第35目 魚井は三儀をからかいたい

 スクリーンが暗くなり、部屋の明かりがついた。


「これが、前回のダイスダウン大会よ」


 ここは一ノ目高校の、シアタールーム。

 いわゆる視聴覚しちょうかく室だ。

 盛大に、とまではいかないものの、それなりの設備をもって、前回のダイスダウン大会決勝戦の映像が上映された。


 映像を流し終え、明かりをつけた浮梨は、観客席側に戻ってきた。

 観客は、全部で四人。

 転人、三儀、願石、そして、魚井。


「さっすが会長だねぇ、みごとな闘いっぷりだ。あたしにはあんなこたぁ一生できないねぇ」


 わざとらしい独特な節をまわすのは、魚井以外にはありえなかった。

 魚井は、椅子ではなく机の上にあぐらをかいてすわり、独りがたりでも始めるかのごとく、大仰おおぎょうな身ぶりを見せていた。


「あたしたちみたいな新人首絞役員じゃあ、ああうまくはいかんもんだよねぇ、そう思うでしょ? 廻先輩も」


「俺に話をふるな」


 魚井は、転人と死闘をくり広げたあのあとに、首絞役員になっていた。


 彼女のその“役目負いキャスティング”の才能が買われた、というのももちろんあったのだろう。

 だが、それよりもなによりも、闘いで見せた彼女の外道げどうさが一番の問題になっていた。

 願石が「更正やむなし」と判断するのも、無理からぬところだった。

 ひとまずは自分の部下にして、目を光らせようとでも考えているのだろう。

 当の本人は、そんな事情は露と知らずに、ついこの間、公園周辺の封鎖という初仕事を無事に終えたところだった。


「つれないなぁ、廻先輩は」


 魚井は、特に残念そうな素振りも見せず、へらへらと笑っている。


「ところで魚井。その先輩ってのはやめてくれ。同学年だろ?」


「でも首絞役員としては先輩じゃないっすか?」


「だとしてもだ」


「そうっすか……先輩属性とかないんすね。それじゃあ……お兄ちゃん、ってのはどうっすか?」


「……それはもっと嫌だな。そもそも同い年だし」


「それもダメっすかぁ……、あ、ならダーリンとか? あたしのことはハニーって呼んでもらっていいっすから」


「呼ばねぇよ」


 ダーリンとも呼ぶんじゃねぇ。


 魚井は、どう考えても遊んでいた。


「ええーわがままだなぁ。となると……」


「転人さんが嫌だと言ってるんですから、やめてください」


 三儀がふたりの間に割って入ってきた。

 我慢も限界にきていたのか、とても険しい表情をしていた。

 魚井に向けられている目が怖い。


 魚井は、そんな三儀に目を丸くしたが、すぐに意地の悪そうな笑みを浮かべる。

 獲物を見つけたとでも言いたげで、舌なめずりまで見えてきそうだ。


「それなら、妹会長さんも考えてくれよ。あたしは、この暫定ざんてい廻恋人をなんて呼べばいいんだ?」


「なにを言ってるんですか! なんて呼び方をしてるんですか!」


「え? ああ、言われてみれば確かにそうか。恋人なら呼び捨てだよな。じゃあ、転人って呼べばいいか?」


「違います! だからそもそも、転人さんと魚井さんは恋人同士じゃないじゃないですか……ないですよね!?」


「ははい、違います。ぜんっぜん違います」


 三儀ににらまれた転人は、まさに蛇ににらまれた蛙だった。


「ほら! 転人さんもそう言ってるんですよ。ですから、その呼び方はダメです」


「ええーめんどくさいなー」


 魚井の棒読み具合はひどいものだった。

 三儀は、そんな魚井の態度に、さらに怒りをつのらせていく。


「じゃあじゃあ――」


 そのあとのふたりのやりとりは、白熱はくねつきわめていった。

 魚井がああいえば、三儀はこういう。

 三儀が詰めれば、魚井は逃れる。

 掛け合いはその速度の限界を超えて、ただの叫び合いになっていった。

 魚井はあくまで遊び半分を崩さず、三儀はそれでも尊厳そんげんを保ちつつ。

 声の殴り合いの果てで、息も絶え絶えになっているというのに、ふたりはまだお互いをにらみ合っていた。


「――じゃあさ、妹会長さんよ。そこまで言うんなら、妹会長さんは、どう呼んでるんだよ」


「私はきちんと“転人さん”と、さんづけで呼んでます!」


「ほほう……、そいつは偉いな」


「それほどでもないです。むしろ、当たり前じゃないですか」


「んーでもさ、さんづけってんなら、なんで“廻さん”じゃないんだ? 下の名前にさんづけなんて、それこそまるで……ああ、なるほど、そういうことか。なんだよ、先に言ってくれればよかったのに。妹会長さんもすみに置けないねぇ」


「ちち違います! 私と転人さんは、そんなんじゃないです! ただ……最初からそうだったってだけで、他意たいはありません!」


「そうは思えないけどなぁ。ああもしかして、そんなんじゃないってのは、まだそうなれてないっていう……」


「違います!」


「じゃあどういうことなんだよ。はっきり言ってくれないとわかんないだろ?」


「だから言ってるじゃないですか! 私は転人さんとは……その……」


 ふたりの立場が、いつの間にか、ひっくり返っていた。

 魚井のほうは、相変わらず楽しそうな笑いを見せている。

 一方の三儀は、顔を真っ赤にして小さくなっている。

 魚井の執拗しつよう追求ついきゅうに耐えながら、少し震えながら涙をこらえている。


「なになに? どういうことなの? ねえねえ」


 魚井は、そんな三儀をさらに追い詰めんと、おもしろがって口を開く。

 三儀は、さっきまでの勢いを完全に失ってしまっていて、魚井に言い返すこともできず、もちろん答える様子もない。


「はーい、そこまで」


 浮梨がパンと手を打ち、ついにふたりの間に入っていった。


「ふたりとも、仲よくしましょうね。今はそんなことでぶつかっている場合じゃないんだから」


「そうだぞ、妹会長」


 浮梨は三儀の頭を優しくなでながら、三儀の目線に合わせて様子をうかがう。


「大丈夫です」


 三儀はそう言って、小さくうなずいた。

 浮梨は、それをしっかりと確かめてから、ゆっくりと立ちあがる。


「それで、魚井さん?」


 魚井のほうへと視線を動かしながら、そう呼びかける。

 ゆっくりとした動きで、願石の地響きを思わせる重低音が聞こえきそうな威圧を放ちながら、魚井にせまる。

 顔はにっこりとしていたが、上辺うわべだけなのがはっきりとわかる。

 それはつまり、隠しきれないほど、心が笑っていないということだった。


「魚井さん、あんまりお痛が過ぎますと、私としても困るんです。もしなにかが起こってしまったら、きっと大変なことになってしまいますからね、。だから、くれぐれも気をつけてくださいね」


 気をつけてくださいね。

 念押しなのか、同じことを重ねて言った。


「……は、はい! すんませんでした!」


 尋常じんじょうじゃない雰囲気に、魚井もさすがにひれ伏すしかないようだった。

 頭を深々とさげる様は、見る人が見れば気持ちのよい光景なのかもしれなかった。


「わかればよろしい」


 浮梨は、今度こそしっかりとした笑顔だった。

 ただ魚井は、その笑顔にも恐怖を感じてしまっているようで、かしこまった調子を続けている。


「そそそれでは、生徒会長! そろそろお聞きしたいのですが、あたしはなぜここに呼ばれたのでありましょうか。ダイスダウン大会となにか関係があるのでしょうか。そのあたりのことを、ぜひ、ご教示いただきたいです!」


「そうね。それじゃ、そろそろ本題に入りましょうか」

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