先輩と後輩 1

 ある日の昼過ぎ。

 セイルはライゼンデの冒険者ギルドにいた。

 普段、彼女達のような冒険者が利用する場所ではなく、カウンターの向こう側のギルド職員達のいるスペースの更に奥にある一室である。


 部屋の中は本棚がずらりと等間隔に並び、その中央には丸テーブルが一つ置かれている。まるで小さな図書室のようだった。

 丸テーブルの上には淡く光を放つ金色の結晶と、羊皮紙の束、それと爽やかな柑橘系の香りのする香茶が乗っている。

 セイルはそのテーブルの前に座っていた。

 その手にはペンでも本でもなく、音叉のような形の細い杖が握られている。水音の杖といい、セイル自身の持ち物である。


「ふんふんふーん」


 セイルは鼻歌を歌いながら、杖の底で軽く床を叩いた。

 ポーン、と澄んだ音の波が、彼女を中心に広がる。

 その音に耳を澄ませつつ杖を軽く持ち上げ、さらにその杖の先で金色の結晶を軽く叩いた。

 すると結晶は叩かれた場所からさらさらと崩れ砂になる。そして、まるで風でも吹いているかのように、ふわりと彼女の周りに舞い上がった。

 金色の砂、ログの砂だ。窓から差し込む光の中で、そのログの砂はキラキラと煌めき、辺りを彩った。

 セイルが杖を軽く動かすと、金色の砂は杖に従って宙を動く。そしてそのまま羊皮紙の真上まで来ると、砂時計のように静かに落ち始めた。

 すると、どうだろう。

 金色の砂が羊皮紙に触れると、その中に吸い込まれるように消えていく。それに合わせるように、羊皮紙にすうと、まるでインクで綴られたような文字と絵が現れたのだ。


「うん、良い感じ」


 それを見て、セイルは満足そうに頷いた。

 セイル・ヴェルスはログティアである。

 ログティアとは、世界にある記憶を記録し、ログを整理し、自身の中に貯め、扱う職業だ。言わば世界のログの保管庫だ。

 この世界は常にログの消失と呼ばれる絶対的な忘却に脅かされており、ログティアの存在があるからこそ、消えず忘れず今もこうして続いている。

 言葉にすれば仰々しくなってしまうが、ログティア達にしてみれば特に凄い事をしているつもりはない。

 人が書物に歴史や技術を記し残すように、自分達もログを貯める残す。いわゆる縁の下の力持ちなのだ。

 ついでに言ってしまえば、比較的地味な職業なのである。

 にもかかわらず、周りからは他人のログを『覗き見』するという偏見を持たれており、また、ログティアの力を悪用しようとしている者もいる為、あまり表舞台には出たがらない。

 大体のログティアは余程信頼できる相手出ない限り自分の正体を秘密にしている。


 そんなログティアは、こと冒険者ギルドでは色々と重宝されていた。ログティア達のログのおかげで、地図や魔獣の生態、特性、異変がある場所などの正確な情報を集める事が出来るのだ。

 ログとは偽りなき事実である。そしてそれを知る相手からすれば、それはどんな証拠よりも重い意味を持つ。

 先ほどの金色の結晶は、ログティア達が自身のログを写し、固めたもだ。それを文字へと変換し、羊皮紙へと転写する事で、誰でもログの内容を知ることができるのである。

 ちなみに羊皮紙以外でも可能だが、長持ちさせたい情報はこうして羊皮紙を使うのが一般的だった。


「いつか自分のログも、羊皮紙で保存されるようになれると良いなぁ」


 セイルは自分のログの羊皮紙が、ずらっと目の前に並ぶ様子を想像してうっとりと呟いた。ログティアにとってログを残すという行為は誇らしいものなのである。

 自分のログが形に残り、誰かの役に立つ。そういう未来を想像して、セイルは微笑んだ。

 

 さて、そうこう思考に浸っている内に、ログの転写が終わる。

 ログを転写した羊皮紙を一枚一枚確認した後、マグカップに残っていた香茶をぐいと飲み干す。

 そうして、セイルはその羊皮紙の束とマグカップを持って席を立ち、部屋を出た。


 セイルは今日、冒険者ギルドでアルバイトをしていた。

 本来であれば冒険者ギルドごとに常駐のログティアがいるのだが、ログの雲の調査に出かけたパーティに一緒について行った為、しばらく留守なのだそうだ。

 しかし、情報は刻一刻と変わるもので、中には緊急で必要とされるものもあるかもしれない。

 そこでセイルに声が掛かった。

 セイルは冒険者としては新人だが、ログティアとしては一人前である。ログティアの人数は少なく、また恐らく頼みやすそうという理由もあって、冒険者ギルドのギルドマスターであるアイザックから打診が入った。

 セイルとしては特にやる事もなかったし、冒険者ギルドでのログティアの仕事にも前々から興味があったので二つ返事で快諾したのだった。


「えーと、こっちだったかな」


 セイルは図書室のような部屋を出て歩く途中、ギルド内にある台所に立ち寄った。

 お昼も過ぎてしまっているので台所に人気はない。

 セイルは「失礼します」と小さな声で挨拶し中に入ると、マグカップを泡を立てた石鹸でティーカップを洗い、水を拭き、食器棚に戻した。


「あ、石鹸も必要になるよね」


 次に冒険なり依頼なりに出かける時までに用意しよう。

 セイルは「よし」と軽く拳を握ると、台所を出て彼女の知っている本来の『冒険者ギルド』へと向かった。




 冒険者ギルドは先程までの静かな空間とは一転してとても賑やかだ。

 話し声や笑い声、真剣な声に、咎める声、様々な感情が混ざり合った冒険者特有の賑やかさが、熱気のように体に触れる。セイルはこの熱気が好きだった。


「終わりました」


 その声を聞きながらログの羊皮紙を持って行くと、書類の整理をしていたギルド職員の女性は顔を上げた。

 先日アルギラに絡まれていた女性だ。

 歳は三十代前半くらいだろうか。サラサラとした長い金髪を頭の後ろで纏めている。

 垂れ目の茶色の目は優しげで、目元のホクロがチャーミングな美人だ。

 その豊かな胸につけられたネームプレートにはアティカ・ギーレンと書かれていた。


「ありがとう、セイル。うふふ、助かっちゃった」

「いえ、わたしの方も良い経験をさせて頂きました」


 セイルかログの羊皮紙を受け取ったアティカは、内容を確認し終えるとにこにこ微笑んだ。

 美人に微笑まれると、同性ながら、セイルでも少しドキドキする。照れて笑い返したセイルだったが、そこでふと頭の中に、先日のアルギラとのやりとりが浮かんだ。

 アティカに何かを言われたアルギラは一瞬で青ざめていた。一体、彼女はアルギラに何を言ったのだろう。そしてそれを見て遠い目をした男性陣は何を知っているのだろう。


(知りたいような、知りたくないような)


 知らないままの方が幸せかもしれないな、セイルがアティカの笑顔を見ながらそんな事を考えていると、背後の方からアイザックに声を掛けられた。


「おう、終わったか。ありがとうよ」

「いえいえ。また何かあればどうぞ」


 セイルがそう言うと、アイザックは少し笑った。


「お前さんは素直で良い子だなぁ……」


 しみじみとしたアイザックの言葉に、アティカや周りのギルド職員達も神妙な顔で頷いている。

 褒められてくすぐったいが、何故そんな事を言われたのか不思議でセイルは首を傾げた。


「今の新人って、無茶な要求ばかり多いのが多いのよねぇ」

「しかも何かにつけて権利を主張するんだからさ」

「そうそう、それで依頼を失敗した時なんか、そんな依頼を出したギルドが悪い! とかさぁ……」

「一度叱り飛ばしたんだが、効きやしねぇ……」

「お、お疲れ様です」


 セイルは苦笑してそう言った。冒険者ギルドも大変なようだ。

 自分もなるべく迷惑を掛けないように気を付けよう、セイルはそう思いながらカウンターの向こう目を向けると、今日もアルギラが元気に騒いでいた。

 懲りない男である。彼の仲間達――おおよそ取り巻きのようにも見えるが――は少しばかり申し訳なさそうな顔をしているが、率先して止める気はないようだ。力関係、もしくは上下関係だろうか。どこも大変である。


「だから、こんな低レベルな依頼ではなく、もっと僕に相応しい依頼をくれと言っているんだ!」

「こちらも力量を見て斡旋する依頼を決めておりますので」

「僕が低レベルだと言いたいのか!?」

「だからですね……」


 受付のギルド職員の男性がうんざりした顔で対応をしていた。

 アルギラの後ろに並んで待っている他のパーティの冒険者も、困った顔をしたり、イライラしながら時計を見上げている。受付は限られているので、一人が滞ると他の冒険者にまで影響が出るのだ。


「おいおい、兄ちゃんよ。そのくらいにしときなって」

「うるさい!」


 見かねて声を掛けた大柄な冒険者に対しても、アルギラの態度は変わらない。

 どうやら冒険者達に何度かつまみ出されてはいるらしいのだが、それでも懲りずにやって来るらしい。ある意味凄い執念である。

 彼の何がそうさせているのだろうかセイルには見当もつかなかったが、どんな理由があっても迷惑な物は迷惑だ。

 セイルは少し考えるとカウンターの外に回り、騒いでいるアルギラにひょいひょいと近づく。

 アイザックやギルド職員達が「あ」と言う間もなく、セイルはアルギラに話しかけた。


「あのー」

「貴様、この僕を誰だと……」

「あのーすみませーん」

「なんだ!!」


 苛立ちを隠さずにアルギラは怒鳴りながら振り返る。

 唾が飛んだが、それに臆せずセイルはにこりと笑い掛けた。


「すみません、ちょっと気になったもので。お怒りのようですが、一体どんな依頼を斡旋されたんですか?」

「なんだ、お前」


 アルギラは明らかに不審者を見る目でセイルを見る。彼の仲間の冒険者の一人はセイルが遺跡の調査に言っていた冒険者だと気付き、何か言おうと口を開いたが、それよりもセイルの方が早かった。


「まぁまぁなんでもいいじゃないですか。ただの野次馬です。素人目でも分かるくらい立派な鎧を身に着けていらっしゃったので、さぞお強い方なのだとお見受けしましてー」


 手で口を隠してうふふと笑うと、セイルはもう片方の手をぱたぱたと動かす。そしてここぞとばかりにアルギラを持ち上げた。まるで井戸端会議のおばちゃん、のようなノリである。

 だがおだてられたアルギラは、満更でもなさそうに表情を緩めた。


「……フン。まぁいい、これだ」


 カウンターに置いた依頼書を持ち上げると、セイルに向かって差し出した。


「おお、これはどうも」


 セイルは顎に手をあてて、やや体を折ってそれを見た。

 アルギラに斡旋された仕事の依頼はは新人向けの討伐と採取のようだ。

 内容はナインテールと呼ばれる川に住む魚の魔獣からの鱗の採取。

 ナインテールと言うのは水色の鱗をした魔獣で、尾びれが九つに分かれている事からその名がついた。比較的おとなしく、気の弱い小型の魔獣である。

 ナインテールの対処法は、川に石を投げ込んだり大きな音を立てたりして驚かせ、飛び上がった所を攻撃して捕まえるのである。

 ナインテールの鱗には耐水性があり、主に防具等に加工される。またキラキラとした鱗は美しく、女性の冒険者達にとても人気があった。


「あ、ナインテールですか」

「そうだ、こんな小さい魔獣など……」

「ナインテールって、小さいけれど捕まえるのには 冒険者としてのセンスが必要なんですよね。そのセンスがなければ、ベテランの方でも難しいとか」

「え?」

「しかもナインテールの鱗は、恋のお守りとも言われているとか。いいですね、憧れますねぇ。もしあなたがこの依頼を受けないのなら、わたしが代わりに受けてもいいですか?」


 セイルの言っている事は大げさではあるが、大体は間違ってはいない。

 ナインテールはおとなしく気が弱い魔獣だが、自分の身を守る為に逃げるのがとても上手なのだ。

 驚かせ飛び上がらせても、その瞬間に尾びれを動かし、するりと逃げる。

 その動きは生息地単位で変わる為、その場のナインテールを注意深く観察しなければ捕まえる事は難しい。

 ベテランの冒険者の中には自分なりの方法で、観察も必要とせずサッと捕まえる者もおり、セイルが言っているセンスとはその事だ。

 また、恋のお守りというのも同じじで、ナインテールの鱗はとても綺麗で女性に人気がある。防具以外にもアクセサリーに加工して贈れば喜ばれるだろう。


「そうですね、こちらの依頼は専用のものではありませんので、受けたいという方がいらっしゃいましたら、こちらとしては構いませんよ」


 セイルがにこにこ笑いながら受付のギルド職員の男性を見ると、その意図を察してかギルド職員もにこやかに笑って頷いた。


「そうですか、それなら――――」

「ふ、ふん! やらないとは言っていないだろう! これは僕達で受ける。おい、行くぞ!」


 セイルが手を伸ばそうとすると、アルギラは慌てて依頼書を自分の体に引き寄せる。そのまま自分の仲間達に声を掛けると、足早に冒険者ギルドを出て行った。


「そうですか、それではお気を付けてー」


 その背中に向かってセイルは手を振った。

 セイルの言葉の中のどれがアルギラの琴線に触れたのかは分からないが、どうやら嵐は去ったようである。

 アルギラ達の姿が見えなくなり扉が閉まると、冒険者ギルド内にパチパチと拍手が起こった。


「やるなぁお前さん」


 アイザックにも褒められてセイルは頭をかきながら、照れたように笑った。


「いえいえ、わたしはただ、ナインテールって塩焼にすると美味しいとも聞いたので、やらないならやりたいなと思ったくらいでー」

「それなら荒くれ亭へ行ってみな。旬の時期になるとメニューに並ぶぞ」

「えっ本当ですか! ありがとうございます!」


 目を輝かせて礼を言うセイルに、どっと笑い声が起こる。

 そんな笑い声の中、セイルはアイザック達に挨拶をし、冒険者ギルドを後にした。




 冒険者ギルドを出て少し歩いたところで、セイルは大きく伸びをした。


「さて、これからどうしようかなぁ。ハイネルもハイネルで、マジックアイテムを買いに行ってきますってはりきって出かけて行ったし……ここはやはり鍋か」


 やはり鍋か、と呟きながら、貰った報ばかりの酬の入った鞄に触れる。セイルの頭の中に浮かんだのは白雲の遺跡での昼食だった。

 あの遺跡でストレイの作ってくれた料理はとても美味しかった。しかも自前のものだけではなく、その場にあった食材を使ってだ。尊敬に値する。

 あそこまでとは行かないが、やはり旅をする以上は食事はなくてはならない存在だし、どうせ食べるならば美味しい方が良い。

 こと食事に関しては食いつきが早いセイルだ。そうと決まればと、金物屋を探して歩き出した。


 ライゼンデの金物屋も、武器屋と同じく冒険者ギルドから南に向かった先の商人通りにある。

 そこでは商人通りは冒険者や一般人問わず、いつも賑わっている。食べ物の屋台も多く立ち並び、歩く度に良い香りが鼻腔を刺激した。肉の串焼き、野菜のコロッケ、魚介のスープに、アイスやクレープ。

 楽園だと思いながらセイルが歩いていると、ふと、


「スリだ――――ッ!」


 と、そんな叫び声が背後から聞こえてきた。

 スリらしい。


「ちょっと、あたしの財布返しなさいよーッ!」

「誰か、そいつを捕まえて下さい!」


 振り返ると、人相の悪い男が女性物の細工の凝った財布を抱えて、セイルのいる方角に向かって逃げている。


「今日はスリか。本当に最近多いなぁ」


 ため息交じりに言うセイルの頭の中に、先日のひったくり犯の顔が浮かんだ。

 浮かんで、スリの顔と重なる。何故だろう、とても良く似ている気がした。


「あれ?」


 セイルが怪訝そうに目を細め首を傾げていると、ふと、スリの男がセイルに気が付いた。


「お、お前は! 兄貴の敵!」


 スリの男はセイルを指さして叫んだ。顔が怒りの色に染まる。


「えっ兄弟!?」


 まさかの先日のひったくりの兄弟だった。

 セイルがぎょっとして目を見張ると、スリの男は腰から短剣を抜いてセイルに襲い掛かる。

 反射的に杖を構えるセイルだったが、如何せん冒険者としては新人で、荒事の経験は少ない。


(あ、これは刺さるな)


 なんて、セイルは場違いな程に冷静に思った。


「おい!」

「危ない!」


 周りの冒険者達が武器を抜いてスリを止めようと駆け出したが間に合わない。


――――当たる!


 そう思ってセイルがぎゅっと目を閉じた時、カエルの潰れたような声と、ドサリと何かが倒れる音が聞こえた。

 少し待ってみたが、痛くない。セイルが恐る恐る目を開けると、目の前にはサラサラとした金髪の青年が立っていた。


「あ」


 見覚えがあった。


「君、大丈夫かい?」


 目の前には、ハイネルの幼馴染のフラン・フォーゲルが立っていた。 

 どうやら助けてくれたのは彼のようだ。


「はい。ありがとうございます、フランさん」


 セイルがそうお礼を言うと、フランはにこりと微笑んだ。

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