反対






 本隊は数日前に発った。今から追い付くことは不可能。そもそも、すでに戦端は開かれている。

 王太子は、近衛のみを連れてアウグラウンド側の戦地に向かう。表向きは「お飾りの指揮官役」で、「出来ることは士気を上げることだろう」、とは王太子の言だ。自分のことなのに笑って言った。

 物資を乗せた荷車がなく、全員馬に乗り向かうため、かなり身軽。本隊がかかっただろう時間をかなり短縮して着いた。


「グレイル殿下!」


 自国の陣で馬を降りると、王太子に駆け寄って来る者がいた。


「どうぞこちらへ」

「その前に、ジルベルスタイン第五騎士隊隊長はどこにいる。出ているか?」

「いえ、第五騎士隊ごとまだいます。ジルベルスタイン隊長は、現在配置場所の最終確認のためあちらのテント内で会議に参加しています」

「そうか。では終われば来るように言っておいてくれ」

「は」


 陣地には、複数のテントが立てられていた。物資の保管場所、作戦会議のため、通りすぎたところでは横たわる人々が並んでいた。怪我人だ。

 血と、土のにおいが混ざり合う。戦いはすでに始まっている。目、鼻、耳。あらゆる感覚で、実感する。


 誰もが暇なく行き交う中歩き、一つのテントで立ち止まった。


「外で待機しておいてくれ。アルバートが来れば通してやれ」

「はい」

「お前は中に」


 視線でも中を示され、シルビアは王太子とテントの中に入る。


「フードをとってもいいぞ」

「……はい」


 フードを取ると、長く被り続けてきたからか、視界が余計に広くなった気がした。


「必要がないのに来るのはお勧めしない理由はあれだな。あの光景を見るのは、くるものがあるだろう。責任を課せられる言葉を浴びせられていれば、よりな」

「……」

「お前が望んだ戦場だ。第五騎士隊はちょうど出撃前のようだ。良い頃合いに来たな」


 王太子が、テント内にある椅子に座る。

 テントの中は、外のあらゆるものから薄く、緩く隔てられていた。音が微妙に遠い。においも鈍い。布一枚だというのに。


「アルバートが来るまで、雑談として軽く聞いておきたいのだが」

「……何でしょう」

「お前が恐れているのは、お前の兄たちか」


 問いは、空気に溶け込み、答える声なく沈黙が後に続いた。

 青い瞳が、シルビアを見る。この場で、答える者はシルビアしかいないのだ。


「……いいえ」


 シルビアは、やっと一言、答えた。

 ただし、否定したのは全てではないと、補足するために口を動かす。


「私の兄は、一人しかいません」


 ──「私は君の兄だ。ヴィンス、と言う」

 シルビアの兄はたった一人、彼のみだ。彼を恐れたことなんて、昔も今もない。

 そして、王太子が示しているのは、先日ジルベルスタイン家に侵入してきた男を含めた者たちのことだと分かっていた。


「『彼ら』が兄だと名乗ったことはありませんでした。兄だということも知りませんでした。私にとっては、後からそうなのだろうと思った結果でしかありません。殿下が仰る人達は、私の兄ではありません」


 キョウダイ、と判断する材料は様々だろう。

 血の繋がりや生まれ。血の繋がりも、同じ家に生まれたという生まれがなくとも、今のシルビアがそうであるように家族という括りを適用することも可能。

 でも、少なくともシルビアにとっての兄の基準に、『彼ら』は入らない。


「恐れている、ということは否定しないか。私に明らかに苦手意識を持っているのは、同じく王族だからか?」

「……すみません」

「謝らなくてもいい。聞きたいだけだ」


 そうは言われたが、シルビアは何と言えばいいのか迷う。

 率直に言ってもいいのか迷っているのではなく、単純に言語化が難しかった。感覚なのだ。

 それでもどうにか、絞り出してみる。


「……彼らは、いつも笑っていました。それは本心からの笑みであったのかもしれませんが、今の私はあの笑顔を向けられたことを思い出すと、言い難い感覚を覚えます。……そして、殿下が私に向ける笑顔は、下に何か隠れていそうで……」


 誤魔化す表情を浮かべる人は、他にも見たことがある。

 でも、違うのだ。笑顔は確かに本心で、もしくは本心が混じりながら浮かべられていて、本人もそれが心からのものだと思っている。だが、その下、裏には何か──


「私は、同じ環境に戻ることがこわい、のだと思います。彼らとまた接することが……」


 環境とは、場所であり、人でもある。

 再び彼らに囲まれたとき、自分がどうなるのか。かつてに後戻りするのか。分からないから、だからこそ、かつてに引きずられたくなくて避けたがった。


「ふむ」

「すみません。……殿下は全く別だとは、最近分かりました。今は、思っていません」


 少し話してみるだけで、違う、と感じた。

 無意識に避けたがっていただけなのだろう。もしくは、「殿下」と呼ばれる呼称によるか。


「狂人めいた者と一緒にされないようで一安心だが、それはつまり未だにその者たちに会うことは心境的に避けたいということに変わりはないということだな」


 それは間違いない。


「この戦場に、出てくる可能性は充分にある。すでに捕らえた血縁があれなのだから、他に戦をしかける脳を持っている兄弟がいるなら同じようだと考えた方が良いだろう」


 兄弟全てを示しているのではなく、戦をしかける脳を持っている兄弟だ、と謎の補足が入れられた。


「城で、お前は『逃げてはならないし、逃げない』と言った。それは、自分が発端で起こる戦から、だけでなく恐れるものに対しても同じことか」

「──はい」


 心の奥底が恐れていようと、覚悟はずっとしてきた。騎士団に入ったことは、シルビアの覚悟の証だ。


「その脅威を前にしても、狼狽うろたえず、決してその身を渡すことはないように。それだけは約束できるか」

「約束します」

「信用しよう。信用する他ないからな。──それからもう一つ、お前の『望み』とは」


 問いかけの途中、王太子が視線をずらし、出入口の方を見た。

 シルビアも振り向き、見ると、入り口の布が揺れて、誰かが入ってきた。


「アルバート、やっと来たか」

「遅いとは言ってくれるな。それより殿下、来るようだとは聞いていたが、来る必要は──」


 入ってきたところで、アルバートが止まった。布が、彼の背後でぱさりと閉まる。


「シルビア、どうしてここにいる」


 その灰色の瞳が、それほど信じ難いものを見た様子に染まったところを、見たことがあったろうか。

 シルビアの姿を見つけたアルバートは固まっていたが、やがてその表情が変化した。直後、機敏に前方を見据えた。


「グレイル」


 鋭く、彼は、王太子の名を呼んだだけで事態を問いただした。

 対する王太子は、にこりと笑う。


「士気に貢献しようと思ってな。そうすると、私の近衛もここに来ざるを得ない」

「シルビアは近衛じゃない」

「タイを見てみろ」


 指をさされ、アルバートがシルビアの方を一瞥し、タイを一応確認したのだと思われる。


「俺は見かけの話をしていない。シルビアは、近衛じゃない」


 ──アルバートは、怒っている。

 声音と、空気に滲む感情が何か分かった。これまでで最も触れる機会の少なかった感情で、気がつくのは遅かったろうか。

 それとも、傍目には誰にでも分かりにくかったか。アルバートは怒鳴っているわけではなかった。


「シルビアは王家預かりで、戦には出ないと決まったはずだ。──まさか、何かさせる気じゃないだろうな」

「『何か』が通常の戦闘でない意味なら、あまりにも状況が悪くなればとだけ言っておこう。陛下にも許可は取ってきた」


 アルバートが何か言い返そうとしたが、口を閉じた。こんなアルバートは、初めて見る。


「彼女も容認した」

「……シルビアが?」

「そうだ。ちなみに言っておくと、事の始まりはそのシルビアが、戦に出る強い意思を示したからだ」


 端から見つめていたシルビアは、その瞬間アルバートの視線に射ぬかれ、不意打ちで驚いた。


「覚悟は上々のようだぞ。自らを狙う者たちに立ち向かう心構えが出来ている」

「……だからと言って、一度決まったことがこんなに簡単にひっくり返って堪るか」

「簡単とは言ってくれる。そこそこ工夫は凝らした。そして決まったことは決まったことだ。第五騎士隊はもうまもなく出撃だろう。シルビアをこれから戦線に加えるかどうかは……私はやることはやったので、揉めるなら当事者同士でやってくれ」


 言うや、王太子は立ち上がり、「話をするなら、ここでするといい。私は責任者に会ってこよう」と、さっさと出ていった。


 シルビアと、アルバートだけを、テントに残して。


 ──感じる雰囲気が、重くなるばかりだった。

 王太子は、城を出て、ここに来る許可をくれ、連れてきてくれた。装備も返してくれ、戦う許可をくれた。

 だが、ここから先は、アルバートを乗り越えなければならないらしい。

 シルビアは、ぎゅっと手を握りしめた。問題ない。伝えるのだ。理解は、きっと得られる。


「どうして来た」


 張り詰めた声が、問いかけた。短く、簡潔な問いだった。

 アルバートとの間の距離は、手を伸ばしてもぎりぎり触れないくらい。その位置から、アルバートはシルビアを見下ろしていた。表情は固い。

 彼の声だけでなく、空気まで張り詰めている。アルバートの雰囲気に引っ張られ、シルビアがそう感じているだけなのだろうか。


「グレイルに直談判したのか。そうまでして、どうして来る」

「私は、城にいるべきではなく、ここに来るべきだと思ったからです」


 言うのだと覚悟をしたことは、しっかりと言えた。

 アルバートを真っ直ぐに見返して──しかし、その瞬間、アルバートの表情が変化した。

 その表情に、シルビアは驚いた。

 苦しそう? 悲しそう? 分からない。ただ、彼は見たことのない表情で、酷く重くなってしまった口を、苦労して開いたように見えた。


「俺は、お前に戦場に立って欲しくはない」

「私が狙われているから、戦場に出るのは危険だから、ですか」

「……違う。立つべきじゃないと言っているんじゃなく、俺が、お前に戦場に立って欲しくない」


 反応が遅れた。「──どうしてですか」と、聞き返した。

 戦場に立つべきではない、ではなく、戦場に立ってほしくない。そこに具体的にどのような意味の違いがあるのか、分かるようで分からない。言い方が違い、意味が違うのも分かる。だけれど。

 シルビアの問いに、アルバートはただ首を横に振った。


「ここに来るだけじゃなく、どうして戦場での切り札にされることも容認した、自分で手繰り寄せる。この戦は、切り札無しに終わらせてみせてやる。わざわざ出てくる必要はない」

「それに関しては、アルバートさんは、私が騎士団に入ることを許して下さいました。騎士団に入るということにはその意味が含まれていて、戦場に立つのは当然という意味でもあるはずです」

「そうだ。後半部分は、許可しておいて完全に矛盾だ」


 すんなりと、矛盾だと肯定されたからシルビアは少し困惑する。今、アルバートが分からなかった。


「シルビア、さっき城にいるべきじゃないと言ったな。その理由は何だ。俺はお前が気にすることは一つとしてないと言った。お前が自分自身を犠牲にするなと」

「……そう、です。アルバートさんは、この前自分のための犠牲だと思うなとも言いました。でも、この戦は、私の──私のせいで起こっていると言えるのではないですか?」

「周りが勝手にしようとしていることだ。お前が望んだことじゃないだろう」

「それでも、事実なら、私が戦わないのは間違っていることです。この戦は──」

「俺が」


 強く、遮られた。

 シルビアの声を引っ込めさせたのは、声だけでなく、こちらを見る目が原因だった。


「俺が、間違えていないと断言してやる。何が間違えている。お前がここに立つべきだということこそ、誤りだ」


 灰色の目は、荒れ狂う感情を封じ、シルビアを強く捕らえていた。

 王太子の変貌を前にしても言えたのに、シルビアは、散々考えてきたことを言えなくなる。


「誤り……って、どうして、そんなこと、言えるのですか」


 まともな言葉は喉につっかえて出てこない。

 誤りではないはずだ。シルビアの言い分に一理あるから、王太子は許可を出したのだから。


「『どうして』?」


 アルバートが、微かに笑みを溢した。


「俺がそう思うからだ。理屈はない。正論でもないのかもしれない。隊長としては失格なのかもしれない」


 それでも、と、彼らしくないことを言ったアルバートはそのまま続けた。


「俺は、お前が『女神』として扱われて欲しくない。ただ、シルビアとして生きて欲しい。どうしてお前は──自分の身を案じてくれない」


 シルビアは、なぜか、完全に言葉を失った。

 その言葉と、声、表情、目を向けられ、反論の全てが出てこようとするのを止めた。


 アルバートが、こんな様子になっているのはシルビアのせいだ。シルビアが、ここに来たから。

 引っ込んでいるはずなのに、戦場に来ることを望み、王太子の言葉も全て飲み込んだから。

 そして、身を案じてくれているとも感じて、分かり、どうしようもなく苦しくなった。

 すみません、と謝りたくなった。我が儘を通して、ごめんなさい。困らせてしまった。


「……これが終われば……大人しく、しています」


 厳しい顔をされるかもしれないと思っていたが、予想もせず、見たこともない様子を見て、シルビアは手を無意識に握りしめた。


「違う……単純に大人しくしていろっていう意味じゃなくてな……」


 アルバートは、荒く自らの手で髪を乱した。

 それが、彼が出すまいとしている感情の強さを示しているようだった。


 これほど反対されても、シルビアはまだ納得するわけにはいかない。

 でも、これで駄目であれば、駄目かもしれないと、最後に頼み込む。


「お願いします。この戦を喜んではいけませんが、私にとっては機会でもあるのです」

「──知っている」


 そのはずだ。

 騎士団に入りたいと言ったとき、シルビアは不純な動機を彼に正直に伝えた。


「ヴィンスのことなら、任せろ」


 シルビアは首を横に振る。


「お願いします。私は、このために強くなりたいと望みました」


 騎士団に入った意味だ。

 騎士団から離れる日も近かったが、今、この戦場に立つことは同時に機会でもあるのだ。最初で最後の場に、立たせてほしい。

 たった一つの望みなのだ。

 その思いを込め、見続けると、アルバートは目を閉じた。


「……来い」


 言い捨てるように言い、折れ、アルバートは動いた。

 出入口に向かう彼はシルビアに背中を向け、先に出ていった。









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