新歌集から 色々台無し御一行
無理矢理縄で縛られて、馬車でいずこかに運ばれるというのは恐怖ではありましたが、いつかはそうなるという予想はありました。
「なあ、この貴族様、いっそ殺してやった方がよくないか」
「まあな。目も見えないで森の中だ。渇き死にや生きながら獣に食われるってのもな」
「殺してやろうぜ。俺たちはそこまで悪い奴じゃない。そうだろ」
耳に聞こえているのは恐ろしい相談ばかり、しかし貴族は、特に何の感慨もありませんでした。目から光をなくしてこちら、もはや領地も部下もなく、何もかもが取られていくばかり、ついに自分の命が取られる番が来たかと思えば、もはや悲しんでくれる人すらいないのでした。
どういう結論だったのか、目を悪くした貴族は何もされないで森の中に捨てられました。
獣道でもなさそうな、ただただ、木々の中でした。
「ポーツマスにもまだこんなところが残っていたのか」
ユードラという今はもういないメイドの名を呼ぼうとして、目を悪くした貴族は笑ってなんとか樹に頼って立ち上がりました。彼女が無事であれば良いのだがと、思いつつ、まあ、しっかりした娘だからと思い直しました。いっそ彼女が自分の老後や将来のために自分を利用したというのなら、少々の諦めもつくというものだと、思いもしました。
何はなくても身だしなみを整え、身についた埃や土を丹念に落とし、タイの乱れをきちんと直して、ステッキや帽子がないのを残念に思いながら、目を悪くした貴族は歩き出すことにしました。
別にあてがあるわけでもなく、希望があるわけでもありませんでしたが、彼の身についた貴族の教えや国の精神は彼の中に奪われずに残っていました。むしろ他がなかったから、その二つが輝きだしたのかもしれません。
それらが彼を、闇の中を歩かせる決断をするよう後押ししました。
見えぬ中、そろそろあと歩き出してどれくらいか。奇怪な、聞いたこともない鳥の声に耳を傾けながら、目を悪くした貴族は木々を頼りに歩きました。自分でも結構狩猟はしたものですが、まだまだ知らぬ事があるのだなと感心しました。
気づけば木々が途切れていました。案外小さい森だったなと目を悪くした貴族は少しがっかりしました。
問題はこの先です。
「誰か、誰か居ないか」
「いるけど、どうしたの?」
「ふむ、見事なデモティック・エジプト語だ。素晴らしい」
目を悪くした貴族は手を叩いて格調高い見事な発音を褒め称えました。自分の窮状や助けを求める前にまず相手を褒める。そのあたりが彼の彼たる由縁でもありました。
「コンラッド、この人何を言っているの?」
「本人に聞け」
「それもそうか。私は踊り子のリベカ。肩に乗るのは猫の勇者コンラッド」
「リベカはヘブル語というか旧約聖書からだね。本名はレベッカ、かな。お嬢さん」
「リベカはリベカだよ。おじさん。もしかして、目、見えないの?」
「見えない。すまないが少々の助けを必要としている」
「少々……ね。控えめにいって大分困ってそうだけど。それに、変な格好!」
すぐ側の高い声を聞いて、目の見えない貴族は微笑みました。
「それにしても見事なデモディック・エジプト語だ。コプト語はどうだろうか」
「どうしようコンラッド。この人頭もおかしいみたいだけど」
「至高女神もそれは理不尽だったものだ。揺れるものを追いかけるなと言ってみたり。従って人間は皆等しく頭がおかしい」
「なるほど。私も兄を殺したしね」
リベカの言葉を聞いて、目を悪い貴族はほぅと、口だけを動かしました。
「聖書にはない話だね。サロメとも違う。ともあれどうやら会話が繋がらないようだ。失礼だが、それは演技ではなく?」
「兄殺し?」
「それについては私は裁判権を持っていない。反省しているなら教会の懺悔室、法的制裁がいいなら警察に行くべきだろう。私が気にしているのは君の言葉だ」
「生まれついての言葉だけど?」
「なるほど。しかしその言葉を使う話者はエジプトにもほとんどいないはずだ」
「皆使ってるけど。ね?」
「猫も使うな」
「俺も使ってる」
「もう一人いるのか」
「妹がね、触ってみる?」
「いや、ご婦人に失礼があるといけない。目が見えないからね。ただ挨拶をさせてくれると嬉しい。私はリチャード・略・ラッセルだ」
「この子はセトカ」
「よろしく。とても綺麗だろうに、目が悪いのが残念だ。ところでつかぬことを尋ねるが、ポーツマスという地名に聞き覚えは?」
「ない。どこそれ、って感じ」
「なるほどありがとう。私はどうやら、コナン・ドイルの小説のようになっているようだ」
「誰それ?」
「わくわくしていると言うことかな。さあ、君たちにとって良く分からない話はこの程度にしよう。私はできればもうしばらく生き残って、この地がどんなもので皆がどう生活しているのか知りたい。どの程度のお礼ができるか分からないが、どうか私を手伝ってくれないだろうか。もちろん、最大の努力を惜しまないつもりだ」
「助けてっていう言葉がかくも長くなるなんてね」
リベカの笑い声が聞こえました。
「コンラッドはどうする?」
「俺は自分が猫であることを理由に、誰かを助けないことはしないと決めたんだ」
「うん。いいねそれ、じゃあ、この人助けよう。特に旅の目的も決まってなかったし」
リベカはそう言うと、リチャードの手を取りました。リチャードが思っているよりしっかりした手でした。
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