第5章 事実

5―1.臨界

『〝バークレイ・ニュース・ネットワーク〟のケイトリン・フォーブスです。〝ハミルトン・シティ〟のセントラル・パークからお送りしています。

 〝グリソム事件〟をはじめとする資源統制反対運動――ここで開かれている抗議集会も、時間を追うごとに規模が膨らんでいきます。この熱気が伝わりますでしょうか。ご覧のように……』

『こちらは〝クライトン・シティ〟の中央通りです。資源統制法反対のデモ行進、未だに参加者が増え続けており……』

『〝サイモン・シティ〟の〝クレイグ・スタジアム〟では2万人規模の抗議集会が……』




 ジャックはアルビオンを走らせていた。ライトを消し、気配を絶って、エリックのペガサスを追う。

〈マリィは前方40キロまで離れたわ〉

 〝キャス〟が告げた。万一に備えてマリィのナヴィゲータへ忍ばせておいた追跡プログラムが、現在位置を知らせてくる。

〈この距離を保て〉

 ジャックは告げた――自らへ言い聞かせるかのように。

〈何よ、乗り込んでって殴り合いするんじゃないの?〉

〈人質取られてるのに気付かれてどうする〉ジャックは歯を剥いた。〈それに、彼女がうまくやればヤツは危害を加えない〉

〈ふン、〉〝キャス〟がせせら笑うように、〈相手はあんたみたいな〝紳士〟には見えなかったけど?〉

〈その時は邪魔してやるさ〉ジャックは腕を組む。〈そのためにくっ付いてってるんだろうが〉

〈回りくどいのね〉〝キャス〟は興を削がれたように、〈顔が同じだからって、考えてることまで解るってわけかしら〉


「俺は……」運転席、エリックがマリィへ訊いた。「どんな男だったんだ?」

 2人を乗せたペガサスは〝ハミルトン・シティ〟へ鼻先を向けている。計器によれば時速にして100キロ以上、飛び降りて無事に済む状況ではない。そのせいか、エリックは銃口をマリィへ向けてはいなかった。運転は自動制御に任せ、両の腕を組んでいる。

 隣のマリィは両の指を膝の上で組み合わせ、エリックへ顔を向けた。

「そうね、」マリィは思案するように、顎へ指を当てた。「どこから話したらいいかしら」

「なら、最初からでいい」

「最初に会ったのは、雨の日だったわ」マリィは小首を傾げながら、「ロンドン郊外の陸軍駐屯地で事故があったの。取材の人手が足りなくて、私も同僚と駆り出されたわ」

 エリックが、無言で先を促す。

「途中でコミュータが故障してね。そこへ通りがかったのがエリック・ヘイワード――つまり、あなたよ。キース・ヘインズとヒューイ・ランバートも一緒だったわ――2人のことは覚えてない?」

 マリィが問うように首を傾げる。しかしエリックは小さく首を振った。

「――非番だったらしいのね。で、コミュータを修理してもらったのよ」

「基地まで連れてったほうが早かったろう」エリックの声に怪訝の色。

「私が嫌がったのよ」

「なぜ?」

「えー……、」マリィは言葉を詰まらせた。「……そうね、男性恐怖症、みたいなものよ。これ以上は訊かないで」

「済まない」エリックは組んだ左手を掲げた。「続けてくれ」

「で、彼らに付いて、基地まで取材に行ったのよ。そしたら、」マリィは肩をすくめた。「応急の救護所に引っ張っていかれたわ。基地のゲートで押し問答してたら、〝取材よりケガ人の手当が先だ〟って」

 彼女の瞳が笑みをたたえた。

「でも、おかげで事故の状況は判ったわ。助かった人も何人かいたって。付き合いはそれが最初」

「で、治ったのか?」

「え?」

 焦茶色の瞳が、マリィをまっすぐ見つめている。

「恐怖症さ」

「ああ」マリィは自らを指差した。「少しは、ね。誠実な人なら、かな」

「誠実、か」空を探るような、エリックの声。

「表裏がなかったのは確かよ。変な下心がないって言うか――自然体で」マリィは小さく頷いた。「そうね――誠実で、正義感の強い人、かしら」

「正義感?」

「ろくでなしの上官を殴って飛ばされたって聞いたわ」

「そんなにホネのある男に見えるか……俺が」

 エリックは親指を自らに向けた。

「実際にホネはあるんでしょ?」

「どうなんだろうな、」エリックが片手で頭を抱える。「思い出せない……」

「焦らないで」マリィは相手の膝に手を載せた。「時間はあるわ」




「タイム・リミットの前に挫けそうだわ」アンナ・ローランドはしょぼついた眼をイリーナ・ヴォルコワへ向けた。「私が言うのも何だけど」

 ここ丸2日、アンナはマリィの行方を求めて〝アンバー・タウン〟の出入りを監視している。

 安ホテルの居室には、レンタルで調達したモニタが6台。そのいずれもがタウンに入る主要道路、仕掛けられた監視カメラの映像を束ねて映す。映像には画像処理が加わり、目標を自動で選り分けていく。狙うのはジャック・マーフィ名義で登録されているフロート・バイクFSX989とフロート・トレーラ・アルビオン。

 が、3日目になっても成果は上がっていなかった。同様に監視を置いている2箇所でも、結果は変わらない。

 アンナは機械だけでなく自分の眼も監視に動員しようとした――が、初日で音を上げている。とはいえ割り切れるわけでもなく、あきらめ悪くついモニタを眺めてしまう。

 加えて、資金が底をつこうとしていた。

『アンナ、マリィからコールです』

 ナヴィゲータ〝ロッド〟が涼しげな声で告げたのは、そんな時だった。

「取って!」思わず声が大きくなる。「イリーナ、マリィから連絡が!」

『アンナ、私よ』

 マリィの声が、アンナの耳へ飛び込んだ。携帯端末からと見えて、音声だけが伝わってくる。

「ああもうマリィ、今までどこ行ってたの!?」

 そう言う声に力が入らない。

『詳しいことはまた。とにかく私は無事。いま〝ハミルトン・シティ〟に来てるわ』

 アンナはソファから崩れ落ちた。

「……こっちも無事」アンナは何とか口を開いた。「あなたのこと追っかけて来たんだけど、めでたく無駄足になったみたいね」

『来た、って……』マリィの声に疑問符が乗った。『……どこへ?』

「〝アンバー・タウン〟」

 マリィが息を呑む、その気配がアンナにも伝わった。

「入れ違いになったみたいね」力ない苦笑を、アンナは浮かべた。「まあいいわ。こっちはこれから引き上げるから、そっちで会いましょ」

 言ってから、アンナは部屋を見回した。

「――っていっても、後片付けと移動で何日かかかりそう。この貸しはデカいわよ」

『……後でゆっくり聞くことにするわ』マリィの複雑な声が届いた。『ごめん、あと一件連絡入れなきゃいけないの。後でまた連絡するわね』


〈ジャック、〉〝キャス〟がジャックの聴覚へ割り込んだ。〈マリィからコールよ〉

 この2日、ジャックはマリィ達とつかず離れずの距離を保ってきた。彼自身はいまトレーラの運転席、〝ハミルトン・シティ〟を眼前に望んでいる。

『ジャック?』

 マリィの声に乱れがない。彼女の無事を、ジャックは直感した。

「ああ、聞こえてる」ジャックは声に安堵の響きを滲ませた。「無事か?」

『大丈夫よ』マリィの声に、心持ち笑みの表情。『さっき〝ハミルトン・シティ〟に入ったわ』

〈声に異常なし〉〝キャス〟が音声データを解析して、〈嘘じゃないわね〉

「無事ならいい」ジャックは訊いた。「ヤツは?」

『隣よ。大丈夫、あなたの敵に回るつもりはないって』

「説得したのか?」

『道中いろいろ話したんだけど、記憶が戻らないって焦っちゃって――え?』やや間があった。『――彼、あなたの話を聞かせろって。約束してたわよね』

「約束、な」

 約束などという生易しい話ではなかったはずだが――ジャックは苦笑を一つ洩らした。

「いいだろう。そっちはこれからどうする?」

『部屋を取るわ――あなたのことだから、付いてきてくれてるんでしょ?』

 図星――ジャックは口を軽く曲げた。

「いいだろう。場所は――」

『彼が指定するって言ってるわ。えーと、宿はこれからなんだけど……』

「2人揃って顔を見せろと伝えてくれ」

『……解ったそうよ。宿が決まったらまた連絡するわ』




「ずいぶんと雲行きが怪しくなってやがるな」

 ロジャー・エドワーズが控えめに過ぎる感想を洩らした。資源統制に反対するデモ活動は〝ハミルトン・シティ〟をはじめ、主要都市でなお続いている――報道機関はそう伝えていた。

 第2大陸〝リュウ〟は〝大陸横断道〟上、2人を乗せたフロート・ヴィークル・ストライダは、自動制御で西進している。目指す先には〝ハミルトン・シティ〟、そこではジャック・マーフィが待っている――ことになっている。

「手前が言うなよ」エミリィ・マクファーソンは冷たい声で横槍を入れた。「火に油注いで回ってるクセして」

「あ、冷てェな」ロジャーが口を尖らせた。

「おかげでヤケドしてる身にもなれってんだ」エミリィは自らへ指を向けた。

「援軍の間違いだろ、そりゃ」ロジャーも自分へ指を向ける。「こんな素直なやつァそうそういねェぞ」

「押し売りを援軍たァ言わねェよ」一言の元にエミリィが斬って捨てる。

「いいじゃねェか、戦力になるぜ?」

「遅れちゃ戦力もクソもねェ」

 ロジャーの眉が踊った。「リミットが近いのか?」

「そりゃ近いだろ」エミリィの視覚にも、抗議デモの報道が映っている。「例のデモ、盛り上がってるからな。そのうちシティにも入れなくなるぞ」

「急ぐったってタカが知れてる」ロジャーはシートに背をもたせかけた。頭の後ろで両手を組む。「どうせあと半日はかかるんだ、その間に暴動でも起きりゃ、奴さんだって足止め……」

 言いかけたロジャーの声が変わる。「まさかその暴動を狙って――やがるのかあいつ?」

「だからオレが知るかって!」

「しらばっくれるな。じゃ急ぐわけって何だよ? お前何知ってやがる!?」

「知ってりゃ急ぐかよ!」

 そこで、言い合う2人の表情が固まった。

 2人の視界の片隅、網膜に投影されるニュース速報が伝えていた――〝ハミルトン・シティ〟で大規模な暴動が発生した、と。




「中尉、中隊出動準備。治安出動要請が出た」アラン・オオシマ中尉へ、ハドソン少佐からの命令が下った。「装備S。〝陽が落ちる〟前にも師団出動命令が出るぞ」

「了解」オオシマ中尉がデータ・リンクへ声を乗せる。「伝達! こちらオオシマ中尉。中隊各員、出動準備! 装備S! 〝陽が落ちる〟前にも出動がかかるぞ!」

 中隊員全員に呼び出しをかけて、中尉自身も装備を整えにかかる――。

 最後の一言に込められた暗号を、中隊員の全員が理解していた。〝ハミルトン・シティ〟駐屯師団の過半も。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る