7-4.暗転

 レナード・ヒル中尉は救難信号弾を撃ち上げた。その向こう、広がる星空が眼に刺さる。

〈救難信号の発信を確認しました〉

 〝アマンダ〟がその聴覚に告げる。信号弾はパラシュートで漂いつつ、救難信号を強力に発する。

〈オープン回線に通信。〝救難信号を確認。救助に向かう〟〉

 恐らくは、輸送機墜落現場に到着した友軍から。所要時間は半時間というところか。

 眼の前から飛び去った敵の追跡に思いを馳せつつも、足元には現実が横たわる。

 仕留めた敵の数は3。加えて、〝原因不明〟の死体が2。一方で、味方の損害は死亡3、負傷2、さらに通信手段――敵に稼がせた時間と距離。そして何より、目標たる〝ジャーナリスト〟に依然として手が届いていない、この事実。

「惨敗だな……」

 ヒル中尉は歯を軋らせた。


「……シンシア……」マリィ・ホワイトは、力なく口元を覆った。「……どうして……?」

 シンシアが手首のプラスティック・ワイアを切り、乱闘へ飛び込んだ――そこまではマリィの頭も付いていった。が、シンシアの矛先がジャックへ向いたところで、状況がマリィの理解を超えてしまった。

 アルバトロスが傾けた機体を戻しつつある。視線の先にはシンシア・マクミラン。それが、〝テセウス解放戦線〟の分隊長に相対している。

「遅かったな」

 分隊長の声は苦い。

「何言ってやがる」対するシンシアも苦虫を噛んだような顔。「あの人数で押されてるんじゃねェよ」

 眼を泳がせた先に右ハッチ――その向こう、ジャックを呑んだ闇。

 機体が傾いた。アルバトロスはサーチ網をかいくぐって匍匐飛行中、乗り心地は冗談にも穏やかとは言いがたい。

「……後ろへ行ってろ」

 分隊長が会話、と言うよりは沈黙の応酬を打ち切って、ハッチへ手をかけた。開け放たれたハッチを閉じる。

 シンシアがもう一方のハッチを閉め、操縦席へ足を向けた。コンソールに〝ウィル〟を繋ぎ、データ・リンクへ短く暗号。「〝ウィル〟、〝アテナ〟の掲示板にメッセージだ。〝〝クレテのロック・スミス〟から〝クレテのトレジュア・マップ〟へ、〝白い鳥〟を確保〟以上」

 言い捨てて、シンシアは足をマリィの許へ。眼前で足を止め、黙然と見下ろす。

 マリィは拳を固め、胸元へ思わず寄せ――引き締めて声。

「……どういうこと……?」

「……こういう役目さ」

 シンシアの目許に、一抹の寂寥。

「裏切った、の?」

「違うね」シンシアの表情が硬くなる。「最初っからさ」

 マリィは言葉を詰まらせた。

「心配しなさんな」シンシアは後席へ。「これであんたは無事に帰れるさ」

「あなたは、どうなるの?」

 マリィの言葉に、シンシアの足が止まった。

「どうもしねェさ」

 言ってシンシアはマリィの後席へ。シートに腰を投げ出して、呟く。

「戻るだけだ――元の場所へ」


 闇の中を落ちていく――と感じたのも束の間、脚に衝撃。

 ジャックの身体がつんのめる。次に丸めた背中へ痛撃。

 猛烈な摩擦。密林の葉をもぎ、枝を折る。不規則な衝撃と回転、そして音。体を丸め、頭を抱えてただ耐える。

 下へ。重力を感じた、その途端に落下する。さらに下、藪を突き破り、地面へ叩き付けられる。

 背に打撃。息が詰まる。声を上げることもできず、うずくまることさえかなわず、ジャックはただ横たわる。

 ――生きている、実感。すなわち痛覚。それを嫌というほど確かめさせられた。

 静寂――。ややあって、聴覚へ虫の声。

 肺に熱。ようやくジャックは喘いだ。途端にむせる。むせ返って、再び喘ぐ。

 息はできる。それは判った。次に指。さらに腕。そして脚。幸い、折れたところはない。ただ痛い。息が苦しい。ひたすら酸素が足りない。空気を貪る。貪り切れずにむせる。その繰り返し。

 やがて、寝返りが打てるようになった。腕を地面へ立てる。上体を持ち上げようとして、倒れる。また腕を立てる。何度目かで、ようやく上体を起こした。

 這う。腰が付いてこない。足を掻く。文字通りに足掻く。わずかに進んだかと思えば逆戻り、それでもなおあきらめず、また足掻く。そのうち、前へ進み始めた。虫が這うよりなお遅く、前へ――樹の根元へ。

 一度へたばり、また挫け、さらに力尽き、その後、やっとの思いで辿り着く。ジャックは上体を起こすと、背を樹に預けた。

 息が上がる。しばらくまた喘ぐ。それから――ようやく頭に血が巡り出した。

 最後に自分を突き飛ばした相手の顔が、頭に浮かぶ。シンシア・マクミラン――間違いなく彼女だった。

「……くそ……」

 額に手を当てる。裏切られた――その痛み、怒り、そして悲嘆。

〈生きてたみたいね〉

 聴覚に〝キャス〟の声。

「お前も……生きてたか……」

 力なく、呟く。自分の声を耳にして、認識し――それから理性が働き出した。

〈――現在位置は?〉

〈あら元気になったわね〉

 軽口を叩く一方で、〝キャス〟は視覚へ地図を示した。これまで辿った軌跡を重ねる。周囲は平地、ただ密林。それがズーム・アウト、アルバトロスへ押し入った地点が現れる。もう一度ズーム・アウト、軍と接触した地点が現れて、さらに引くと〝ルイーダ〟川、輸送機の墜落地点、そして海。

〈この辺かしら〉

〈ああ、鉄道までは――いや、比較にならんか〉

〈そうね〉

 これから何をやるにせよ、まず移動手段を確保せねばならない。近いのは、輸送機の墜落現場にいるであろう軍の機体――これは察するまでもない、文字通りの敵中。もう一つは北を走る鉄道、しかしこれは遠すぎて比較にもならない。

 と、その地図に赤のライン。それが現在位置からアルバトロスとの接触地点へ、さらに貫いてその向こうへと伸びている。

〈――何だ?〉

〈救難信号が出てるわ〉〝キャス〟が赤のラインに〝SOS〟のマーカを重ねる。〈方位078、距離は――まあ判んないわね〉

 思い当たったのは、ゲリラと争っていた軍の一隊。それが味方を呼んでいるのだとしたら――。

〈くそ!〉

 だとしたら時間がない。ジャックはよろけながらも立ち上がった。

〈畜生……! 間に合うか?〉

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