第38話 虹色のトカゲ

 崖の上の乾燥して荒れた土地とは別世界のように、谷の中は瑞々しい緑がそこかしこにある。真ん中に通る川は細くて浅いが、時折白いしぶきをあげながら勢いよく流れていた。川の両脇には石がごろごろと転がっていて、そのいくつかは透明感のある綺麗な石だ。川沿いの石は洗われて角が取れているが、少し離れた水しぶきがかかるくらいの場所では、濃い緑色のコケに覆われた石もある。


 そんな岩場の隙間に、キラキラと輝く虹トカゲ。


「案外あっさりと見つかったな」

「そうですね。なんて綺麗な……」


 日の光を浴びて、虹トカゲの体は様々な色をまとう。これは確かに、ペットとして人気が出そうだ。


「どうする?せっかくだから捕まえるか?」

「うむ」


 どうせ持って帰るなら、虹トカゲよりも薬の原料として使われる木の皮と岩苔が一番金になるとは聞いたが、この美しさは捨てがたい。

 後ろからシモンが追い立てて、俺が捕まえる。生け捕りにするために、武器は置いて腕に布を巻き、そこに噛みつかせる作戦だ。


「いきますよ」

「おう」


 リリアナは魔法で補助できるように待機している。冷凍の魔法が効くのは分かっているのだが、効きすぎて弱っても困るので、今回は補助に回ってもらうことになった。

 シモンは木の棒を持って追い立てる。基本的に憶病な虹トカゲはこっちに逃げてくるはずだと、そっと背後から近寄って待ち構えた。

 ところが、虹トカゲはその場を動こうとしない。そればかりか、シモンに向かって襲い掛かった。


「キューーーッ」

「うわっ」


 甲高い声をあげてシモンに噛みつこうとするトカゲ。シモンはびっくりしたものの、手に持った棒で応戦する。

 たかがトカゲとはいえ、胴回りは腕よりも太い。肉食なので、大きく開いたその口には鋭い歯が並んでいる。

 飛びかかってきたトカゲはシモンの持った木の棒に噛みつき、首を思いっきり振った。不意のことに油断したのか、石の上で足を滑らせてシモンの体勢が揺らぐ。


「「シモン」」


 リリアナが駆け寄り、シモンを支えた。


「大丈夫か、シモン。リリアナ、無理せずに危なかったら魔法を使え」

「キューーーッ」

「わっ、と。おう、こっちにもトカゲか」


 駆け寄ろうとしたとき、俺の後ろからもう一匹の虹トカゲが飛びかかってきた。

 少し驚いたが、布を巻いた方の手を強化して、受け止める。

 ガッチリ噛みついたトカゲの胴をそのまま噛みつかれている腕で抱き込んで、空いている右手で口を押さえた。


 俺が捕まえたのとほぼ同時に、シモンとリリアナも最初の虹トカゲを地面に抑え付けていた。


「キュッ、キューーッ」


 シモンの下で苦し気に声をあげる虹トカゲ。

 リリアナが、俺の方に近付いてきて、あっ……と小さく声をあげた。


「大丈夫か、リリアナ」

「うむ」

「それにしても、聞いていたより凶暴でしたね」

「それは……これの為じゃな」


 リリアナが指さしているのは、最初に虹トカゲがいた場所だ。

 近寄ってみると、転がっている岩とそっくりな薄いグレーの、丸い卵。いくつかあるうちのひとつが割れて、中から小さな虹色の顔がのぞいていた。


「卵……を守っていたのか」

「どうしたんですかー」

「ああ、シモン、こっちにトカゲの卵があるんだ」

「えっ」


 俺が抱きかかえているのとシモンが抑えつけているのは、つがいなのだろう。普段は臆病で危険からすぐに逃げるという虹トカゲ。そんな臆病なこいつらも、自分の子どもを守る為に戦うのか。

 ちょうど孵化の時期だったのだろう。また一つ、卵の殻が割れ、中からキュッと小さな声が聞こえた。

 その声を聞いて、腕の中のトカゲが暴れる。


 何とも言えない気持ちになって子トカゲを見ていたら、リリアナがぽつりとつぶやいた。


「これは……捕まえて持って帰れば、誰かに飼われるのじゃな」

「ああ」

「殺されて食べられるわけではない」

「ああ」

「それは、これらにとって、幸せなことなのかの」

「……」


 シモンも抑え込んでいたトカゲを抱きかかえて、そばに寄ってきた。


「うわ、子トカゲだ! 可愛いですね!」

「うむ、そうじゃの」

「俺たちは、冒険者だ」

「そうですね」

「今は仕事でここに来ている」

「そうですね」


 むむむっと、シモンが難しい顔で考え始めた。

 シモンはどう思っているのだろうか。彼は可愛いもの好きだが、これでも冒険者ギルドで何年も働いているのだ。可愛いからと言って依頼を軽んじることはないだろう。

 リリアナは無表情のまま俺の腕の中のトカゲを見つめている。

 リリアナの言いたい事は分かる気がする。リリアナもまた、このトカゲたちと同じように、囚われて飼われていたのだ。百年もの間。

 じっとリリアナの顔を見ていると、ふと彼女と目が合った。


「のう……リク。どうしてもこのトカゲを捕まえていかねばならぬかの?」

「仕事に情を持ち込めば、失敗に繋がるだろう」

「……そうじゃの」

「あのー、リリアナさんはこのトカゲを逃がしたいのですか?」


 シモンの問いに、リリアナが答えにくそうに頷いた。


「なるほど。そしてリクさんは依頼は成功させるべきだと?」

「ああ、そうだ」

「僕、思うんですけど……リリアナさんがどうしてそんなにトカゲを逃がしたいのかは分かりませんけれど、可愛いなら連れ帰れば良いと思うんですけどね。でも、もし逃がしたいのなら、逃がせばいいと思うんです」

「だが」

「だってリクさん、この谷で一番お金になるのは、このトカゲじゃないですよ?」


 キュッ、キュッと足元で声がする。

 卵は全部で四つだった。その全部が割れて、キラキラ輝く虹色が見える。


「この谷で一番儲かるのは薬の素材集めで、僕らの目的はお金を稼ぐことですから。虹トカゲは綺麗でしたから、捕まえて帰ってもいいかなーって思ったんですけど、そんなに嫌な思いをしてまでわざわざこれを捕まえなくてもいいと思うんです」


 ◆◆◆


 結局のところ、俺は甘いのかもしれない。

 子育て中のトカゲを逃がしてしまったことも、リリアナの我儘を聞き入れたことも。

 俺とシモンは抱えていたトカゲを地面に下した。

 トカゲはもちろん俺たちに感謝するわけもなく、今も俺たちを追い払おうと必死に威嚇している。


 そんなトカゲたちを横目で見ながら、傍らの岩にびっしりとはえている石苔を採取する。

 石苔は面白い程簡単に採れて、もう一種類、薬に使える木の皮も、十分な量を集めることができた。

 石に混じって落ちている魔石を拾えば、これでもうトカゲの二匹分以上の収入だ。


 そろそろ上がろうかと思い始めた頃、谷の奥の方から朝会った冒険者たちが帰ってきた。彼らもこれから上がるのだろう。


「おう、お前ら、しっかり採取したか?」

「ああ」


 三十歳くらいの男女四人組みの冒険者パーティーは、俺たちに一緒に帰ろうかと声を掛けてきた。そのうちの一人が岩陰で威嚇しているトカゲを見つけて声を上げる。


「あら、虹トカゲよ」

「あ、本当だ。可愛いよなあ、こいつ。お、子どもが生まれてるじゃねえか。いいねえ」

「……捕まえないのか?」

「え? だって、こいつ捕まえても持って帰るの大変だぜ? すぐ死ぬし」


 そのまま一緒に野営場に戻って、晩飯を食べることになった。彼らは普段は護衛で稼いでいるらしい。


「護衛の方が楽だし、まとまった金になるんだがな」

「時々息抜きにここに来るのよ。なんとなく、素敵な場所じゃない?」

「可愛い地竜にも会えるし!」


 あの巨大な肉食の地竜を可愛いと言う女冒険者。朝見た時にはしっかり攻撃していたんじゃないかと問えば、当たり前だと笑った。

 可愛いものは可愛い。獲物は獲物。

 あの地竜だって追い返さなかったら私たちがやられるし、だからと言って殺せばいいってものでもない。殺そうと思えば危険も増えるし、何よりも手間がかかる。

 長年冒険者をしている者たちの、ドライというか、合理的なエピソードの数々を聞きながら、賑やかな夜が更けていった。

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