とある遺跡の記録:laissez vibrer D
White clouds remains ――――A long time ago “D”
それはある晴れた日の事だった。
年老いた魔法使いの元に、弟子がやって来て、何度目かの春を越した頃。
最初の頃は元気だった魔法使いも、だんだんと年には勝てなくなってきていた。
この日、魔法使いは体調を崩し、休んでいた。
何てこともない風邪であった。だが、それを『何てことはない』と笑い飛ばせるほど、魔法使いはもう若くはない。
日々衰えて行く体を感じながら、魔法使いはベッドに横になって、ぼんやりと外を眺めている。
「……わしも年を取ったな」
そして、魔法使いはぽつりと呟くと、自分の手を見た。
しわしわの手だった。
その手には、切り傷や火傷の痕、油の染みなど、ウッドゴーレムを作る際に起きた様々なものが染みついている。いわば魔法使いの人生の象徴であった。
怪我も多くしたし、実験の失敗で爆発が起きて死にかけた事もある。だがこうして無事で、指が全部残っているのは奇跡的な事なのだろうと魔法使いは思った。
魔法使いの人生は、常にゴーレムと共にあった。
幼い頃からゴーレムに没頭し、学び、生きてきたほぼその全てを、彼はゴーレムに捧げていた。
かつて魔法使いにも妻と子供がいた。だが、彼のそんな生き方に愛想を尽かし、出て行ってしまった。
志を同じくした友人達も、その多くがゴーレムを作る過程で命を落としたり、途中で諦めて去って行ったりと、一人、また一人といなくなっていく。
そうして気が付けば、魔法使いは一人きりだった。
だがそれでも、魔法使いは諦めなかった。一人になっても必死に理論を完成させ、このウッドゴーレムを作り上げたのだ。そうして魔法使いは、一人と一体になった。
魔法使いは喜んだ。そして――一緒にいる者は、このウッドゴーレムだと、最後まで一人と一体なのだと思っていた。
だが、そこに変化が起きた。弟子の存在だ。
いつの間にか彼には弟子が増えていたのだ。
最初は魔法使いも困惑した。誰がこんな、気難しく、頑固で、愛想も良いとは言えない魔法使いの弟子になりたがるのか。そう思っていたのだ。
だが弟子は、魔法使いがどんなに愛想悪く接しても、厳しく接しても、離れて行く事は無い。いつも一生懸命に、魔法使いの教えを聞いてくれるのだ。
「長生きはするもんじゃなぁ……」
魔法使いは小さく微笑んだ。
最初はおどおどしていた弟子だったが、今では動き回ろうとする魔法使いをベッドに押し込んで「お願いですから休んでください!」と言うまでになった。
看病をされながらも、魔法使いはそれが嬉しいと、素直に思うようになった。
最近ではウッドゴーレムも弟子の言う事を聞くようになり、二人で魔法使いを部屋から出さないように、両手を広げて入口を塞いでいた姿を思い出して魔法使いは静かに微笑む。
(ああ、もう、大丈夫そうだ)
魔法使いは時々、自分が死んだらの事を考える。
そうしたらこのウッドゴーレムはどうなるのかもずっと考えていた。
だが、大丈夫だと、そんな風に思えるようになったのだ。
魔法使いはウッドゴーレムを自分の子供同然に愛している。
そして弟子の事も、言葉にこそしないが、同じくらい大事に思うようになっていたのだ。
「ふむ。今度は、もう少し高度な部分を教えてやるとするか」
そんな事を、魔法使いが口にした時。
不意に、外の方から弟子の大きな声が聞こえてきた。
「ですから、師は今お忙しいのです。お引き取り下さい!」
おっとりとした弟子にしては珍しく、怒りの混じった声である。
何かあったようだと、魔法使いはよろよろと身体を起こした。
熱でじくじく痛む頭に一瞬だけ顔をしかめ、魔法使いは靴を履いて立ち上がる。一瞬ふらついたが、構わず歩いて部屋を出た。
(まぁ、何があったかの予想はつくがの)
そんな事を思いながら、魔法使いは弟子の声がする方へと歩く。
すると、ウッドゴーレムが通路を塞ぐように立っていた。その先へは絶対に進ませない、というように。
その向こうに弟子が、見知らぬ男達の前で仁王立ちしている姿が見えた。
男は胡散臭そうな笑顔を浮かべ、両手を開いて弟子に話している。
「そうお時間は取らせません。お話したように、私達は博士のゴーレム作りに感銘を受け、是非とも協力をさせて頂きたいと……」
「師はお会いしません。あなた方の言う協力とは、博士のゴーレム製作の資料を渡せというものではないですか。あまりしつこいようでしたら、こちらにも考えがあります!」
弟子の強い口調に、男はおどけた調子で片方の眉をあげた。
そしてちらり、と弟子の後ろに立つウッドゴーレムに目を向ける。
「おや、そのウッドゴーレムで我々を追い返そうと言うのですか?」
「そんな事はしません。僕は――――」
「何の騒ぎじゃ?」
その会話を、魔法使いはわざと遮った。
そしてウッドゴーレムの横を通りぬけて、弟子の一歩前に立つ。
弟子はハッとした顔で魔法使いを見た。
「師匠、まだ……」
「問題ない」
心配そうな表情の弟子に、魔法使いは軽く首を振って見せた。
問題ない、というわけではないが、少なくとも立って話を出来るくらいは何とかなるだろう、と魔法使いは思っている。
「おや、これはこれは!」
そんな魔法使いに向かって、男は胡散臭い笑顔のまま、仰々しく会釈をした。
「お会い出来て光栄です、博士! 今日はお会い出来ないかと思っておりました」
弟子はムッとしたように男を見て、魔法使いに事情を話す。
「お師匠様、この方々が、お師匠様のゴーレム製作の資料を渡せと……」
弟子の言葉に魔法使いの目が細まる。
(やはり、それか。相変わらずじゃのう)
魔法使いは内心、ため息を吐いた。良く来る手合いである。
だが男は、そんな弟子の言葉に心外だ、と言わんばかりに大げさに肩をすくめた。
「渡せなどとは人聞きの悪い。私は死霊を買い取らせて頂きたい、と言ったのですよ」
「買い取るねぇ……」
そんな男の言葉に魔法使いはフンと鼻を鳴らした。
「どちらも同じことじゃろう。申し訳ないがな、ゴーレムの資料はわしの命と同じじゃ。お断りする」
「そう仰らず。買い取らせて頂いた後は、博士の研究の援助も考えております。悪い話では――――」
なおも食い下がる男を魔法使いは睨む。
「何を言われようと、お前達のような、どこの馬の骨とも分からん輩には渡さんと言っておるのだ」
そして、ピシャリ、とそう言い放った。
男は目を細める。笑顔こそ浮かべているが、その表情はどこか冷ややかなものへと変わっていた。幾ら繕っても、これがこの男の本質なのだろう。
「…………そうですか、分かりました。申し出を受け入れなかった事を後で後悔しないと良いのですが」
悔し紛れにそれだけ言うと、男は踵を返して出て行った。彼の連れてきた人間たちもそれに続いて行く。
魔法使いは男が見えなくなるまで睨んだあと、
「弟子よ」
「はい! 塩を撒くんですね!」
弟子は魔法使いの意図を察すると、直ぐに台所から塩の入った壺を持って来た。
そうして男達が歩いて行った方向に向けて、勢い良く塩を撒き始める。
魔法使いは満足そうに頷いた後、ウッドゴーレムを見上げた。ウッドゴーレムは二人を心配そうに見下ろしている。
その巨体に、魔法使いは手でそっと触れた。
「のう、弟子よ」
「はい、お師匠様」
「お前はゴーレムが好きか?」
「はい! 大好きです!」
弟子は元気よく答えた。直ぐに返ってきたその言葉に、魔法使いは穏やかに微笑む。
それは弟子が初めて見るような笑顔だった。
「お師匠さ……」
思わず声を掛けようとした時、突然魔法使いは激しく咳をし始めた。
そして膝を突き、手を口に当て、なおも咳をする。
その尋常ではない様子に、弟子はぎょっとして駆け寄った。
「お師匠様!?」
そうして背中をさすりながら覗き込む。見れば、魔法使いの手は赤く染まっていた。
血だ。
それを見て弟子は青ざめ、ウッドゴーレムに指示を飛ばす。
「お師匠様を早く部屋へ!」
それからウッドゴーレムに魔法使いを預けると、薬と水を準備するために、駆け出したのだった。
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