10-9.核心

 気まずい間が、マリィの前へ下りた。

 脚に力を込める。一旦は抜けた腰を持ち上げようとして、半ばマリィは失敗した。立ち上がり切れず、床へ手をつく。

 そのまま四つん這いになって、キースに向き直る。焦茶色の瞳が、マリィを見ていた。マリィだけを見ていた。

 唾をひとつ呑み下し、それからマリィは問いを向けた。

「……助けてくれたのは、なぜ?」

 命を懸けて。想像すら及ばないほどの障害を乗り越えて。かつては敬愛していたであろう上官をすら手にかけて。

「……言葉が、要るのか?」

「ええ、あなたの口から聞きたいわ」

「――言ったろう、巻き込んじまったからだ」

 続く言葉をマリィが待つ、それだけの間が空いた。言葉はなかった。

「……それだけ?」

「――他にあると思うのか?」

「思うわ」マリィは頷いた。先刻からの激情と落胆とを眼の当たりにした後では、特に。「不器用なのね。見てて判るわ」

「そうだな――器用になれたためしがない」

 マリィがキースの側へ進む。傍らに腰を下ろし、焦茶色の瞳を見据え、そして言葉を探し出した。

「じゃ、こう訊くわ。私を巻き込んでしまったのは、いつ?」

 ――沈黙。ただ、単純ならざる想いを、マリィは瞳の中に見て取った。さらに促す。

「少なくとも、〝カーク・シティ〟の時じゃないわね」

「ああ、そうだな……」キースの眼が遠くを――恐らくは過去を、向いた。「……2年前にはもう、そうなってた。エリックが死んだ時から……だから君を救けなきゃならない」

「じゃ、救けて」

 何があっても自分を救けに来てくれた。恐らく身を裂いてでも救けてくれる。それを承知でマリィはその言葉を口に上らせた。

「ああ、そのために……」

「私の心をよ、キース」

 マリィは震える唇で言葉を継いだ。あの感情。胸を裡から灼いた、あの熱。その正体。

「だからお願い……私の心の、穴を埋めて」

「……シンシア、か?」

「きっかけはね」

 半ば遮るように転がり出た言葉。その勢いに自ら驚き――そしてマリィは恐る恐るの体で続きを紡ぐ。

「……でも、今は、私の意志よ」

「どうして……」キースが顔を歪ませる。「どうして俺に救えるはずがある? 俺は――エリックを死なせたんだ!」

「キース!」

 マリィが思わずキースの肩を掻き抱く。

「その名で呼ぶな!」

「構わないわ――あなたがキースでもジャックでも!」顔も見ずに――恐らくはだからこそ――マリィは言い切る。「……私のために何もかも投げ出して……それで私が何も想わずにいられるとでも思ってるの?」

「それこそ気の迷いだ!」キースの声に頑なな響き。「俺は君に憎まれるしかない人間なんだ!」

「どうして……」涙にマリィの声が濡れる。「どうして、あなたがそこまで思い詰めなきゃいけないの1?」

「……聞かなかったことにしてくれ」

「――聞かせて」静かに、しかし譲らない声で、マリィは告げた。「私には聞く権利があるはずよ、違う?」

 掻き抱いていた彼の肩、それを両の手で優しく掴んで距離を取る。焦茶色の瞳をマリィは見据えた。

 キースは抗おうとして、果たせなかった。はねつけられるはずもなかった。

「〝キャサリン〟が言ってたろう、ハドソン少佐があいつを説得するはずだった。あの作戦が始まる前に口説き落とせてたら、あいつは死なずに済んだ」

「……ちょっと待って」マリィがその意味を咀嚼するのに半拍ほどの時間が要った。「……口説き落と……って、それじゃあなたは……」

「ああ、」キースは泣き出しそうなほど顔を歪ませた。「君達に出逢うのが遅すぎたんだ――最初から俺は〝テセウス解放戦線〟の一員だったのさ」


「やるこたァ解った――ま、大雑把にだが」ロジャーはオオシマ中尉に向き合った。「ヘンダーソン大佐の首を挙げる、と――そいつはいいとして、問題はどうやるか、だ」

 看護師詰所の前から、誰からということもなく距離をおいて5人。その中から、オオシマ中尉が手をかざした。

「ちょっと待ってろ――」骨振動マイク越しに、二言三言やり取りを交わす。「管制室からは、艦船同志の戦闘は観測されてないそうだ――少なくとも第3艦隊はな」

「で、何が言いたい?」

 シンシアが口を尖らせた。

「そうせっつくな。今までのやり口からすれば、各艦の内部で同士討ちがあったはずだ。艦の運用にも支障が出てると見て間違いない。付け入る隙はある」

「宇宙から乗り込むってわけか?」

 ロジャーが鼻の頭を掻いた。

「時間からしてそれしかなかろう。怪我人は宇宙へ上げるしかないしな」

 それを言われると、シンシアは黙って頷くしかなくなる。アンナもイリーナも、すでに守備範囲を越えた話に付いていけない。

「宇宙港から宇宙船かっぱらって〝サイモン・シティ〟へ乗り込むってか」ロジャーが難しい顔をオオシマ中尉へ向けた。「いくら隙があるったって、宇宙艦隊が黙って見過ごしてくれるとも思えんが」

「宇宙船なら、」オオシマ中尉が、組んだ腕の中から指を一本立てる。「我々が〝ハミルトン・シティ〟から乗ってきたミサイル艇がある。足なら寝起きのドンガメに負けん」


「……どうして?」事実を受け入れ切れずにマリィが呟く。「……どうしてゲリラに?」

「未練がなくなったのさ、色々と」そこでキースはマリィの瞳を見上げた。「〝ブレイド〟中隊に放り込まれるよりずっと前だ。腐った政治を眼の当たりにした時からさ」

「まさか……!」マリィが言葉を詰まらせる。「エリックと殺し合うことになるのよ?」

「エリックは……」過ちを認める子供のように、キースが眼を伏せた。言葉を喉から絞り出す。「……ハドソン少佐が誘うことになってた」

「信じたの?」

「……信じた……いや、」意識の深層を手繰るようにキースが続ける。「……信じたかったんだろうな」

「でも、そうなったら私は……」

「ああ」眼を合わせられぬままにキースが紡ぐ。「いざことが起こったら、あいつは死人と同じ扱いになったろうな。あるいは君を連れて〝テセウス〟へ渡ったか」

「じゃ、彼が呑んだはずないわ」

 マリィが確信を抱いて口にする。キースも否定はしなかった。

「ああ。どうしても首を縦には振らなかったらしい……もういいだろう」

「最後まで聞かせて」有無を言わせずマリィが言い切る。「どうなったの?」

 口を開きかけて言い淀み、キースが乞うように眼を向ける。マリィはその眼に強い眼差しを突き合わせた。観念してか、キースが嗚咽のような言葉を継いだ。

「……説得し切れないでいるうちに、あの作戦が発動された。〝自由と独立〟――早い話が先走りすぎた一派を始末する作戦だった」キースは唾とともに何かを呑み下した。かすれる声で続きを紡ぐ。「……その作戦中に目標がトチ狂った。破れかぶれで言い出したんだ――何もかもぶちまける、とね。〝テセウス解放戦線〟の全てを――それで、その場にいた連邦兵ごと始末することになっちまった」

「それって……」

 キースの口が躊躇に震えた。焦茶色の眼が心の波を現すように揺れている。マリィは震えを自覚しつつ、それでも小さく頷いた。

「……俺達は本当にエリックを殺す羽目になっちまったんだ」

 今度こそマリィの身体が硬さを帯びた。肩に触れた手を通してキースにもそれが伝わる。

「……俺は、君を送り返すことしかできない。それ以上の資格がない」

「……だったら、」マリィは言葉を詰まらせながら、それでも言葉を拾った。「……だったらそのままゲリラになれば済む話よ。それが今ここにいるわけは――何?」

 キースは答えなかった。マリィはキースの肩を抱き起こした。焦茶色の瞳を正面から見据える。

「私には聞く権利があるはずだわ。違う?」

「……俺は、」眼を逸らすに逸らせず、キースは観念したように答えた。「……エリックに救けられたんだ……」

「……!」マリィが硬い息を呑む。震える唇をそれでも動かして、告げる。「……聞いてるわ。続けて」

「……あいつは、同士討ちの始まった現場で俺を探し出した。それで……」

「それで?」

「俺に言ったんだ、〝逃げろ〟ってな。……俺はもう仲間を手にかけてたってのに……その俺に……」

「そこで、思い直してくれたのね?」マリィの裡に希望が兆す。

「確かにそこでおかしいとは思った……部隊の連中はまだ説得できたはずなんだ」迷うような、間。「……それをさっさと切り捨てるなんてな。でも、遅かった」

 幾度目かの逡巡がキースの眼をよぎる。その先に触れていいものかどうか――マリィが後を押す。「それで?」

 観念したようにキースが言葉を絞り出す。

「……そこへ他の連中がやってきた」

「……どうなったの?」可能な限り静かに、しかし負の興味を抑え切れずにマリィが促す。

「俺が、説得しようとした」力なくキースがかぶりを振る。「無駄だったよ」

「……殺し合いに、なったのね?」

 キースが力なく頷いた。

「俺も裏切り者扱いだった。俺は何もできずにエリックに救けられて、それで……」

 言葉が重さを増す。核心が近い、それが判る。知りたくない自分がいる。それでも聞かないわけにはいかない。勇を鼓してマリィは先を促した。

「……それで?」

 キースがいよいよ深くうなだれた。

「……相手は、3人いた。エリックは俺を救けてくれた――引き換えに弾丸を食らってまで」キースの肩に添えたマリィの手が震える。それがキースに言を継がせた。「直後に落盤が始まった」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る