第三章『迫る過去』
もしも
アウグラウンドが、宣戦布告をしてきた。
上層部では予想されていたはずだが、ほとんどの者にとっては唐突に思えただろう。
「テレスティアがこの国に来たからか」
「だとしても、同盟が結ばれるかも分からないっていうのに、簡単にこっちにも矛先を向けてくれるな」
繋がりを見つけるとするなら、テレスティア。
テレスティアと戦をしているかの国が、この国に使者を送ったとどこからか聞き付けてきて、不利になってからでは遅いと手を打ってきた。
……これが、アウグラウンドがこの国に突如宣戦布告してきた理由として大勢が納得したものだった。
しかし、やがて驚愕の事実を知ることになるかもしれない。
テレスティアはこの国の味方ではなく、敵となり、アウグラウンドと手を組んで攻めてきて、この国は二国を相手にしなければならない、と。
テレスティアの使者たちは、国からの帰還命令が出た。その帰還命令も、アウグラウンドが裏で糸を引いているのかもしれない。
結果的に言うと、テレスティアの使者たちは国に帰った。途中でどんなやり取りが行われたのかは不明だが、帰った。
いい傾向ではない。彼らの国がアウグラウンドの手にあるのなら、敵に回る可能性が高すぎるのだ。
だからと言って、引き留めることも難しい話だったろう。
どのみち、敵に回るのかもしれない。引き留めて難癖をつけられ、戦をこちらのせいにして始められるか、大人しく帰してそのまま敵になるか。
行き先は、大して変わらない。
アウグラウンドから来た者の存在は隠され、その男は未だどこかに捕らえられているはずだ。
テレスティアと共に返す理由はない。あの存在は『この国にいるはずのない存在』だから難癖つけられる可能性が極めて低い。
だが、その存在を人質にアウグラウンドと交渉することは出来なさそうだった。
かの国は、『その人物』がこの国にいると分かっておいて戦を始めることに決めた。
戦は起こる。宣戦布告は引き金だ。
戦端はまもなく開かれる。
城は一気に不穏な空気に支配された。ぴりぴりと緊張感に満ち、騎士団では誰もが厳しい顔をし、その他の戦いの行方を祈る人々は不安そうな顔をする。
「──だって言ってるでしょ!」
「レイラ!」
シルビアはビクリとした。
廊下を歩いていたら、突然左手のドアが開いたのだ。あと少し前ならドアに鼻を打っていただろうことにも驚いたが、ドアが開いて明確に聞こえてきた大きな声に驚いた。
とっさに足を止め、その場に留まっていると、ドアの向こうで近かった足音が遠ざかっていく。
「レイラ……」
そう、あの大きな声の内、女性の声はおそらくレイラだ。あんな種類の様子の声を聞いたことはなかったけれど、彼女だ。
そして、残った男性の声は……。
「……シルビアちゃん……?」
王太子の近衛隊隊長だ。
ドアがなくなって、その向こうに声の主である近衛隊隊長が現れた。
シルビアを見つけ驚いた彼は、「ああ」と頭をかいた。
「恥ずかしいところ見られちゃったな」
「いえ、見えはしませんでしたが……」
ドアがあったので、レイラの姿も結局見えず仕舞いだ。
しかしどうしたのだろうか、とは思ってしまう。
口には出さなかったけれど、近衛隊隊長はレイラが去った方を少し振り返って、またシルビアを見た。
「少し、レイラと話し合いをしたかったんだ。僕は、怒らせてしまった」
その微笑みは、弱くて、悲しそうだった。
本当にどうしたのか。
シルビアが何と言ってよいか分からないでいると、近衛隊隊長はじっとシルビアを見つめる。
「シルビアちゃんは……いや、うん……シルビアちゃんは、所属している第五騎士隊が大きな戦力だって知ってるかな」
かなり迷いながらも、近衛隊隊長はそんなことを尋ねた。
「……神剣の使い手がいるから、ですか」
「その通り。一人一人が戦況を左右する力を手にしているから、戦況がどうあれ前線に出る可能性はとても高い。知っていたかい?」
「何と、なくは」
「そっか。それでも、シルビアちゃんも戦地に行く覚悟は決まっているのかな」
シルビアは、はっとした。
近衛隊隊長は、「そういうものなんだかなぁ」とぼやいた。
「僕は、レイラに戦に行って欲しくなくて説得しようと思ったんだ。でも彼女は第五騎士隊であることに誇りを持っているし、僕自身レイラがとても強いことは知っているから、今まではそこまでしようとはしなかった」
ただ、と彼は、最早独り言のように呟く。
彼はシルビアを見ていない。見ているのは、もう、ここにはいない──
「戦となれば、別だ。魔物とは別の脅威がある」
「ジェド」
誰かが、まるで声を遮るように、近衛隊隊長に声をかけた。
「アルバート」
近衛隊隊長の視線が浮き、シルビアの後ろを見た。
「おっと、仕事は正当に抜けて来たんだぞ」
「誰もまだ何も言っていないだろう」
シルビアが見ると、横に並んだアルバートがこちらを見下ろして手に持つものを差し出した。
「シルビア、これ、俺の部屋の机に置いておいてくれ」
「──はい」
頼んだぞ、と、シルビアはその場から送り出され、元々向かっていた方、第五騎士隊の部屋に戻る方へ行く。
「シルビアちゃん、さっきのこと、レイラには内緒でお願い」
「分かりました」
ひらひらと手を振られ、近衛隊隊長の横を通りすぎ、レイラも曲がっただろう角を曲がった……ところで、足が止まった。
「アルバート、何か用か?」
シルビアの歩みが止まる寸前に、近衛隊隊長が、自らを呼びかけたアルバートに要件を問いかけた。
「ああ、──ジェド、レイラを一時的に第五騎士隊から外すか」
「え」
え、と言ったのは近衛隊隊長だったけれど、シルビアも驚いた。
「……聞いていたのか?」
「少しな」
近衛隊隊長は、そうか、と言った。
「アルバート、そんなこと言うんだな」
「俺は何だと思われているんだ」
「いや、第一騎士団の第五騎士隊にいるならその責務を果たせ、とか言いそうじゃないか」
「否定はしないが、同時に第五騎士隊の人間にも家族やそれに類する人間がいることは当然分かっている。それだけの話だ。……お前が、婚約者であるレイラに戦に行って欲しくないと考えるのは分かる」
二人がどんな表情をしているのかは、角を曲がってしまったシルビアからは見えない。
アルバートの言葉に対し、近衛隊隊長は何も答えなかった。
ただ、沈黙が流れる。
「……アルバート、僕とレイラはまだ他人なんだ」
声は、少し離れているシルビアが拾い上げるにはぎりぎりの小ささだった。
「結婚していないからか。そういえば婚約者の期間が長くないか?」
「これでプロポーズはしているから、その辺りは誤解してくれるなよ」
「していたのか」
している、と近衛隊隊長の声に苦笑いが混ざった。
彼と、レイラは婚約者同士だ。年齢からすると、近衛隊隊長がアルバートと同じ年齢で結婚してもおかしくない年齢だというのだから、彼もそうなのだろう。
二人は婚約者。いつから婚約者なのかは、シルビアは知らない。でも、そこそこ長いのだとアルバートの言葉で分かった。
「どうやら僕のプロポーズが気に入らないらしくて、毎年毎回試行錯誤して臨んでいるところだ。ただ、どこが気に入らないかは言ってくれなくて、連続記録を更新中だ」
格好悪くて、そうそう誰かには言えない、と言う声はまだ笑い混じりだったけれど、
「そうこうしている間に、こんなことになってしまった」
次の言葉は、笑いは過りもしなかった。
こんなこと、とは、迫る戦のことだ。
「さっきも言ったが、一時的に外すことは可能だ」
「……レイラが望んでいない」
「そうだろうな。レイラはそういう性格じゃない」
「もしも手を回して強制的に離れさせれば、レイラから嫌われる。嫌われたら、一気に溝が出来て取り返しのつかないところまでいきそうだ。……離婚と違って、婚約解消は簡単な方だからな。……それくらい、結婚しているのと比べると繋がりが薄いって今実感する」
「お前が考えた結果だとは、レイラも分かるだろう」
「おそらく。それは分かってる。でも、見損なわれるんだろうと思う」
どうすればいいんだろうなぁ、と呟く近衛隊隊長の様子に、途方に暮れたような雰囲気が漂っている気がした。
レイラと話していたような彼。けれど、レイラは勢いよく出ていって、去ってしまった。
「本当は、これまでだって近衛隊に移動して欲しいってどこかでは思い続けていた。……いっそ嫌われて、一生嫌われてしまうのと、思い通りに行かせてあげるのとどっちがいいのか」
「それは、お前の考え一つだろう」
「そうだな」
──自分の考え一つだとは分かっていて。でも、望んでいることはレイラが望まないことで、レイラに嫌われたくなくて。でも、心配で。そして、一番心配なのは。
「万が一、もしも、レイラが死んだらと思うと耐えられない」
近衛隊隊長の声が、泣いてしまいそうだと、思った。
見てきた限りでは飄々として、笑っていて、共に船上で魔物に遭ったときはいち早く王太子を守るために魔物の前に立ちはだかった。
一瞬、庇われて見えた背中は、アルバートと同じように広かった。きっと、彼も、強い力を持つ強い人。
そんな人が、脆く、感じた。
「ジェド、しっかりしろ」
アルバートが、弱音を吐き出した同期に声をかける。
「今話したことは、レイラには言ったのか」
「シルビアちゃんには内緒でって言ったんだけどな、同じようなことは、言った」
「同じようなことじゃなく、全部言え。お前が決められないなら、その上でレイラがどうするかだ」
「……」
「ジェド、お前の気持ちは分かる。このタイミングで所属を離れれば、戻りにくいかもしれない。だが周りも分かる。思っているのは本人だけだ。結局は考え方なんだろうが、お前が葛藤するように難しい。──だが、それは確かに一つの方法だと俺は思う」
「……アルバート」
「あと一つ言っておくとするなら、レイラが死ぬようならそのときには相当の奴が死んでいる状況だぞ、それ。お前が知っていることを今改めて教えておくと、レイラは、強い」
「……知っているさ」
大きく、息を吐く音がした。一度。
「僕とレイラの問題だ。もう一度、しっかり話してみることにする」
「そうか」
「これだけ吐き出して、少し、すっきりさせてもらった」
どこに切り替えのきっかけがあったのか、これもシルビアには分からなかったが、空気がふっと軽くなった。
近衛隊隊長の雰囲気も軽くなった。さっきまでがうんと重かったのだと、今悟った。
「それにしても、アルバートはそういう種類の考えも持っているんだな」
「だから、俺は一体同期にさえどういう風に見られているんだ」
今度は反対にアルバートが息をついて、近衛隊隊長は笑った。
「そろそろ仕事に戻ることにする。気を遣ってもらってありがとうな。それから、アルバートも、──近衛にいて前線には出ない僕が言うのは説得力みたいなものが足りないかもしれないんだが」
「そんなこと関係ない」
「はは、それ以前にアルバートはこんなこと言わなくても大丈夫そうだ」
まあ一応、と前置きをして、近衛隊隊長は、
「無事で、帰って来てくれ」
と、言った。
近衛隊隊長の婚約者であるレイラは、まさに神剣の使い手だ。期待される戦力の一人。
そして、国同士の戦では、魔物という脅威はないが、神剣の使い手という脅威がある。神剣を有するのは、この国だけではない。
神剣の使い手にも、魔物とは異なる激しい戦いが待っている。
戦、とは、人が多く死ぬものなのだ。
「シルビア」
名前を呼ばれて顔を上げると、アルバートがいた。
「いたのか」
とっさに曲がり角の方を見るが、そちらを見ただけでは彼らがいたはずの廊下は見えない。いつ話が終わり、近衛隊隊長が去っていったのか完全に捉えられていなかった。
「俺の部屋にって、頼んだだろう」
アルバートが見た自らの手元を見下ろすと、渡された書類があって、シルビアはそれを握り締めてしまっていた。
「あ、これ、すみませ…………すみません」
書類をぐしゃぐしゃにしてしまったことと、置きに行かなかったこと、何より盗み聞きすることになったこと。
色々謝らなければいけないことが頭に駆け巡って、小さな声で謝るしかなくなった。
アルバートが静かに、シルビアが持つ書類に手を差し出したので、シルビアは書類を渡す。
「すみま、せん」
「どうしてそんなに謝る。行くぞ」
促すと共に、アルバートは、シルビアの頭を一瞬撫でた。
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