第22話 光と影


 建物に入った女は祭殿奥に見える煌やかなアースシェイナ神の像にちらと一瞥をくれると、言葉通り迷う様子もなく地下へと続く螺旋階段へ向かった。

 カツ、カツと規則正しく刻まれる靴音が湿った石壁に反響する。

 等間隔に埋め込まれた燭台がジジジ──と芯を燃やし、仄かに照らす床や天井を這う女の黒い影は、あたかも蠢く魔物のようにも見えた。


 「うむ、このカビ臭さだけはどうにも慣れないものだな」


 女が不快そうに顔をしかめ、湿気で頬に纏わり付く蜂蜜色の髪をかき上げながら愚痴る。しかしその口調からは、苦々しい表情とは裏腹に、悪臭すらも懐かしむような温もりが感じられた。




 階段を降り切った女は肩に落ちる水滴も気にせず地下通路を進み、ところどころにあるぬかるみをひょいと飛び越え、目的の場所を目指す。


 しばらくそうして進んでいると女は礼拝堂に辿り着いた。

 礼拝堂の中はいっそう暗く、奥の奥まで見通すことができない。が、僅かな灯りの下にブレキオス像と人影が見えた。

 女はガランとした礼拝堂に靴音を響かせ、像の前で祈りを捧げている人物の近くまで歩み寄ると


「ドレイズ猊下。ミスティア=ハーティス、ただ今戻りました」


 カツンと踵を鳴らし胸に拳をあてて、帰還の報告をした。

 女──ミスティア──の発した声の余韻が消え、再び静けさが戻る。

 水溜りに滴る水音だけが、この場の時が止まっていないことを知らせていた。



「──随分と遅かったな」


 不意に低く重い声が静寂を打ち破る。ドレイズと呼ばれる人物が発した声だ。

 ドレイズは祈りが深かったのか、応じるまでにたっぷりと時間をかけてから立ち上がりミスティアに向き合う。

 そのとき、淡い明りの中にドレイズの姿が浮かび上がった。

 黒一色の拝礼服で全身を包む年老いた男。

 先端がすぼまった大きな帽子を被り、首に掛かけている白い帯は床に届くほどの長さがある。顔にはいくつもの深い皺が刻まれ、窪んだ目は片方だけが異様に鋭く、怪しい輝きを発していた。 


「はっ、申し訳ありません。実はそのことで幾つかご報告があるのですが」


「──無魔の黒禍……か」


 ミスティアが敬礼を解きながら言葉を続けると、ドレイズは、またその話か、とでも言いたげにブレキオス神の像へ向き直ろうとする。


「はっ、それもあるのですがもうひとつ……実はマティエスの地で任に就いた時のことなのですが……」


「──マティエス……」


 ミスティアのもうひとつの報告に興味を持ったのか、ドレイズが再度ミスティアに正面を向ける。が、ミスティアは第三者に聞かれたくない内容であるかのように周囲を見回す。


「構わぬ、ここにはお前と私以外誰もおらぬ。申してみよ」


 しかしドレイズは、暗に、人目に付かない場所で、という態度を示すミスティアを、気にも留めずに顎をくいっと持ち上げる。


「は、私はこの夏、マティエスの村付近で防衛の任に就いたのですが、その際、マティエス村の住民からある相談を持ちかけられました。その相談とは、『村の若い娘が突如姿を消してしまう。原因を突きとめられないか』という内容のものでした。初めこそ私たちがそこまで手を貸す義理はない、と任務をたてに耳を貸さずにいたのですが、村人からおさと呼ばれる老人にこれを見させられまして──」 


 いったん話を区切ったミスティアは、騎士服の内ポケットから布切れを出し、手のひらの上で広げて見せた。 


「黒の梟……」


「は、我がレイクホールの紋、黒の梟の細工がなされた剣帯です。長老いわく、村の子どもが持っていたのを見て問い質したところ、その子どもが『村外れで拾った』と答えたそうです。そして調べると剣帯が落ちていた場所は、失踪した若い女の姿が最後に見られた場所付近だったというのです」


 ミスティアがドレイズに見せたのはマティエス村の長老から預かってきた、レイクホール領の兵が持つ剣帯だった。剣帯の留め金には黒い梟が彫られていて、レイクホール兵の所持品だと判別できるように拵えてある。

 ドレイズはそれをひと目見るとミスティアに背を向け、今度こそ完全にブレキオス像に身体を向けてしまった。

 ミスティアはドレイズの背に対して報告を続ける。


「私はそれでも若い女のことゆえ、伴侶を見つけ村から出たのか、商人の話にあてられ街に出稼ぎにいったのか、程度の考えを持ちながらも長老からこれを預かったのです。協力するとは約束はできぬが、頭の片隅に入れておこう、と。そしてそのまま荷に仕舞いこみ、任が終わるまでついぞ思い出すことがなかったのですが……」


 縦に動いたドレイズの後頭部を見て、話を続けろ、と受け取ったミスティアがさらに報告する。


「帰還途中、レイクホールまで三日というところで、野に倒れている少女を助けたのです。単に行き倒れかと推察したのですが、少女の回復を待って話を聞くと件のマティエスの村から『連れ去られたところを逃げ出してきた』と答えたのです。まさかここでその名を聞くとは、と驚くと同時に、私は長老の言葉を思い出したのです」


「その所在の知れぬ女共とレイクホールが関係していると?」


 ほんの僅かに肩を動かしたドレイズが、ミスティアの胸中を探るように聞く。


「は、マティエスに落ちていたこの剣帯と、マティエスの少女がレイクホール領で馬車から逃げ出したことに鑑みて、調べる余地はあるかと愚考致します。レイクホール閣下にご相談申し上げるより先にまずはドレイズ猊下のお耳に入れておいた方がよろしいかと思い報告させていただきました」


「……それは賢明な判断だった。して、その少女は今どうしている」


「は、カイゼルが保護しております。明日の昼にはここに到着するかと思われます」


「そうか、ハーティス、いや、ミスティ。報告御苦労であった。自室で疲れをいやすとよい」


「は。失礼致します」


 ミスティアが踵を返し立ち去ると、再び礼拝堂は水の滴る音だけしか聞こえない静かな──


「いかがいたしますか」


 ──否、水の音だけではなく、どこからともなく男の声が聞こえてきた。付け加えて言えば、この空間にいたのはミスティアとドレイズだけではなかった。


「ユーティリウス殿の耳に入る前に逃げ出した女を始末しろ」


「しかしその場合、カイゼルら聖教騎士団とも事を構えることに──」


「構わぬ。奴らの騎士団での序列は低い。優秀な換えなどいくらでも作れるのだ、これが成功した暁にはな……」


「承知しました……数アワルで女の首をお持ちいたします……」


 ブレキオス像を見上げたままのドレイズの低い声と、感情のないくぐもった声が交差する。

 そして数拍後、礼拝堂は正真正銘ドレイズの息遣いと水の滴る音のみが聞こえる厳粛な空間となった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る