第36目 あのときみたいだな

 優しい笑みをこぼす浮梨は、スクリーンを軽く見やってから、転人たちを見渡す。


「見てもらった映像は、実況のとおり、今年の初めに行われたダイスダウン大会の決勝戦よ。その名のとおり、この大会は毎年年明けに開催される大会で、ダイス系学校の生徒であれば誰でも参加可能な一大イベントなの。

 他の参加条件は特になし。“役目負いキャスティング”できなくても出場は可能ね。もちろん勝ち目はほとんどないだろうけれど」


 転人は、この新春大会のことを知らないわけではなかった。

 ダイス系学校に通っていれば、一度は必ず耳にする話題だったからだ。

 ただ転人にかぎっていえば、自分にはまったく関係のないイベントだと思い、そのまま忘れ去ってしまっていた。

 理由は、言わなくてもわかるだろう。

 だから、浮梨の「勝ち目はほとんどない」という言葉に、少なからず興味をひかれた。


「歴代大会では“役目負いキャスティング”できないにもかかわらず優勝した強者つわものもいたらしいわ。まあ、都市伝説レベルの話ね」


 そんな転人の心中を知ってか知らずか、浮梨はそうつけ加えた。


「どう? ダイスダウン大会のイメージはできた?」


 浮梨の目は、転人と魚井の目をさっと見てから、三儀に向けられる。


「はい。ダイスダウンの……インターハイ? みたいなものですかね」


「そんな感じね。トーナメント方式でその年のナンバーワンを決める、いわゆる一つのお祭りよ」


「決勝戦の浮梨お姉ちゃん、かっこよかったです! 素敵でした」


「あら、ありがとう」


 浮梨は、また三儀の頭をなでる。

 今度は、優しくもしっかりとした手つきだった。

 三儀も、自ら頭を押しつけんばかりに、ふるふるとしている。


「ふたりも大丈夫よね? じゃあ次は、いよいよ今回の大会について」


 浮梨は最後に、三儀の頭をぽんぽんとやってから、転人や魚井を見る。


「今回の大会は、異例づくしなのよね。まずなによりも、こんなふうに突然開催が告知されるなんて、今までになかったことだわ。通例なら、少なくとも一度は首脳会談で話が出るものなのに、願石さんは聞いてなかったんですよね?」


「うむ。前回の集まりでは、いっさい触れられていなかった。だから正直、私も驚いている」


「ルールに関しても、異例中の異例ね。勝者を決める方法こそ、新春大会と同じくトーナメント方式ではあるんだけど、ただのトーナメントじゃないわ。

 闘うのは一対一ではなく、ニ対ニ。“ダブルデュエル”と呼ばれる形式らしいの。

 つまり今回の大会は、ナンバーワンの“チーム”を決める、“ダブルデュエルトーナメント”なのよ」


「ダブルデュエル? そんなこと、今までやったことあるんですか?」


「ないわね。大会だけでなく、ダイスダウン全体の歴史を見ても存在しないはず。……少なくとも記録上はね」


 前代ぜんだい未聞みもんのことらしい。


「それに、今回は参加条件ではなく、参加義務がせられている。“役目負いキャスティング”できるダイスを持つものは必ず参加するように、とのお達しよ」


 “役目負いキャスティング”できるダイスは、今この場でも四つある。


 転人の『DOG』。

 願石の『ROCK』。

 浮梨の『ATM』。

 そして、魚井の『WING』。


 つまり、この四人は、必ず大会に参加しなければならない。


「だから、魚井さんにも、ここに来てもらったのよ」


 場の視線は、魚井ひとりに集められた。

 当の魚井は、突然のスポットに、居住まいを正し直していた。


「“役目負いキャスティング”できるダイスは他にもあるだろうけれど、実力で首絞役員になったあなたには、とりあえず聞いておいてほしかったのよ」


 魚井は最初、浮梨に不思議そうな顔を返していたが、「へぇ」と納得したように目を細めた。

 身体の緊張を解き、さっきまでのゆるがるい印象へと戻る。


「なるほどねぇ……。私が呼ばれた理由は、そういうことだったんですねぇ」


 魚井の目は、段々と鋭くなっていっている気がした。

 いつかどこかで見たような、嫌な笑みまで浮かべている。


「でも、そういうことなら私は、参加――しませんよ」


「魚井! 貴様は話を聞いていなかったのか! 参加は義務だ! それとも、白主様の命に背くつもりなのか! 首絞役員として、一ノ目高校生徒として、なにより人間として、それは許されざる愚行ぐこうだ!」


 凄む願石にも、魚井はのらりくらりとした態度を見せる。


「おいおい、早とちりしないでくれ、命令に背く気はねぇよ。生徒会長の言葉からすると、参加しなくちゃならねぇのは、“役目負いキャスティング”できるダイスを持っている奴、なんだろ? なら、私がこれを手放しさえすれば、問題はなにもなくなるわけだ」


 魚井は『WING』を取り出しながら、貴重なものであるはずのそれを簡単に手放すと言い放った。


「これは元々あたしのものじゃなかったんだ。だから、これといった愛着あいちゃくもねぇんだよな」


 『WING』はもともと、転人と闘ったあの男子生徒のものだった。

 だが、今はもう魚井が所有していると言ってもいい状態になっていた。

 そうなった経緯は、魚井以外は誰も知らない。


「これをあげるなり捨てるなりすりゃあ、参加しなくても命令違反にはならないだろ?」


「むう、……確かにお前の言うとおり、そういうことになってしまうな」


 規律正しい願石から不参加の許しを得た魚井は、手のひらに乗せた『WING』を「ほい」といった軽さで、三儀に差し出した。


「ってことだから、これは、妹会長さんが使ってくれよ。妹会長さんは、自分のダイスを持ってないんだろ? この前のダイスダウンでは、生徒会長と願石先輩のダイスを使ってたみたいだしな」


 魚井の言うとおり、三儀はダイスを持っていない。

 つまり、今回の大会には、参加したくてもできない状態だった。

 だから、もし魚井の『WING』を手に入れることができれば、晴れて三儀も参加できるようになる。

 それが果たして望まれていることなのかは、この場にいるそれぞれがそれぞれに、違った考えを持っている様子だった。


「私なんかよりよっぽど才能がありそうだし、いろんな意味で大会も盛りあがるだろうし」


「…………」


 三儀は、差し出された『WING』を真剣なまなしで見つめる。

 握った手にも、自然と力がこめられていた。


「……それは俺があずかっておくよ」


 そんな三儀を知ってか知らずか、転人は魚井の手から『WING』を取りあげる。

 そのまま三儀を見ようともせずに。


「参加しなくていいんだ」


 そんなことを言った。

 その声は、三儀にしか聞こえないほど、小さな声だった。


 三儀は、思わず転人のことを見上げていた。

 転人は三儀を見返すことはなく、浮梨のように頭をなでることもない。

 三儀はそのことを「残念だ」とは思っていなかった。

 ただ不服には思っていた。

 だからなのか、転人のその手に向かって、自然と自分の手を伸ばしていた。


 だが――


「まるで……あのときみたいだな」


 そんな魚井のつぶやきが聞こえてきた。


 独りごとだったのだろうその声は、かろうじて三儀の耳まで届いていた。

 三儀は思わず伸ばす手をとめ、魚井のほうを向いていた。


「あのとき?」


 三儀は、いぶかしげに魚井を見る。

 魚井の目は、転人と三儀に向けられていた。

 今までの魚井からは想像できないほどの、優しい目をしていた。


「え……ああいや、なんでもねぇよ」


 そう返す魚井だったが、自分でもなにを言ったのかわかっていない様子だった。

 我に返ってからも、少しの間「……あのとき?」「なんのことだ……?」とぶつぶつと自問をくり返していた。


「あー……もう。とにかく。これで、あたしがここにいる理由はなくなったってことだよな。なら、そろそろ帰らせてもらうわ。あたしはこう見えても忙しいんだよ。無駄話につき合ってる時間はねぇんだ」


 魚井は、自分のことを棚にあげながら、早々に立ち去ろうとしている。


「待て、魚井」


「なんだよ、願石先輩。まだなんかあんのか? ダイスはもう持ってないんだから、なんの問題ないだろ? いちゃもんでもつけようってか?

 そこらへんにいるモブ生徒ならいざ知らず、あたしにかぎっちゃ、その御自慢の威圧は効かねぇぜ。そのことは、ついさっきも見せたし、この前のダイスダウンでもそうだっただろ? だから、無駄なことはやめようぜ、お互いに損だ」


「そうだな、無駄なことはやめよう、お互いにな」


「だろ?」


「だから、魚井よ。貴様は大人しく絞首刑場に行き、そこで私が戻るのを待っているべきだな。

 本日の貴様が行った数々の狼藉に対して、たっぷりと指導を行わなければならないからな。その指導は、今ここでできるような、生やさしいものではすまされない。

 私は自分自身に、なにごとにも冷静れいせい沈着ちんちゃく寛容かんようであるべきだと言い聞かせてはいるが、常にそうであるべきだとは思っていない。だからわかるだろう? なあ、魚井よ」


 願石の風采ふうさい品格ひんかくは、見せかけではなく本物なのだ。

 威圧をものともしない魚井であっても、具体的な“更正”を匂わされると、そのかぎりではなくなっていた。

 魚井は、願石の言葉が終わる前に、すでに動き出していた。


「じゃ、じゃあまたな。廻も、元気でな!」


 魚井の動きは素早く、逃げるように視聴覚室をあとにした。

 おそらく絞首刑場に行くことはないだろう。

 もしかしたら、当分の間、願石の前に姿を現さないかもしれない。

 転人は、去っていく魚井に、同情の目を向けざるをえなかった。

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