14-13.魔女

「ヒューイ……」

 シンシアはベッドに固定されたヒューイの、その頬に手を触れた。少なくともまだ血が通っている、その体温。

 〝フィッシャー〟の医務室で、治療を受けたシンシアはドクタに希望した――ヒューイに会いたい、と。本来なら集中治療室に隔離すべきところ、野戦病院さながらの現状では専用のベッドをあてがわれているだけでも最大限の処遇と言っていい。

「許してくれなんて、言えねェよな……」シンシアの瞳が涙をはらむ。「お前はオレを心配してくれたのに……」

「何があったか知んないけどさ」イリーナが背後から声をかけた。「あんたは並大抵じゃできないことをやったんだ。胸を張っていいと思うよ」

 シンシアが首を振る。「オレじゃこいつの命に釣り合わねェ」

「少なくとも、」イリーナがシンシアの肩に手をやる。「他の患者はあんたに救けられたんだ。彼にどんな借りを作ったかは訊かないけど、他の連中には感謝する相手を残しとくんだね」

「……慰めてるつもりか?」シンシアがイリーナへ振り返る。

「本当のことを言ったまでさ」イリーナは苦い笑みを噛み殺してみせた。「依頼人を殺されるわ拐われるわ、散々の探偵の言葉さ。聞き流してくれても構わないよ。ただ私もあんたに救けられた一人だ。そいつは覚えておいて欲しいね」

「探偵お得意の心理戦ってヤツか?」シンシアの頬に自虐の笑み。「おだてたって何も出ないぜ」

「図太いのだけは確かだね」イリーナがシンシアの背を叩いた。「経験上、自虐趣味に走っても何も出ないってことだけは知ってる。これでもあんたよりは長く生きてきてるんだ。またあんたの力が要るかもしれないんだ、泣くときゃ思いっきり泣いときな」

 図星を差されたところで堰が切れた。眼に熱、宙に涙の粒が浮く。こみ上げる嗚咽を、シンシアは初めて自覚した。

「え……?」当惑の声がシンシアの口を衝く。

「背中で泣いてるヤツは見りゃ判るもんさ」知っていたと言わんばかりにイリーナがシンシアの肩を抱く。「仕事上、そういうのは山ほど見て来たからね」

「畜生……」シンシアの口を衝いて涙声。「畜生、畜生……畜生……」

 シンシアはそのまま泣いた。イリーナはその肩を抱き続けた。


『ワクチンできたわ!』〝キャス〟に声。『差分を埋める程度の物だけど、多分これで動くはずよ!』

 ファームウェアの修復プログラムをデータ・クリスタルに同時並列で書き込み始める。

「ブリッジス大尉!」キースが〝キャス〟からのデータ・クリスタルを手渡した。「打ち合わせた通りだ。まず航宙管制システムから試してみてくれ」

 頷いて受け取ったブリッジス大尉が、傍らに控えていた電子整備曹士へクリスタルを手渡す。「頼んだぞ」

 曹士わずかに28名、士官まで動員しても33名――データ・リンク回路のファームウェア全てを書き換えるには、連邦兵の数はあまりに少ない。小手調べを兼ねてワクチンを充てる先は管制中枢に直結した航宙管制システムが選ばれた。首尾の良し悪しが管制中枢の〝キャス〟達からすぐ判るだけでなく、上手く行けばすぐにマシン・パワーが増やせるという事情もある。

『さて、』舌なめずりさながらの気配を匂わせて〝キャス〟が告げた。『鬼と出るか蛇と出るか、やってみようじゃないの』


 何が起きたのか、にわかには理解が追いつかなかった。マリィが意識を取り戻したのは、深い星の海の中。今は――加速が終わったのか――感じられる重力はない。

「〝アレックス〟?」

「ナヴィゲータは預かっている」

 傍らに野太い声――自分を取り押さえた軍曹のそれとすぐに知れた。ゆっくりと首を巡らせると、隣には戦闘用宇宙服。ヴァイザを上げて肉声で話しかけてくる軍曹の顔――そこで、自分のヘルメットがないことに気付く。

「訊きたいことがある」

 首筋に冷たい感触――気圧式注射器。そこから伸びて軍曹の腕。下手なことを答えたらどうなるか、それは想像したくなかった。

「……質問によるわ」

 四肢に拘束の感触――シートに縛り付けられている。

「お前は何を知っている?」

 その瞳が、かすかに揺れていた。マリィがそこに見て取ったのは――迷い。

「知ってるでしょ」努めて冷静に、マリィは言い切った。「あの〝放送〟で話した通りよ」

 首筋の感触がかすかに震えた――怒り。

「その他にもあるだろう」

「他に?」マリィは片眉を踊らせてみせた。「他に知ってることなんて、何もないわ」

「ヘンダーソン大佐はそうではないと言っている」

 垣間見えた迷いこそ一縷の望みと踏んで、マリィは答えた――努めて平静に。

「大佐がどう言おうと、事実は事実よ」

「嘘をつくな!」

「ついてないわ」マリィは負けじと軍曹を見返す。「なぜそう思うの?」

「第3艦隊の犠牲が無駄だというのか!」

「結果が原因を変えるの?」眼を逸らしたら負けとばかり、マリィは軍曹の瞳に眼を据える。「なら、誰かが艦隊を全滅させたら真実が引っくり返るわけ?」

 首筋の感触が強くなる。「黙れ!」

 マリィが言葉を呑み込む。首筋の感触が震えを増した。

「お前は、」軍曹の声にかすかな震え。「真実を知っているはずだ」

 フリゲート〝オサナイ〟後部観測ドーム。星の海に囲まれてマリィが反問を打ち返す。

「それが都合の悪い事実だとしたら?」

「訊いているのはこっちだッ!」

 言葉とは裏腹に、軍曹の眼が逸れた――手応え。マリィはわずかに首を傾げた。

「魔女狩りと同じね」

「何だと!?」

「求める答えは一つだけ、〝私は魔女です〟――それ以外の事実は抹殺するのよ。そして当の本人はあの世行き、事実なんてどうだって……」

「貴様は!」軍曹の声が激した。「……貴様は大佐が独立の大義を汚したというのか!!」

「嘘をついているのは大佐の方よ」淡然と、しかしまっすぐに軍曹へ言葉を向ける。「私は何も知らないわ。だとして、あなたの知る事実が示すものは何?」

「……たぶらかすつもりか……」

「軍曹!」横合いから声が割って入る。「これ以上は訊くだけ無駄です。今からでも麻酔を……!」

「つまり!」マリィはここぞと割り込んだ。「大佐は都合のいい〝真実〟を私の口から語らせたいだけ。現実には私は何も知らないわ」

「だとして!」割り込んだ声が問う。「大佐に何の得がある!?」

「考えてみたら?」マリィは敢えて突き放す。「本当に私が何も知らないのだとして、大佐がどういうことを考えているのか」

 しばし沈黙。

「……不毛な議論です」横合いの声。「もう充分でしょう」

「何が充分なの?」マリィが静かに、しかし挑発的に問いを飛ばす。「もう何も考えられないってこと?」

「第3艦隊は貴様と引き換えにされた」軍曹が繰り返す。「何のためだ?」

「言ったでしょ、それは原因じゃないわ。ただの結果よ」

 軍曹が激した。「同志の屍が無駄だと言うか!」

「説得力を持たせるための演出だとは考えないの?」

 息を呑む――周囲に満ちてその気配。

「例えばこういうことだとしたら?」マリィが続けて言葉を紡ぐ。「ヘンダーソン大佐が欲しいのは白紙の委任状。〝テセウス〟の全権を手に入れるための口実。私に言わせたいのは一つだけ、『全て大佐の言う通り』――それ以外の事実は抹殺して、都合のいい〝真実〟だけを手に入れたいんだとしたら?」

 誰も動かなかった。マリィが問いを重ねる。

「あなた達は何に命を懸けてるの? 大佐に支配される〝テセウス〟? それとも自由?」

「ヘンダーソン大佐は!」横合いの声が反論を打ち上げる。「ゲートを封鎖した! 〝ソル〟に通じる道を絶ったんだぞ!!」

「あまりにも都合のいいタイミングでね」冷たく、しかし確実にマリィが打ち返す。「まるでサラディンのリストが公開されるのを待ってたかのように」

 反論は返って来なかった。

「……お前は何を言っているのか、理解しているのか?」軍曹の声がかすれた。

「……つまり、ヘンダーソン大佐は最初からそのつもりでいたということ――その可能性が高いわね」マリィは考えを巡らせつつ答えを紡ぐ。「最初から行政総長と通じていた可能性が。それが、機に乗じて〝テセウス〟を独占することに肚を決めた――こんなところかしら」

「貴様、命惜しさに!」

「ただ事実と可能性を話してるだけよ」なおもマリィは言い募る。「それとも、あなたも魔女狩りに加わりたいの? 考えるのをやめて、全て大佐任せにして? あなた達が命を懸けてまで果たしたいのはそういうこと?」

「軍曹!!」

「もういい」首筋の感触が離れた。軍曹の眼がマリィの瞳を見据える。「証明できるか?」

「サラディンのリストは公開した通りよ――この独立劇は全部茶番、それは事実。ヘンダーソン大佐のことは、大佐本人しか知らないわ。証明するのは――そう、不可能ね。大佐を除いて」

「では、大佐に直接訊くしかないわけか」軍曹は大きく息をついた。「……各自考えろ、彼女の言葉の真偽を。判断は任せる」

「軍曹は……?」横合いから、怯えるような問い。

「訊いてどうする」軍曹が問いを遮った。

「命令に背いてまで聞き出した結論がこれですか? 〝大佐に直接訊くしかない〟? 第3艦隊を引き換えにしてまで手に入れたのが、実は何も知らない人身御供かも知れないと!?」

「この女はその可能性を告げている」

「……嘘だ」

「事実よ」マリィが打ち返す。

「少なくとも、」軍曹が溜め息混じりに言葉を挟んだ。「この女は言ったことを曲げん。こいつが魔女かどうかは各自が判断しろ」

「軍曹はどうするおつもりですか」

「考えている」

 マリィも考えた。波紋は投げた――これを最大限まで押し拡げる方策は何か。いたずらに多くを語ったところで、かえって説得力を損ねはしないか。

「そう、考えてみて」マリィの口から言葉がこぼれ出た。「〝ハンマ〟中隊は、どうして叛旗を翻したのか。どうしてああまでして戦うのか」

「それは貴様が……!」

「やめろ、リーランド兵長」軍曹が断ち切る。

「私がクレオパトラにでも見える?」隙にマリィが問いをねじ込んだ。「その役は私じゃなくて〝キャサリン〟のものよ。大佐の思惑通りに彼らを動かしたのは彼女。彼らはそのからくりに気付いただけ」

 戦慄がその場に満ちた。第3艦隊の命綱――データ・リンクを分断した張本人。

「サラディンのリスト、ヘンダーソン大佐の支配、〝ハンマ〟中隊の叛乱、艦隊の壊滅、彼女は全てを繋いでる」その静寂にマリィは言を継いだ。「鍵を握ってるのは私じゃないわ、〝キャサリン〟よ」

 その言葉を迎えて重い沈黙。マリィも口をつぐんだ。これ以上、言うべきことは何もない。

「軍曹……」リーランド兵長の声が震えて語る。「自分は〝キャサリン〟に事実を質すべきだと考えます」

「自分も」「同じく」「反論できません」

 一つならず賛同の声。それを聞いた軍曹が問いを投げた。

「反対の者は?」

 応じて沈黙。

「……決まりだな」軍曹が断を下した。「艦長に掛け合う」

 軍曹がナヴィゲータに命じる。「艦長に直接」

 そこで網膜に返答が乗った――データ・リンク途絶。

 同時に観測ドームのシャッタが閉じ始める。

 ハッチに取り付いた時には減圧警報がドームに満ちていた。ハッチの安全装置が作動して開かない。

「閉じ込められた……?」誰かの呟きが、聴覚を貫いた。


 警告音――。

『ああもう!』〝キャス〟が舌打ちさえ混じえた声を上げる。『もうちょっとだってのに!』

「ファームウェアの穴は塞いだんだろ?」ロジャーが操作卓へ向かって問いを投げる。「この上何が足りないってんだ?」

『変なチューンかましてるわ、ここのファームウェア!』今度は〝ネイ〟が答えた。『ここの整備担当士官連れて来て!』

『いっそ電子戦長連れて来て!』声を割り込ませて〝キャス〟。『今のうちならまだ脳みそ逝ってるはずだから白状するわよ』

「ブリッジス大尉!」

 キースが振り返る。その声を受けたブリッジス大尉が手招き一つ、3名残った電子整備曹士を呼び寄せた。

「まず彼らが相談に乗る。ウェアハム中佐を引っ張ってくるまでに役に立つなら使ってくれ」


 減圧警報が〝オサナイ〟の艦橋を貫いた。同時に数ある艦内モニタのうち、マリィを収めた後部観測ドームのデータだけが途絶える。

〈減圧警報!〉船務長が告げる。〈後部観測ドームです!〉

「どういうことだ、〝キャサリン〟!?」艦長席からハリス中佐が上げて問いの声。「なぜデータ・リンクを切る?」

『決まってるわ』〝キャサリン〟の声に揺るぎはない。『目標が――マリィ・ホワイトが眼を覚ましたからよ』

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