第26話 ノイ婆とティア


「はん! さっさとこっちにおいで」


「は、はい!」


 温室は内部でさえも紅狼の森にあるものとまったく同じ作りだった。

 ガラスを通した優しい光が満遍なく降り注いでいて、陽だまりのように暖かい。

 

「あんたがラルクだね」


「ッ!? は、はい!」


 室内にはお婆さんひとりのようだ。


 門が自然に開いたからとはいえ黙って屋敷に入り込んだだけでなく、温室を覗き見ていたことを怒られるものと覚悟を決めて頭を下げると──


「あの、勝手に入ってすみませんでした……」


「はん! そこに座りな」


 意外なことにお婆さんから同席を許されたうえに紅茶まで出してくれた。


「あの、どうして僕の名を……」

「あんた、何も知らずにここまでやってきたのかい?」


 僕はなんのことだかわからずにぽかんとしていると「呆れたわらべだね、ここがあんたの探している屋敷だよ」とお婆さんが溜息を吐きながら説明をしてくれた。




 ◆




 お婆さんの話では──


 まず、ここの屋敷が僕の探していた丘の上の家で間違いないそうだ。

 お婆さん──イリノイさん──がクロスヴァルトの遠い親戚であることも教えてくれた。

 僕が来ることを父様からの伝報矢メッセージアローで知らされたイリノイさんは、ふた月も前から僕のことを待っていたのだという。

 そして僕がこの屋敷の近くで迷子になっていることをどういうわけか感知して、これまたどういうわけかここまで引き寄せたそうだ。

 あの誰かに見られていた感覚はこの人のものだったのだろうか──。

 目的の場所に着けてホッとした反面、イリノイさんの得体の知れない力に緊張感が高まり、背筋を冷たい汗が流れた。


 クロスヴァルトとの関係やイリノイさんのこと、特にイリノイさんが貴族なのか、現代派なのか古代派なのかを詳しく聞こうとしたけど「時間はたんとあるんだ! 焦るんでないよ!」とそこで怒られてしまった。


 最低限の僕の疑問が解消されると「挨拶代りに無魔の判定が出てからのことを話しな」と言われた僕は掻い摘んで、しかし要所は抑えて今までのことを説明した。


 話せることは全て──。


 話せなかったことはモーリスの素性と光の珠のこと。

 モーリスのことは本人から口止めされていたし、光の珠のことは──気味の悪い子どもと思われてここを追い出されたら路頭に迷ってしまうと思い──時期を見て話そうと考えた。

 あの光の珠は盗賊を殺してしまったんだ。モーリスはよくやった、と言ったくれたけど、この人にはどう思われるかわからない。


 それと夢のことは話しても仕方がないだろうと判断し、話さずにいた。




 ◆




「はん! どうりでなかなか来ないわけだよ、寄り道してくるなんざいい気なもんだね!」


 ひと通りの説明を終えるとイリノイさんが鼻を鳴らし僕を睨みつけた。


「はい……すみませんでした……」


 僕は萎縮して目を逸らす。

 モーリスがいたからこそここまで来られたけど、逆にモーリスに引っ張り回されたおかげでイリノイさんに怒られている。

 僕は頭の中でモーリスに恨み節を呟くことで、どうにかイリノイさんの重圧に耐えることができた。




「童、その眼帯をとってみな」


 イリノイさんが僕の右眼を顎でしゃくる。

 選択肢を間違うとすぐに怒られるから、僕は言われたとおりに眼帯を取って見せる。

 久しぶりに右眼に光が射し、僕はギュッと目をつぶってしまった。

 ゆっくり瞳を開くとただでさえ明るい温室がさらに眩しく見える。

 もう夕方に近い時間のはずなのにとても明るく感じた。


「ふん、どうやら童の父親の話は本当のようだね」


 僕の黒く変化した右眼を確認したイリノイさんがふう、と息を吐く。

 

「童よ、あたしに話してないことがあるね?」


 ドキッとした僕の表情はもう見られてしまっているだろう。


 どれのことだ? モーリスのこと? 光の珠のこと? それとも夢のこと?


「おまえ、光が見えるだろう」


 ──ッ!!


 イリノイさんが「隠しても無駄だよ」とまた僕の表情を窺ってくる。 


「おまえ、本当に元貴族かい? 根が正直すぎるね」


 やっぱり顔に出ていたのか──。


 でもイリノイさんの眼力で凄まれたら顔に出さずにいることなど、とてもじゃないけど僕にはできない。

 それもあって僕は覚悟を決めることにして


「……はい。こんなおかしなこと話してここを追い出されたら困ると思って……すみませんでした。実は──」


 全てを打ち明けた。

 三歳のころ、ピレスコークの泉で初めて見た不思議な光。

 そのころから見る不思議な夢。

 無魔の判定が出たまさにそのとき、会場を埋め尽くした閃光。

 さらには盗賊に襲われた時にもその光の珠を見たこと。

 そしてその光が人を救ったこと。


「僕にしか見えないみたいなんです。弟や妹も、屋敷に集まった貴族たちにも……」


「ハンッ!」


 イリノイさんが鼻を鳴らしただけなのに、僕はびくっと身を震わせた。

 言葉を選んだつもりなのにまた怒られるのかとびくびくしてしまう。


「そんな俗物どもに精霊様が見える訳ないだろうがッ!」


 今までで一番怒気を込めた声で、イリノイさんが吐き捨てるように言う。

 僕は反射的に首を引っ込め、肩をすぼめてしまった。が、


 え? いま、なんて……? 

 せい……れい……?


 驚くべき言葉が僕の耳に入っていたことに気が付き、ぎょっとしてイリノイさんの顔を見た。

 イリノイさんは手荒くに紅茶をカップに注ぐと勢いよく飲み干す。

 そんなイリノイさんを見て、僕の鼓動が速くなる。 


「いいかい? 童、よぉくお聞き。無魔の黒禍ってのはね──」


 何か大事な話をしようとしていたに違いないイリノイさんがピタッと口を噤み、森の方に目を向けた。

 自然と僕も息を殺し、イリノイさんが見ている森の先に目を向ける。 

 するとその数拍後、遠くから馬の蹄の音が聞こえてきた。

 

 馬……?


 どうやら馬が温室に近付いてきているらしい。イリノイさんはこのことに気が付いて話を止めたのだろう。

 やはりここに用事があったのか、入口の前でひと鳴きすると馬から誰かが降り立った。

 ここからはガラスの屈折の関係でよく見えないが、その人物は温室の扉を開けて中に入ろうとしているようだ。

 そしてその人物が扉を開け放ち──


「ノイばあ! やっぱりここにいたのね! 真っ先に来て正解だったわ! さっきまでグースカ寝ちゃっててさぁ! 起きたら昼過ぎでびっくりしちゃったわよぉ! ねえ聞いてぇ、ノイ婆! 今回の任務も大変だったんだからぁ!」


 入ってくるなり温室に備えられた水場で湯を浴び始めた。

 無論人間用に用意された湯ではない。あくまでも温室の花を育てるために、桶に溜められている温水だ。

 それを素っ裸になってジャバジャバと頭から被っている。

 フンフン鼻歌を歌いながら、こちらに背を向けて湯を浴びるその人物は──女性だった。

 腰まで伸びる蜂蜜色の髪が印象的な真っ白な肌をした女性。

 温室で湯浴みするなんて──そんなことをする女性を初めて見た僕は、驚きを隠せずにイリノイさんを見た。


「はぁ~……ティアめ、またあのようなはしたないことをしおって……」


 イリノイさんの知り合いだろうか。ため息を吐いたイリノイさんが僕に向かって肩をすくめる。

 苦笑する僕はどう頑張っても「はは、ティアさんと仰るんですね」という言葉しか出てこなかった。

 僕は右目に眼帯を付け直してイリノイさんが話の続きをしてくれるのを待つことにした。


「はぁ〜気持ちいい! 久々の湯浴みは生き返るぅ! てかお腹すいたぁ! ねぇノイ婆! あれ作って! 一年ぶりだから大盛りね! あぁ、でもそうするとまた私の腰回りにお肉がぁ! うぅ。ま、いっか! ノイ婆、やっぱり山盛りで! あ、そうそう、お土産は後からカイゼルが持ってくるからそのときねぇ!」


 なんだかとても楽しそうに湯を浴びている。

 おそらくイリノイさんのことが好きで好きでたまらないのだろう。

 躰の手入れをしながらイリノイさんに話しかける弾むような声は、言葉尻からもそのことが切々と伝わってくる。

 

 やがて湯浴みが終わったのか、水の音が止むとこちらに向かって歩いてくる足音が聞こえてきた。

 僕は気まずいな──と思いながらもちゃんと挨拶をしておこうと足音の方へ身体を向けた。


「でもまだカイゼルたち来てないのよねぇ! ホンットにどんくさいんだから! マティエスのお土産は奮発したからノイ婆も絶対気にいって……く……れ……え?」

「こんにちは。お邪魔していま──!!」


 歩いてきたのは蜂蜜色の髪をかきあげた一糸まとわぬ姿の女性──だったけど、その水晶のように透き通る裸なんかより女性の顔を見て驚いた僕が声を上げたのと、ティアという女性の悲鳴が温室に響き渡ったのは


「──母様ッ!?」


「きゃぁぁぁああああッ!!」


 まったくの同時だった。



 そしてなにかに吹き飛ばされた僕がそのまま気を失ったのも、ほぼ同時だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る