第21話 今度、とは?


 サチの言っていたことを実践する。


 右腕の袖をまくると、穴の中にそっと差し込んだ。


 穴の中は、土がひんやりと冷たかった。

 しかし、二の腕くらいまで差し込んだところで変化が現れる。


 急に開放感が――というか、どうも腕がどこかに抜けたような感覚がするのだ。

 これが昨日、サチの腕が穴から生えていたのと同じ状態なのだろう。


 そのまま、はたと止まる。

 そこから少しも穴に入れないのだ。



 これ、どうするんだ?



 向こうからこっちに来るときは、穴に飛び込めばよかった。

 それを思い出して、慌てて同じようにしてみた。


 結果、失敗した。

 右足だけが穴に埋まって、そこでじたばたする羽目になる。


 どうも、向こうから来るには容易いが、こっちから行くには面倒なものらしい。


 しかし困った。

 これでは、戻れないではないか。


 こっちと向こうの時間は、ほとんど連動している。

 朝ということは、向こうも朝だ。


「……さすがに、岬も帰ってるよな」


 完全に自業自得だった。

 一時間で帰ると約束したくせに、楽しくて、つい時間を忘れてしまっていた。

 彼女が怒ってもしょうがないことだ。


 もしかして、このまま、こっちから帰れない?


 その予感に、背筋が寒くなった。

 いや、さすがにそれはないだろう。


 連絡が取れなければ、両親が不審に思うだろう。

 それでなくとも、無断欠勤で会社が気づくはずだ。


 ただ、それが何か月先になるか……。


 おれは再び、右腕を差し込んでみた。

 それから、ばたばたと動かしてみる。


 あのガラスのドームか、鉄のハンドルを掴めれば、あるいは……。


 むにっと、なにかを掴んだ。

 なんだ、これは?


 ごわごわしているような、それでいて柔らかいような。

 とにかく、なにかを掴まえた。


 よし、これを引っ張るように、トンネルに潜れば……。


 しかし、その手がビシッと叩かれた。

 痛い、と手を引っ込めようとすると、向こうからぐっと握ってくる。


「……え、なんだ?」


 突然、おれの身体が引っ張られた。

 不思議な感覚で、するすると穴の中に吸い込まれる。


 目を開けると、そこは見慣れたアパートだった。

 驚いていると、正面に岬が仁王立ちしている。


 彼女は非常に機嫌の悪そうな顔で、おれに言った。


「お、か、え、り、な、さ、い!」


 即座に正座する。


「……ただいま、戻りました」

「まったく、先輩! どれだけ心配したと思ってるんですか!?」

「すまん。言い訳のしようもない」


 彼女は出勤のときのワイシャツ姿だった。

 もしかしなくても、家に帰ってから、もう一度、ここに戻ってきてくれたのだ。


「ありがとう」

「…………」


 はあっとため息をついた。


「まあ、無事に戻ってきてくれたから、いいですけど」

「あとで、ちゃんと礼をする」

「当然です。それに今度から、ちゃんと時間は守ってくださいね」

「ああ、肝に銘じる」


 そこでふと、疑問に思う。


「今度、とは?」


 彼女は鞄で、ぺしっと尻を叩いてきた。


「早くしないと、遅れますよ!」

「うわ、もうこんな時間か!?」

「わたし、先に行ってますからね!」


 岬は笑いながら、先にアパートを出て行った。


 慌てて着替えていると、ふとテーブルの上のものに気づく。


 アルミホイルで包まれたおにぎりが並んでいた。

 合計四つのおにぎりが、右と左に分けられている。

 右側に『先輩用です』とメモがあり、左側が『サチちゃんたち用です』と書き置かれていた。


 おれはそのおにぎりを見比べて、苦笑した。


「……まったく、いい後輩を持ったな」


 おれは自分のおにぎりを鞄に入れ、サチたちのおにぎりを穴の中に落とした。




 昼休憩のとき、岬は外に出ていた。

 今朝の礼をしようとしたが、本人がいないのなら仕方ない。


 おれはふと思い出して、携帯で大学の友人に電話する。

 昼間だが、運よく出てくれた。


「おう。ちょっと、いいか」


 すると、向こうは面倒くさそうに応えた。


「初めて畑に植えるのは、なにがいいかな」


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