第59目 浮梨vs魚井②
浮梨の言葉は、魚井の中にある二王へと訴えかけられていた。
ただ魚井には、そのどれもが、ただの説教にしか聞こえなかった。魚井にとっては、
その気持ちに反応するように、魚井の身体を這う黒い文様は、残っている肌色を浸食しようとさらに大きくなっていった。
――ふざけるな。
――なにが姉だ。
――なにが自分が背負うだ。
――今更……なにを言ってんだ!
「――黙って聞いてりゃこの期におよんで意気揚々と……! 本当にお前は何様なんだ! お前が……一位ねぇが、いなくならなければ、私は……私たちは、こんなに苦しまずにすんだんだ! 三儀は逃げ出さなくてもよかったんだ! 私が、廻と三儀に、こんなことをせずに、すんだんだ……! そのお前が、どの面さげて言ってんだよ!」
魚井の姿で、魚井の声であったが、その言葉は明らかに二王の言葉だった。
二王が姉に向けて吐露する、ジクジクとした内傷だった。
黒い文様が魚井の顔までも覆っていく。
「……あなたのそういうの、初めて聞いたかもしれないわね」
そんな妹の言葉を聞いた浮梨は、慈愛と自虐と、少しの安堵をこめた笑みを浮かべた。ようやく姉として、この場に立てたのだという気持ちがあったのかもしれなかった。
それを魚井は見た。
しっかりとその目で見ていた。
その目は、もう魚井の目ではなかった。
そこにはもう、ムカつく姉にどこまでも反抗する、妹の目しかなかった。
「――んなことを言うとでも思ってんのか、あぁ!」
だから魚井は――二王は吠えた。
二王は、黒く染まった自分の顔に手をかけて、強引にその皮を引きはがした。
そのまま力まかせに、顔から続く身体の黒ずんだ皮もろとも、すべてをはぎ取っていく。
もちろんそれは本当の
だがそれを可能にしてしまうほど、今の二王はすべてがぶち壊れていた。
その証拠に、べりっとはがしたその端から、おびただしい量の血液のような赤くて黒い
赤くて黒い、まるでいつかの炎のごとく。
神聖な空間が、真っ黒に染めあがっていく。
「
情けねぇことこの上ねぇ、と二王は吐き捨てる。
「これは、私自身の力不足が招いた現実なんだよ。私じゃダメだったんだ。私じゃ、一位ねぇの代わりも、三儀の代わりも、できなかった――ただそれだけなんだよ」
二王は、全身から黒々とした血飛沫をまき散らしながら、拳を握り、鋭い目を浮梨に向ける。
「だからこそ、今ここで、誰かの心の平穏なんかのために、一役かってやるつもりはねぇ! 手のひらの上でなんか踊ってやるもんか! 一位ねぇのそういうとこが、昔からムカついてたんだよ!」
「……そうだったわね。それこそが
浮梨はかぶりをふりながらも、どこか嬉しそうにしていた。
「そこまで言うのなら、証明してみせなさい。あなたのすべてを、そのまとわりついた偽物の影も全部、私にぶつけてきなさい」
「ああ、妹の下克上を受けてみろ」
『
黒く染まった伝説の鳥は、大きく羽を広げて咆哮した。
さっきまでの神々しい姿は見る影もなく、ふりあげた翼の先から、身に受けた闇をほとばしらせている。
その身体は段々と溶けるように崩れ、黒々しい
落ちていくドロドロとしたものは、触れるものすべてを、自身の身と同じように腐らせ溶かしていく。
まだなんとか形だけは保っている鳥は、一度大きく羽ばたいて空中に浮かびあがり、そして『ATM』に向かって、その身を飛びこませた。
浮梨は、自身にまで届きそうな黒い鳥の
「私は――今度こそ私は、あなたたちの姉として、すべてを受けとめるわ」
『
あらゆるものを浸食する黒い鳥に向かって、『ATM』は何重にも空気の層を作りあげていく。
黒い鳥は、その空気を突き破ろうとくちばしを伸ばし、巻き起こした風に自身を乗せて、その勢いを加速させていく。
空気の層は、黒い鳥の触れる先から腐っていき、起こした風はあたりを黒く染めていく。
しかし『ATM』の層は、幾重もの空気が侵されようとも、さらなる空気を壁として、一向に崩れる気配がなかった。
どころか、その重なりはますます増えていき、徐々に黒い鳥を押し返していく。
押し返しながら、空気の層は黒い鳥を囲むように広がっていき、その全身を優しく包みこんでいく。空気に包まれることで、鳥の身体を覆う黒がまわりに滲み出し、溶けこんでいく。
それに抗おうとよりもがく鳥だったが、空気はその身を逃さない。
黒さが抜けていく鳥は、失った身体はそのままだったが、神々しさだけは取り戻していく。もがきが小さくなり、包まれるがままに身を委ねるようになっていった。
まるで赤子のように身を丸めた鳥は、そのまま元のダイス『DUMMY』へと戻っていく。
ダイスとなった『DUMMY』は、包まれる空気に導かれながら、二の目を上にして地面へと降ろされた。
『ATM』も続けて、六の目を上に地面へと降りてくる。
「下克上が成功するのは、まだまだ先みたいね」
「そう、みたいだな」
二王の身体からも、いつの間にか黒い文様が消え去っていた。
黒い飛沫も、もうほとばしっていない。
内外ともにボロボロにはなっていたが、その
浮梨は、前のめりに倒れこむ二王へと駆けより、全身を使って抱きしめた。
「さんざん偉そうに姉風を吹かせてたくせに、肝心なときにいなくなるんじゃねぇよ。なにがあったのかは知らないけど、そういうときこそ私たちの出番だろうが。なに水くせぇことしてんだよ。どうしても逃げ出さなきゃいけなかったんだとしたら――せめて私たちを、一緒に連れていってくれよ」
「そうね……そのとおりだわ」
「まあそれでも、こうして帰ってきてくれたんだ、今日のところは勘弁してやるよ」
「あら、寛大なのね」
「そうさ、私はこれでもあんたの妹だからな、空気ってものを読めるんだよ。だから、この場にふさわしい言葉ってのが、手に取るようにわかるんだ」
今必要なのは、昔をふりかえるような言葉じゃない。
これからの言葉だ。
「おかえり、一位ねぇ。ずっと待ってたよ」
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