第61目 三儀vs白主④

 ダイス『DARK』は、ずっとそこにいた。


 ずっとそこで、笑っていた。


「――生きているダイスなんて、そんな……そんなはずがない! だってダイスは――そういうものじゃない!」


「“命とはなにか”という哲学てつがく的な話に足を踏み入れる必要はないのですよ。

 玉子さん、あなたが生きている人間なのだとしたら、私は生きているダイスです。それ以上でも、それ以下でもない。あなたが生きていることを疑うのならば、私もまた疑わざるをえませんが、きっとそうではないのでしょう?

 あなたはそうして生きていて、私はこうして生きている。それがなによりの証左しょうさです」


 黒くあやしげにまたたくそれは、まるで三儀を薄ら笑っているようにも見えた。

 にらむ目も、みじろぐ身体も、うなる口も、どれも存在を認められなかったが、それらは確かにそこにあった。


 三儀は、目の前の光景に言葉を返せなかった。


 今までの白主の行いが、すべて目の前の怪物によってさせられていたのだとしたら、そこに救いを見いだせるのかもしれない。

 そんな思いはどこかにあった。

 しかしそれでも、三儀は素直に喜ぶことも、白主を動かす怪物に声を荒げることもできなかった。

 整理のつかない感情が怒濤どとうのように押しよせて、決壊けっかい寸前の心がこれ以上の衝撃を受けつけられないと、音のない悲鳴をあげているようだった。


 その様子を見て、『DARK』は確かにあざ笑う


「どうでしょうか。こうして面と向かい会えた今、闘い合うのは終わりにしようではありませんか。もしあなたが望むのならば、ともに神となって、その手に世界をおさめられるのですよ」


「そんなもの――お断りです」


「そうですか、それは残念です。では、どうしますか。このまま、この無駄な闘いを続けますか?」


「無駄なんかじゃありません! これ以上……あなたの好きにはさせない!

 あなたがたとえダイスなのだとしても、倒してしまえばすべては終わる。

 お父様も姉さまも、みんな帰ってくる……!」


 誤魔化しようのない悲鳴だった。

 まさしく心の叫びだった。

 ただ一つ残されたか細い糸を、三儀は必死にたぐりよせようとしていた。


「――


 黒い笑い声が聞こえた気がした。


 『DARK』の浮かぶその下、白主の左手が暗黒に染まっていく。

 その黒さはまたたく間に白主の身体を侵し、全身が闇のような黒さに覆われる。


 そして――ただ静かに、その身を崩し、砕け落ちていく。

 黒い人形ひとがたは影も残さずに、黒い景色に溶けていく。


「あ……ああ……」


 三儀は、思わず手を伸ばし、そこにいたはずの父の残像に飛びこんでいた。

 しかし三儀の身体は、なにものにも触れることはなかった。


 そこには、もうなにも残されてはいなかった。


 優しい思い出も、かすかな願いも、なにもかもが消えていく。


 闘いに勝てたとして、昔の父を取り戻せるのかはわからなかった。

 でも、それでももう一度、父は父として、姉は姉として、私は私として、また一緒に暮らせると思っていた。

 家族になれると思っていた。

 しかし、それこそが妄想だった。


 父だったものは、たった今、なくなってしまった。


 過去も今も踏みにじられ、未来までもが奪われてしまった。


 そうして『DARK』だけが、三儀を見下ろすように、そこに君臨くんりんしていた。


「あなたがこの闘いに勝とうが負けようが、この結末は最初から決まっていた。あなたの望むものは、なにも戻らない。


 私がいままでやってきたことは、すべて無駄だった。

 喝采白主を倒して家族を取り戻すなんて、最初から無理だったのだ。

 最初からすべて、消え去っていた。


 なんのための闘いだったんだろう。

 なんのために苦しんできたんだろう。


 すがるしかなかった小さな希望は、現実の残酷さを増すだけだった。

 たぐりよせられる糸など、初めからなかった。

 三儀の手につかめるものは、ここにはもうなかった。


「あなたのふたりの姉も、父と同じ運命をたどるでしょう。あなたはひとりだけ、この世界にとり残される。

 ――ああそういえば、もうひとりだけ残っていましたね。あなたのパートナーの……名前はなんと言いましたっけ、そう確か……廻転人――」


 暗黒に塗られた虚空こくうの先に、かすかな光が見えた気がした。

 ぽつんと残されたそれは、しかしまわりに喰われまいとあがき、より一層輝いていた。

 その鋭さに背中を押され、三儀は『DOG』に“”を託した。


「……私を好きにできるというのならば、やってみればいい」


 闇が降りてくるそのときも、きっとこの光だけは忘れない。

 三儀は心に強く願った。


 世界のすべてを見降みおろしながら、『DARK』は高らかに笑っていた。

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