なぜ






 城の広場は、ちょっとした演習が出来そうなほど広い。

 現在、その広大な場は、もう一人として割り込める隙間がない。

 多くの人間が綺麗に並び、その場を埋め尽くしていた。騎士団の制服が大半、前方だけは白が並ぶ。


 第一騎士団から順に並んでいる中に、もちろんシルビアもいた。シルビアには前は見えないが、何が行われるかだけは知っている。

 神官による戦前の儀式に及ぶ。神に勝利を祈る儀式だという。

 鳥の鳴き声もなく、風も吹かない。大勢の者がいるとは思えない静けさが満ちる中、厳かな声がする。おそらく神官長だろう。

 シルビアからは、少し聞こえるくらいの声がしばらく続くと、前から何か音が聞こえはじめた。

 何か、次のことに移ったらしい、と如何せん四方の人しか見えないため周りに集中していると、前にいたレイラがしゃがんだ。

 とっさにシルビアもしゃがむと、周りも前から沈んでいった。

 きょろ、きょろ、と密かに周りをよく観察すると膝をついているようだったので、シルビアもそっと膝をつく。

 そのときなら前方が見られたかもしれないが、シルビアは周りに習い頭を垂れ、目を閉じた。


 日常になかったことが、続く。

 騎士団への入団、それが当たり前になった頃に、お茶会、先日は夜会、そしてその先日から続いてきた日々にまた一区切りつけられた。


「我が国に勝利を!」


 儀式の終わり、総帥である養父が、しっかりと聞こえる声で言った。

 直後、咆哮のような勇ましい声が湧いた。これより戦士となる者たちが拳を突き上げ、叫ぶ。

 全身が痺れるほどの声は、広場に響き渡り、街にも聞こえたのではないだろうか。


 ──ああ、始まるのだ


 戦が。

 これまでの平穏と正反対の日々が始まる。この儀式は、その区切りのように感じられた。

 雄叫びの渦の中、シルビアはぽつんと一人城を見上げていた。



 儀式が終わり、解散してその場を離れても、耳に声が残っている心地がした。


「テレスティア側も警戒するなんて、どうなってるんだろうな」

「味方になるんじゃなかったのか」

「この前の話が上手くいかなかったっていうわけじゃなさそうだったよな」

「兵まであっちに割くんだ。不穏なのは間違いない」


 テレスティア側も警戒する。

 第五騎士隊でその見込みが伝えられたときも動揺が走ったが、騎士団全体に激震が走った。

 どういうことだ。同盟関係になるのではなかったのか。交渉は決裂したのか。様々な憶測が飛び交った。

 テレスティア側からのアウグラウンドとの関係をどうするのか、敵となるのかどうかの返答はなかったという。

 名目上は国境に近い騎士団の人員強化だが、実態は戦が出来る人数と装備が補強されるというものだ。


「本当、どうなってるんだろうね」


 横で言ったのはレイラだった。

 レイラは騎士隊を離れることにはならなかった。近衛隊隊長の話は上手くいなかったのだろうか。両方が納得したのだろうか。

 見上げたレイラの横顔から読み取れるはずはなかった。


「シルビアは、アウグラウンド側に行くとこになってるんだったね」

「はい」


 第五騎士隊の神剣の使い手は二分される。

 テレスティア側と、アウグラウンド側。シルビアはアウグラウンド側の隊に配属されることとなった。レイラはテレスティア側だった。


「怪我はしてしまうかもしれないけど、絶対に無事に戻って来ること」

「はい。レイラさんも……ご無事で」

「シルビア、なんでそんな顔するの」


 レイラが、シルビアの頬を両手で挟んだ。

 どんな顔だろう。


「私は無事どころかぴんぴんして帰ってくるに決まってる。……それよりも心配なのはアウグラウンド側に行くシルビアなんだから」


 アウグラウンドとは戦になると決まっているが、テレスティアとは一応まだ分からないから。

 ただ、緊張感は同じくらいだ。ある種、テレスティア側の方が高いかもしれない。いつ何時攻められることになるか、攻められればその瞬間から応じなければならない。


「シルビアは強いけど、最近、暗いから。それは戦だから暗くなるのは当たり前だけど、気分落ちすぎるのは良くない」

「……はい」

「本当に分かってる? 絶対に、気力だけは出して行かないと駄目だからね」

「はい」

「こっち側落ち着くか、片付いたら援護に行くから」


 レイラの目は、力強かった。


「おい、レイラ行くぞ」


 シルビアが、最後の言葉には返事できないうちに、レイラの背中を強く叩いていった人がいた。


「いたっ! り、了解です。じゃあシルビア、行く前にまた会えるか分からないけど」


 じゃあね、とレイラは手を振って、先に行ってしまった。

 次再会出来ると信じて疑わない、軽い挨拶だった。


 シルビアも行かなければ。

 物質の積み込み、各員の出発の準備、改めての出軍の許可が出れば出発だ。周りが忙しなく走り行き交うのに混じり、第五騎士隊の部屋へ走り──。

 腕を引かれて、脇に引っ張り込まれた。

 急なことで、踏ん張りもきかずそのまま横に倒れ込みそうになる勢いで引っ張られたシルビアは目を白黒する。

 何だ。

 一瞬の出来事。誰かにぶつかることで止まり、引っ張られた方をすかさず確認した。


「……なぜここに?」


 ジルベルスタイン家の侍従。アルバートの侍従だった。

 ここは城だ。思わぬ人物がいたことで、シルビアは侍従の顔を見たあと、意味もなく全身を確かめた。確かに全身あって、確かにここにいる、と意味の分からないことを確かめて、顔に戻る。


「乱暴をし、申し訳ございません」

「いえ、何ともないので問題ありませんが……」


 なぜここに?

 さっきとっさに問いかけたことをまた思いつつ、首を傾げる。


「事情は多くあるようなのですが、私からは何とも。ただ、しなければならないことがあり、ここに。──シルビア様、今すぐ私共と来て下さい」


 私共。

 その言葉で、初めて侍従の後方に他の誰かがいることに気がついた。

 一人ではなく、四、五人はいるか。ジルベルスタイン家の者ではない。騎士団の制服を着ていた。……シルビアの着る制服とは少し違う。

 王太子の近衛の制服のデザインが細かなところで異なるように、しかし、王太子の近衛ではない。はっきりと分かるのは、タイのデザインだ。


「……どなた、でしょう」

「王妃様の近衛です」


 近衛の中でも、王族の誰の近衛かでデザインが異なるらしい。リボン結びにしているタイに描かれた印は、王妃の近衛の印。

 だが、王妃の近衛だと説明されても、頭が混乱するだけだった。

 まだジルベルスタイン家の侍従が城にいるだけならましだったかもしれない。シルビアと関係があるから。

 でも、王妃の近衛?

 シルビアが戸惑っていると、侍従がせめてもの説明を重ねる。


「シルビア様の身は、これより王妃様がお預かりになられるそうです。正確には王家預かりだとのことです」

「王家、預かり……?」


 説明は、意味が分からなかった。

 シルビアは戸惑うしかできなくて、侍従と侍従越しに王妃の近衛だという人たちを見る。


「すみませんが、少し、意味が……。私はすぐに戻らなければならないのですが……」


 シルビアの様子に、侍従がどことなく悲しそうに首を横に振る。


「……シルビア様、残念ながらその必要が──」


 侍従の言葉が切れ、視線が移り、軽く頭が下がった。

 後ろだ。察し、シルビアは振り向いた。


「アルバートさん」


 儀式が終わるや、人の波の向こうに消えていったはずのアルバート。

 彼の前から、タイをリボン結びにした者が一礼し下がる。王妃の近衛だ。


「どう決まった」


 彼が問いかけた先は、自らの家での侍従だった。


「これより王家預かりになるそうです」

「……城にか」

「はい。要約すると『やはり戦中も最も警護が厚いのは城であり、この先シルビア様がおなりになる立場を考えれば城に匿っても良いだろう』、との判断だそうです。奥様が対応され、その準備は整っております」

「それならそうと知らせろと言うんだ。……予想はしていたがギリギリだぞ」

「申し訳ございません。言うなれば全てがぎりぎりで、実行もぎりぎりがどさくさに紛れて良いだろう、と」


 謝る侍従に、お前じゃない、とアルバートが手を振った。


「どさくさに紛れて、は確かにその通りだが、そこを気遣うならな……父上へは」

「同じく王妃様の近衛の方が」

「そうか」


 様子がおかしいと思った。

 アルバートと侍従の間では、話がスムーズに進んでいる。さっきシルビアが言われたことの他、情報が加わり、シルビアは追いつけないのにアルバートはそうではない。

 良くない胸騒ぎに、胸の辺りで手を握り締めた。


「アルバートさん……」


 恐る恐る呼び掛けて、やっと、アルバートがシルビアを目に映した。


「シルビア、お前は留守番だ」


 彼は、そんなことを、言った。


「──どういうことですか」

「理由は、大まかに言うと『この戦でお前を戦に出すのは危険だから』だ。お前は狙われている」


 シルビアをどうするか。戦の対応にも迫られる中、話し合われた結果、そうなったようなのだという。

 シルビアの身は城で預かられる。留守番。

 戦には、行かない。


「シルビア、悪いな」


 アルバートが、謝った。


「だが、俺も今回ばかりはそれがいいと思っている」

「……?」

「悪いな」


 また一度、アルバートは謝った。


「戦は勝って終わらせる。お前は、待ってろ」


 何を、言って……。

 シルビアは微かに首を横に振った。アルバートが何を言っているのか、明確には理解出来ていなかったけど、否定しなければと思った。


「大丈夫だ」


 否定しなければならない、と思った理由は他にあった。

 だがその瞬間、「大丈夫」と頭の中で重なった声があった。


「お前は何も心配しなくていい。これで全部終わる。いいか、お前が気にすることは一つとしてないから、ただ待っていればいい」


 アルバートがシルビアの後ろに目配せし、背を向けた。去っていく。


「──アルバートさん!」


 アルバートは振り返らなかったし、シルビアは前にいる近衛を押し退けて追うことはなかった。

 ──この選択肢を、閉ざされてしまうのか



 シルビアは、王妃の近衛の案内に従った。ジルベルスタイン家の侍従も一緒で、通常の通路でない隠し通路のような場所をずっと歩いていき、出て、一つの部屋に通された。


「お嬢様」


 そこには、ジルベルスタイン家のシルビア付きの侍女が二名いた。


「なぜ、ここに」

「これより、ここでお嬢様のお世話をさせていただきます」


 二人は揃って礼をして、「ああ、顔色がお悪く……」と早速シルビアを案じた。


「では、本日より、こちらでお過ごしになって下さい」


 振り返ると、王妃の近衛が揃って一礼し、その場を辞し──扉が、閉まった。








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