第31話 序列二位の騎士


「ちょっと! ミスティアさん! 待ってくださ──ぶわっぷ!!」


 ミスティアさんを追いかけて店内に駆け込んだまではいいけど、入口で立ち尽くしているミスティアさんの背中に勢いよくぶつかり、僕は顔面を強打してしまった。


「す、すみません……」


 僕は鼻を押さえて、まだ立ったままでいるミスティアさんに「どうしたんですか」と尋ねる。

 

「あ、いや、なんでもない……この街にもこのような賑やかな場所があるのかと驚いてな」


 そう言うミスティアさんの背中越しに店内を見ると、確かにお客さんでごった返していた。

 昼間に来たとき以上の繁盛ぶりだ。席は──と見回すと、一席を除いてすべて埋まっている。

 お客さんの話し声が大きくて、カランコロン、というドアが開いた音が店内に響かずに、こちらを誰も見ようとしない。

 みんな新しい客を気にもせずに、お酒やら料理やらを美味しそうに飲んで食べて会話に花を咲かしている。なんだかこっちまで愉しくなってくるような光景だ。


「確かに凄い人ですね」と僕はミスティアさんに返す。

 

 しばらく感慨深そうに店内を見入っていたミスティアさんは「店の者はいるか!」と大声を上げて奥に入っていく。

 

 そのとき初めてお客さんのひとりがミスティアさんに気が付き──


「ミ、ミスティア様っ!?」と大声で叫ぶと、僕の予想通り、その声をきっかけとして店の客全員がミスティアさんを見てざわつき始める。


「ミスティア様だと!?」


「なんで騎士様がこんな店に!!」


「ほ、本物だ! 聖教騎士様だ!!」


「あれが騎士様!? お、おれ、はじめて見るぞ!!」


 あ、やっぱりここでも……ん? 

 騎士……さま?


 すると、和気あいあいとしていた店の空気が一転、ピンと張った糸のように緊張感漂うそれに変化した。


 ほら、いわんこっちゃない。やっぱりこうなっちゃったじゃないか。

 ここではこういうことは普通なんだろうか。


 身分の高いであろう人が市井の場に顔を出す──ミスティアさんはこんな場で、万が一にでもお客さんに非礼があったらどうするつもりなんだろう。

 無礼を働いたそのお客さんが平民だった場合、良くて奴隷落ち、悪ければ打ち首になってしまうのがこの国の掟だ。


 大丈夫なのかな……


 注意深く観察すると、市場では街の人たちが気さくにミスティアさんを取り巻いていた終始和やかな雰囲気と違い、ここでは緊迫した雰囲気の中、みんながミスティアさんを遠巻きに見ている。

 しかもだいぶお酒が入っているのか赤ら顔の人までいた。

 そのことが僕の不安な気持ちに拍車をかけ


「ミスティアさん……ここは僕が……ミスティアさんは外でお待ちになっていた方が……」


 僕は怒鳴られないように言葉を濁してミスティアさんに外に出ていてほしい旨を伝える。しかし、


「おい! 店の者はどうした!」と聞く耳持たずに奥に向かって歩いていく。


 その間もお客さんは落ち着かない様子でざわざわしている。


 そのとき、「うるせぇな! 飯ぐらい静かに食ぇねぇのか!」と、後方から苛立ちを隠すことのない男の声が聞こえてきた。


 直後、店内が静まりかえる。

 今日一日で怒鳴られ慣れてしまっていた僕でも、驚いて一瞬飛び跳ねてしまうほど大きな声だ。

 誰だ誰だ、とみんなが──僕とミスティアさんも──一斉に声のした方に目を向ける。 


 するとそこにはテーブル席で食事をしている三人組の男の姿があった。赤ら顔の男たちだ。

 近くの席のお客さんからも注目を浴びていることから、どうやらその席から聞こえてきたらしい。

 ガラの悪そうな三人組が座っている席の卓上には、空になった皿が積み上げられ、お酒らしき瓶がたくさん転がっている。

 よく見ると足もとにも空瓶も転がっていた。

 

 あれだけの料理と酒を三人で平らげたというのか?

 

 三人の男たちは、自分たちに集まっている視線も気にせずに酒を飲み続けている。


「ん? なぜまだいらっしゃるのだ……?」


 三人組を観察していた僕がミスティアさんの声に気が付いて後ろを振り向くと、ミスティアさんが大声を出した三人組──ではなく、それよりも注意をひかれることでもあったのか、僕の頭上付近を見ている。

 「ふむ」と小首を傾げるミスティアさんは、続いて口の中で何かを呟いた。

 

 僕はなにかあったのかと思い「どうしました、ミスティアさん」と声を掛ける。

 しかしミスティアさんはそれに応えることなくすぐに振り返り、カウンターへ向かって歩いていってしまった。


 なんだったんだ……


 さっきからミスティアさんは何をぶつぶつ言っているんだろう。

 気にはなるけど聞いてみる勇気もない。いや、そういう癖のある人だったらそっとしておいてあげるのも優しさだ。


 僕もミスティアさんにくっついてカウンターへ向かおうと、三人組の男に一瞬だけ振り返って視線を向けると──


「おォい! そこの女ァ! お前のせいで酒がまずくなったぞッ! どォしてくれんだァッ!」

 

 三人の中のひとり、頭を剃りあげた赤ら顔の男がグラスをドンッとテーブルに置き、怒鳴りつけてきた。

 店の中が凍りついたようにいっそう静かになる。店内に入ったときに感じた和やかな空気は一掃されていた。

 男の威圧感は凄まじい。巨岩のような体に丸太のような腕、ギラついた目で真っ直ぐにミスティアさんの背中を睨みつけている。


 うわわわ! なんだってこんなときに!


 僕たちはただキノコを分けてもらいに来ただけであって、あんなに恐ろしい人とお近づきになりに来たんじゃない。


 僕はそーっと振り返って、ミスティアさんの様子を窺った。

 しかし、ミスティアさんは既にカウンターに到着していて「おい! 店の者はいないのか!」と奥に向かって叫んでいる。


 ひぃ! 無視! 無視してる!


 ミスティアさんはまったく三人組のことを意識していないようだ。

 しかし無視はまずい。あんな屈強な男にからまれたら無傷では帰れないだろう。

 もうキノコなんてどうでもいいから、あの三人組の怒りが頂点に達する前に店から出た方がいい。

 そう思った僕は大急ぎでカウンターに駆け寄り、


「ミ、ミスティアさん! 今日のところはあきらめてもう帰り──」


「聞いッてんのかッ女ァ!! お前だよッ! 金髪でアホみてェに胸のでけェお前ッ!!」


 今日は帰りましょうという僕のお願いより先に、男の下品な言葉がミスティアさんの耳に届いてしまった。


「ん? 私のことか?」とミスティアさんが振り返り、店内を見回す。

 さっき見た限りではこの店に女性客はいない。誰が見てもミスティアさんに言っていることは明らかだ。


「ち、違うと思います! み、ミスティアさん、今日はもう帰りましょう! キノコは明日にしましょう!」


 それでも僕は必死に飛び跳ねてて、ミスティアさんの視界から三人組を隠そうと努力する。


「おうッ! お前だよお前ッ! おおッ! やっぱりいい女じゃねェか! おいッお前ッ! こっちきて酌をしろッ! そうしたら不味くなった酒のことも許してやるぞッ!!」


 しかし、男は静かになってしまった店内に響き渡るような大声で、振り向いたミスティアさんを呼び付けようとする。

 僕が恐る恐るミスティアさんを見上げると、ミスティアさんの整った眉が僅かに動いた。

 お客さんも押し黙って戦々恐々とこの状況を見守っている。


「酌? なぜ私が貴様のような下賤な輩に酒を注いでやらねばならんのだ」


『ミスティアさん! 相手は酔っぱらいだから! もうほっといて帰りましょうよっ!』


「だれが酔っぱらいだァッ!? このガキャァ!!」


 小声で話したにもかかわらず、不自然なほどの静寂の中では男の耳に聞こえてしまったようだ。

 岩のような大男が血相をかえて、手に持ったグラスを僕に投げつけると、見事僕の頭に命中して鈍い音とともに粉々に砕け散った。


「──痛ッ!!」と手を頭にあてると、手のひらにぬるっと生温かい感触が伝わる。


「う、うわッ! 血だッ!!」


 手を確認すると大量の血がべっとりと付いていた。

 僕の頭部から流れ落ちた大量の血が床に滴る。

 あまり血など流した経験のない僕はそれを見ただけで腰を抜かしてしまった。


「ガキャァいいからお前がこっちこいやァ! 女ァ!」


 僕にグラスを投げつけた男が再びミスティアさんに叫ぶ。

 とそのとき、お客さんのひとりが、


「おい、あんたら他所よそもんだろ。もうその辺で止めとかねぇとどうなっても知らねえぞ」


 大男に向かって忠告のようなものをした。

 しかし──、


「ウルセェ!! 俺を誰だと思ってんだッ! 天下の冒険者ダルマー様だぞッ!!」


 今度は酒の空瓶を手に持って、それを今しがた忠告をしたお客さんに向かって投げつけた。

 丸太のようなぶっとい腕から投げられた瓶だ。僕程度の怪我では済まないだろう。

 しかしその瓶はお客さんにあたって砕ける──ことなく、どこからともなく現れた光の珠に包まれて、お客さんのテーブルの上にとん、と静かに置かれた。


 お客さんたちはホッとした様子でミスティアさんを見ている。しかし、当の三人組は目を見開いて何が起こったのか理解できずに目を見合わせている。


「おめぇどんだけ酔ってんだよ」と三人の中では一番小柄な男が大男を揶揄する。

「バッ! バカヤロゥッ!! 酔ってなんかいねえよッ!」大男がそう言うと、今度は長髪の男が

「フン、こんな辺鄙な村でも少しはできる奴がいるようじゃあないですか~あ」と髪をかきあげながら店内のお客さんたちをみやる。


「ほう。貴様ら、お祖母様の大事な客人だけでなく、レイクホールの住民にまで害をなそうというのか」


 腰を抜かしている僕の上から、背筋が凍るような冷淡な口調で放たれる声。

 大男が喚いたときよりもピリピリとした空気を感じ、ミスティアさんを見上げると、微かな笑みを浮かべていた。


「おいッ!! 早く酌しねえと暴れちまうぞッ!」


 三人組がお客さんの忠告も聞かずに騒ぎ立てる。

 するとミスティアさんが三人が座るテーブルに向かって歩き始め──、


「ミスティアさん! もう帰りましょう! 僕はなんともありませんから!」


 僕の泣きそうな声にも耳を貸さずに、


「お望み通り酌をしてやろう」


 三人組の席の上にある瓶を一本手に取った。


「わかればいいんだよッ! ほらッ!」


「次は俺だぞっ!」


「う~ん、近くで見るとますます綺麗ですね~え、お嬢さん、お名前を教えてもらえるかな~あ」


 男たちがミスティアさんの頭からつま先までを舐めるような視線で見る。

 まるで品定めしているかのようで気分が悪い。

 しかしその直後、なんとミスティアさんは瓶の中の酒を大男の剃りあげた頭にドバドバとかけ始めた。


「どうだ、美しい女に注いでもらう酒は格別か? ん? 岩ダルマ」


 お客さんたちの間から「ぷっ、岩ダルマ……」と失笑が漏れる。

 僕もあまりの小気味よさに、つい握っていた手に力が入ってしまった。


「て、てめェ!! このアマァ! 下手に出てりゃァ図に乗りやがってェッ!!」


「おい、ダルマー、こんなチンケな村で舐められたとあっちゃあ今後の冒険者活動に支障がでる! ちいとばかし痛めつけてやれよッ!」


「僕は女性には優しくしたいのですけどね~え、お嬢さんには少しばかり躾が必要なようですね~ぇ」


 そう言いながら三人組が立ち上がる。

 立ち上がった小柄な男と長髪の男の手には何かが握られている──


 ──ッ!! 

 あれは魔石ッ!! 古代魔法師かッ!!


「ミスティアさん! 危ないッ!!」


 僕が叫びながら、男たちとミスティアさんの間に割り込もうとふらつく身体で駆け寄ったとき、背を向けているミスティアさんの身体の周りに光の珠が突如現れた。

 さっと右手を振り下ろすミスティアさんの後ろ姿は、僕に『そこから動くな』と言っているように見えて、僕は身動きが取れなくなってしまう。

 次の瞬間、光の珠は三つの渦となって男たちに襲いかかり──三人の男たちを後ろに吹き飛ばしてしまった。

 凄まじい轟音とともに壁に打ち付けられた男たちは、そのまま壁を破壊して店の外まで吹っ飛んでいく。

 ゴロゴロと転がり続ける男らは、通りの中程でようやく止まった。

 三人ともピクリとも動かない。

 どうやら気を失ってしまったようだ。


 すると、


「うぉおおお!!!」


 店にいたみんながミスティアさんを称え、店内に歓声が沸き起こる。

 僕はミスティアさんの圧倒的な強さに驚いて声も出せずにいた。


 す、凄い……

 ミスティアさんって、いったい……


 僕はもう一度ミスティアさんの後ろ姿に目を移した。


 夜の街を背景に、光の珠の渦に巻きあげられた蜂蜜色の長い髪が緩やかに肩にかかっていく。

 夜風に揺れるスカートからは白く細い足が見え隠れしている。


 ミスティアさんは外で伸びている男らに向かって、


「そういえば私の名を尋ねていたな? 私はレイクホール聖教騎士団序列二位、ミスティア=ハーティスだ。もはや聞こえてはいないだろうが覚えておくがいい」

 

 そう名乗った。


 ミスティアさんがスカートを翻して、僕の方を向く。

 

 ミスティアさんは揺れる髪を耳に掛けると、


「子どもの割には勇気があるな」


 僕に向かって初めて微笑んでくれた。


 それは七歳の僕でさえ、ゾクリ、とさせられるほどに魅惑的で感動を禁じ得ない美しさだった。



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