第22話


「えっと、こんばんわ」

「....ああ」



扉から現れたエレーナは、以前ランスロットがティナ達と用意したネグリジェにストールを1枚羽織った姿だった。侍女たちの手によってセットされている黒く艶のある髪は、寝る前なのだろう右耳の近くをリボンで結ばれただけの緩やかな姿だった。ただ、その緩やかな姿に反して、彼女の表情は強張り瞳も揺れ動揺の色を隠せていない。当たり前だ。婚約者である男の寝室に足を踏み入れるという事はそれなりの覚悟がいるだろう。




「ランスロット様、おかえりなさい」

「ただいまエレーナ。体調はどうだ」



久しぶりの逢瀬に心が震える。手を取り抱きしめてしまいたい衝動に駆られるが、エレーナはまだ扉の向こう側にいる。ランスロットは寝台からゆっくり立ち上がるとその扉の方へ足を運んだ。


コツリ。ランスロットはドアの目の前で停止する。

ただのドアだ。それなのに何故か目に見えない壁があるようにランスロットには感じてもどかしくなる。



「もうすっかり元気になりました。ご心配をおかけしてすみません」

「そうか」



辿々しい会話。

こんなぎこちない時間は初めてだった。ランスロットは眉を寄せてぐっと下唇を噛む。



「手をとってもいいだろうか?」


拒絶されるかもしれない。

ただ、ランスロットには触れる事を懇願する他良案が浮かばなかった。

その質問にエレーナはビクリと肩を揺らす。そして、少しだけ間を置いてからぎこちなく微笑んだ。



「....はい」



おずおずと右手を差し出すエレーナに触れる。ひやりとした女性らしい指の先がランスロットの手のひらに埋まった。


「...確かに熱はないようだな」

「心配しすぎですランスロット様」


クスリと笑うエレーナ。少しだけ顔が白い気がするがそれは月明かりのせいだろうか。しかし、この笑顔に嘘は無いと判断しランスロットは警戒を緩めてその瞳を細めた。ランスロットはエレーナの手の甲をそっと指でなでる。



「君の事を心配できるのは俺の役目だ。体調が戻ったならよかった」



それは心からの言葉だった。未だにエレーナを屋敷から出してはいない自分が言えた事ではない気がするが、彼女には笑顔でいて欲しいのだ。



エレーナはホッとしたように微笑むとランスロットの手を握りしめ微笑んだ。窓から差し込む満月の光はエレーナの黒髪を優しく照らす。闇夜の中の光はエレーナの存在を神秘的に際立たせて、ランスロットは「美しい」と思った。ランスロットは何度も恋に落ちるのだ。エレーナという最愛に。





「エレーナ。どこにもいかないでくれ」



気づくとランスロットはエレーナを抱きしめていた。力強く、逃げ出さないように。

冷酷だ変人だと言われている自分が、女1人に縋るなんて誰が思っただろうか。だが自分では止められ無いのだ。



「そばにいてくれ。離れるなんて言わないでくれ。そんなこと言われたら俺はもうお前を手放せない」


今以上に部屋から出せなくなるだろう。エレーナが出してくれと願っても、ここは嫌だと泣いて縋っても、特定の人間しか合わせず甘くぬるま湯のような場所に浸からせてしまう。

そんなランスロットの焦燥の中、エレーナはポンポンと背中を数回叩いた。その優しい手にランスロットはホッと息を零す。





「ランスロット様。私、至らない所が沢山あってすみません。どこにも出したくない気持ちもわかってます。でももう少し頑張らせてください。ダンスの練習もお茶会も大変だけれどとっても楽しいです。ソフィア家にいた頃は奪われていた事だから」



少しだけ悲しそうに微笑み彼女に愕然とした。母を亡くし継母達によって不自由な生活を強いられてきたエレーナ。貴族教育も令嬢教育も全て奪われていた。それをいま────


「俺も同じ事をしようとしていたのか」


ぼそりと呟いた声は夜の闇に消えていく。

近くにいるエレーナにはその声が届いただろう。それでも彼女は優しく微笑んだままだった。




「私はいまとても楽しいです。ランスロット様が私に優しさと自由をくれたから。ちょっと頑張りすぎて熱が出ちゃったけど、今度から気をつけます。お薬もちゃんと飲みます。」

「エレーナ」

「クレメンス家の女主人としてちゃんと出来ないかもしれません。でもテイラー達に聞いてゆっくりかもしれませんが覚えます。頑張り過ぎないようにします。だからランスロット様。」



エレーナは両手をランスロットの背中に回す。抱きつくような形になるがそれはエレーナの意図した事だ。

エレーナはゆっくりと伝わるようにと口を開いた。



「私を離さないでください」

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