはりいざ躰を許すことがあるのであれば愛する人が良い、とは当然考えていた。


 だから人鬼オーガに身を穢されるくらいなら死を選ぶ、と、聖女として、女として決意をしたのだった。



 喉元に水平に向けられた刃が雨を弾く。


 この大量に降りしきる雨の下ならば私の血もすぐに流れてしまうでしょう──


 エミルは目を閉じると最後の力で短刀を喉に押し込んだ。






 ◆ 

 





「失敗だったかな……」


 イリノイさんの言い付けを忠実に守るにあたって人に出くわしたらマズイという思いが先に立ち、人気のない方の道を進んだのが間違いだった。


「魔物だらけじゃないか……」


 第一層、第二層と違い、試練の森第三層の地は魔物の足跡で埋め尽くされていた。

 でも幸いなことに降り続く雨のせいで地面がぬかるみ、足跡が残りやすくなっているお陰でどの魔物がどこにいるのかがわかりやすい。

 注意して見れば体毛も残っているため成体かどうかの判断も容易だ。


「でもこんなに魔物が多いとは……」


 来た道を戻って魔物が狩られた後の道を進むか、小さい身体を活かしてこのまま隠れながら門を目指すか。

 どうしよう。


──ぐうぅぅ


 さっきっからこれの繰り返しだ。

 戻るか進むか考えようとすると空腹が邪魔をする。

 もう、お腹が空きすぎて頭が正常に働かない。

 

「と、とにかく先に進もう……」

 

 なにが魔物がいないだ!


 僕は空腹と怒りと恐怖をイリノイさんにぶつけつつ、木々に隠れて第四層を目指していたとき、


「ん? これは人の足跡だな……それにこれは……」


 複数の足跡を発見し、身をかがめて注意深く足跡をたどっていくと


『うわっ! なんであんな魔物が──!!』


 四体の人鬼オーガの姿が目に入ってきた。



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