8-4.撹乱

「くそ、」ロジャーが小さく舌を打つ。「ストライダを街中に乗り入れたのはまずかったな」

「市警が血眼になって追ってる」剥き身の冷気を視線に乗せて、バレージはロジャーを睨めつけた。「動いてる荷は片っ端から停めて引っくり返してな。鼻薬も効かん。貴様ら一体どんなドジを踏んだ?」

「警察はあんたらが抱き込んでるんだと思ってたがな」ロジャーが首を傾げた。

「その警察からだ、今夜は荷を動かすなとな」

「――多分、例のクリスタルだ」ジャックが口の端から洩らした。「軍に中身を洗われた。多分当局のトップには存在を知られてる」

「呆れた話だな」バレージが鼻白む、その気配。「お前達の手札は筒抜けか」

「でもない」ジャックが反論する。「プロテクトがある。そう簡単には解けないはずだ」

「じゃなぜ連中が必死になる?」

「プロテクトの〝浅い〟ところにゲリラの武器調達網が載ってる。今の連邦なら食い付いたところで不思議はない」

「詰まるところが、群がってくるのは警察じゃなく連邦そのものだということか」腕を組んだバレージが鼻を鳴らす。「なら、いずれ街を引っくり返す騒ぎになるぞ。とんだ地雷だな」

「で、どうするよ?」ロジャーが意地の悪い笑みを片頬に引っかけた。「俺達に手を貸してゲリラに一泡吹かせるか――それともクリスタルごと俺達を連邦に突き出すかい?」

 挑みかかるようなロジャーの視線を、しかしバレージは軽くいなした。

「取り引きは棚上げだ。追っ手を自力で振り切ってみせろ。そうしたらブツは用意してやる。ただし――、」バレージが声を低める。「逃げられてはかなわんからな、そのクリスタルは置いていけ」

「渡すとでも思うのか?」返すジャックの声に低く力。

「こちらが馬鹿正直に待っているとでも?」バレージが問いを突き返す。「お前たちを生かすも殺すも私次第だということを忘れるな」

「なら……」

 そう言いさしたジャックの科白を遮ってスカーフェイス。「なら人質を取ればいい」

 バレージは鼻を一つ鳴らして、「貴様のどこにそんな価値が?」

 スカーフェイスは自らへ親指を向けた。「お前達の取り引きを潰して回ったのは俺だ。こいつらじゃない」

「お前が一人で?」多少なりと興は引かれたとばかりに、バレージが片頬を動かす。「口先だけなら何とでも言えるな」

「俺が標的にしたのはゲリラの側の人間だ」淡然と続けてスカーフェイス。「余計な色気を出して副業に手を出したと聞いてる。名前はルイ・ジェンセン、ポール・デュヴィヴィエ、それにアルバート・テイラー……」

 そこでバレージの眉が跳ね上がる。先刻眼にした〝サラディン・ファイル〟の中にその名を見付けていたとはいえ、改めてスカーフェイスの口から出てきたとなると意味も変わってくる――そもそも殺された関係者、その顔ぶれを示した覚えはない。それを見逃すスカーフェイスでもなく、挑発を語尾にひらつかせて問いを投げる。

「……何なら他にも挙げてみせるか?」

「……なるほど」バレージの表情が凄惨の色を成していっそ笑む。「それで、私が貴様を殺さずにおく理由は何だ?」

「お前一人の癇癪とボスの仇を秤にかけてみるんだな」涼しい顔でスカーフェイス。「それに組織の今後もある」

「今お前を片付けて、そこの2人にブツをくれてやる手もある」

「成功の見込みがなくなるだけの話だな」片手を一振り、スカーフェイスはバレージの言葉を斬って捨てた。「大軍から1人やそこら間引くのとはわけが違う」

 ――降りて沈黙。バレージの怒気が肌に刺さる。その空気を貫いてスカーフェイスの眼に力。

「……よかろう。その条件、お前の度胸に免じて呑んでやる」地獄の底から湧いたようなバレージの声。「24時間は待ってやる。だが少しでも遅れてみろ、こいつは挽き肉にしてやるからそう思え」


「で、」ロジャーが慨嘆の声を洩らした。「真っ先にこれかよ」

 その視線、行き着く先には港湾区――暗く泡立つ海面、その身を没してストライダ。

「当たり前だ」ジャックの声が苦る。「ポリスの鼻先をエサぶら下げて走るつもりか?」

「その前にだ、」ロジャーが苦い問いを投げ返す。「足捨てちまってどう逃げるつもりだよ?」

「決まってる」打ち返してジャックの声。「利用するのは向こうから寄ってくる連中だ――来たぞ」


『こちら〝602移動〟、港湾地区、第3コンテナ・ターミナルにて水没車を発見』直後、市警のデータ・リンクに乗って報告の声。『車種、ナンバは未確認。確認の要ありと判断する。応援を請う』


「例のヤツですかね?」

 ヘッド・ライトを向けた先、未だ泡立ちを残す海面を覗き込みつつ〝602移動〟の巡査が問う。夜闇に海面の乱れも手伝って、この視点からではナンバはおろか、車種さえまでも定かではない。

「こっちが動き出すなり証拠を消しにかかったのかも知れんぞ」コンビを組んでいる巡査部長はその背後で顎を掻いた。「侮れんネズミだな」


〈やるか?〉コンテナの陰からロジャーが訊く――までもなく、その声には〝やる気〟が溢れている。

〈ああ〉ジャックは言い捨てると、身を屈めて忍び出る。


「ここからの映像だけでも残しときますか」

 言って、巡査が振り返ろうとした――その時。

 天地が引っくり返った――そう思うなり、地面の硬い感触が頬にある。起こったことを把握する前に関節を極められ、懐の携帯端末を奪われる。

「巡査ぶ……!」巡査が出そうとした声は、途中で喉を圧されて消える。薄れゆく意識の中――銃声がひどく遠く聞こえた。


〈ドジった!〉

 ロジャーが舌を打つ。組み敷いた巡査部長、その右手にはグレンP86オフィサ。狙いも何もあったものではなかったが、銃声が響いた事実は動かない。

〈くそ!〉巡査の気絶を確かめたジャックが高速言語の問いを発する。〈〝キャス〟!?〉

〈駄目!〉巡査の端末を制圧した上で返ってきた答えは穏やかではない。〈港のセンサに拾われたわ! 止められない!〉

〈ずらかるぞ!〉ロジャーから声。〈足は……あのパトカーしかないか〉

 視線を向けた先にはウェントゥス・テッラのポリス仕様車、ハイ・パフォーマンス仕様のチューニングを匂わせてその佇まい。

〈宣伝して回るようなもんかよ……!〉

 歯噛みしつつロジャーがボンネットを乗り越えた。そのままの勢いで左側、運転席へ収まる。

〈〝キャス〟、〉ジャックがテッラの助手席へ収まり、ダッシュボードの端末へケーブルを繋ぐ。〈こいつの識別信号を偽装できるか?〉

 言う間にもテッラは浮上、大きく舵を切って元来た道を駆け出した。

〈あいつ絶対トリガ・ハッピィのイカレ野郎だぜ〉港湾区を内陸側、出口へと飛ばしながらロジャーがぼやく。〈普通あんなとこで抜かねェっての〉

〈お前が言えた科白か〉ジャックが一言だけ付き合って、〈〝キャス〟、ポリスにアタックだ。管制をジャムらせろ〉

 警察のデータ・リンクに直結のパトカーなら、そこそこのセキュリティ・レヴェルまで素通りできるのが道理ではある。

〈あーもう人使いが荒いったら〉言いつつ〝キャス〟の声に色。〈とりあえずこのテッラ、〝602移動〟は掃除済み。識別信号はさっきの位置に固定――位置情報を今すり替えるわ、近くの〝605移動〟へ近付いて〉

 ロジャーの〝ネイ〟へデータが渡る。ジャックとロジャーの視覚に港湾区の立体地図がワイア・フレームで現れた。集まり始めた輝点の群れ、特に近い一つに〝605移動〟のタグが立つ。

〈了解、こいつにすり変わりゃいいんだな?〉

〈それから陽動だ〉ジャックが言を継ぐ。〈ありったけのタレ込みを突っ込んでやれ〉

 仕込みはバレージの元で済ませている。〝パラディ商会〟の覚えめでたくない相手の寝床から取り引き場所まで、片っ端から匿名の通報を〝キャス〟が警察の回線へ。

〈どっちみち時間稼ぎにしかならないわね〉処理を進めながら〝キャス〟に嘆息。〈優先順位はこっちがぶっちぎりでトップだもの〉

〈まだ本命だと決まったわけじゃない〉荒いステアリングの中、ジャックが思考を巡らせる。〈とにかくポリスの注意を分散させろ〉

〈軽く言ってくれちゃって〉〝キャス〟が小さく鼻を鳴らす、その気配。〈――手配書見たけど、あんた達の首でもぶら下げなきゃ注目なんてしてくれりゃ……〉

〈それだ!〉ジャックが食い付いた。〈ヴィジフォンのデータでも何でもいい! 乗ってるヤツの顔を俺達のに書き換えろ!〉

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