第20話 やべえ


 すっかりと夜も更けていた。


 サチはすぐに見つかった。

 小屋から見える場所――川のほとりで、草を編んでいる。


 その脇に腰かけると、彼女は緊張した様子でこちらを見た。


「まあ、だいたいの話は聞いたよ」

「は、はい……」


 デリケートな話題だ。

 慎重に言葉を選ぶ。


「おれの住む場所とは、ここは文化が違う。それでも、おまえがその悪いやつのものにならずに済んでよかった」

「本当に、そう思いますか?」

「もちろんだ。こうやって、おれに別の世界を見せてくれたのは、おまえだからな」


 月並みな言葉だが、こんなものしか思い浮かばなかった。


 サチの反応をうかがうと、彼女は照れたように笑った。

 おれも照れくさくて、誤魔化し笑いをする。


「しかし、アレだな。おまえみたいな子どもを狙うとは許せないな」


 フォローしたつもりなのに、じとーっとした目を向けられる。


 これは、アレだ。

 たまに岬からやられるのと同じだ。


 なにか違ったろうか。


「……わたし、もう成人しています」


 あまりに予想外だった。


「そ、そうなのか?」

「15です」

「いや、15は子どもだろう」

「そ、そんなことはありません!」


 そうか、ここは異世界だ。

 向こうとは概念が違うのだ。


「わたしはレディーです!」

「わかった、わかった。おれが悪かった」


 月狼族ということは、おそらくオオカミの一族なのだろう。

 その鋭い八重歯で噛みつかれてはかなわない。


「おまえが大人でも子どもでも、両親から愛されてることに変わりはないぞ。だからうしろばかり見ずに、二人を大事にしてやれ」


 サチは黙ってうなずいた。


 なんとなく、草原に寝転がった。

 天然のベッドが気持ちいい。


 おお、やはり田舎は星がきれいだな。

 そんな柄にもないことを考えながら、うっかり目を閉じた。


 それがいけなかった。


 別の世界を知った興奮。

 畑仕事の疲れ。

 あと、なんとなくアンニュイな気分。


 おれはあっさりと眠りに落ちていた。




 目を覚ましたとき、状況の把握に時間を要した。


 まず、朝だ。

 それは窓から差し込む朝日のために間違いない。


 窓ということは、ここは室内だ。

 そろそろと起き上がると、周囲を見回した。


 イトナがすやすやと眠っている。

 しかし、カガミの姿は見られない。

 立てかけてあった農具が消えているから、すでに畑に出たのかもしれない。


 そうか。

 ここは山田村だ。



 やべえ。



 おれは慌てて立ち上がろうとした。

 しかし、ぐいっと服の裾を引っ張られた。


 サチだった。

 おれの隣で、すやすやと寝息を立てている。


 ずいぶんと懐かれたものだ。


 同時に、そのことに罪悪感を覚えてしまう。

 神さまと慕ってくれるが、おれは自分の都合でおにぎりなどを投げ入れただけなのだ。


 とにかく、いまはそれどころではない。

 そうっと彼女の手を離すと、静かに小屋を出た。


 予想通り、すでにカガミは畑で雑草を抜いていた。


「おはよう!」

「ああ、神さま。よく眠れましたか?」

「おかげさまで、ぐっすりだ。カガミが運んでくれたんだろう?」


 この一家で、おれを運べるのはカガミだけだ。


「すまんが、もう帰らなければいけない」

「神さまの世界へ、ですか?」

「ああ、仕事があるからな」

「仕事ですか。ははあ。神さまも、働くのですね」

「まあな。それに、ここに植える苗を用意しなくてはいけない」

「何から何まで、本当に頼りきりで……」

「おれが好きでやることだ」


 カガミと握手を交わした。


「また来てください。サチが喜びます」

「そうかな」

「あの子が笑っていたのは、ずいぶんと久しぶりです」


 世事とはわかっているが、こそばゆい気分だ。


「毎日は無理だが、また来週、来るよ」


 そう約束すると、おれは例の祠の場所へと向かった。


 その、変哲のない穴を覗くと、暗いトンネルがずっと続いている。


 さてと。

 問題はここからだ。

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