発達障害と僕

作者 春木 直樹

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★★★ Excellent!!!

発達障害をおもちのかたが、症状や苦手なことを自覚されながら、お仕事をはじめとした日々を生きていくエッセイ――というだけで、すでに読んでみたくなるかたも多いと思うのですが。

日記に似た形式で、ごく普通につづっているようで。
その筆致。
一見迷っているようでいて、しかしどこか躊躇なく、「どこか」を見つめる精神がそこにあるな、といつも感じます。

その「どこか」というのはもしかしたら私が勝手に感じているだけかもしれませんし、それがどこなのということも、よくわかりません。

ただ、発達障害(や、いわゆるグレーゾーン)をおもちのかたのなかには、その名前の通り周囲と食い違うなにかでこぼこがあって、
そこをここまで当たり前に、迷うかのようでいてまっすぐ、射貫くように見つめるエッセイは、なかなかほかに味わえるものでもないのではないかな、ととても貴重に感じているのです。

タイトルにある通り、「発達障害と僕」――その関係性に存在している「なにか」が、もしかしたらいわゆる一般的な普通のひととはけっこう違うから、それを私は「どこか」という表現で感じているのかもしれません。


日々更新を心待ちにしているエッセイのひとつです。更新があると気づくとすぐに読ませていただいてます。今後ともこういったお話をたくさん読みたいので、応援しております。

★★★ Excellent!!!

発達障害(ADHDと学習障害)の家族の中で暮らしているので、その理解のためにと思って読み始めました。
辛い部分は人それぞれだと思いますが、家族本人が気付いていない・言葉に出来ないことが書いてあることもあり、とても有難いです。
耳が悪いわけではなく、雑音で会話が聞こえ辛いのだということもこちらで気付きました。

色々な特性の人たちが寄り添って生きていくのに、助けになる言葉たちです。
たくさんの人に読んでほしい作品です。

★★★ Excellent!!!

自身の事を客観的に見れるからこそ、作者さんの辛さに共感を感じます。
最近は発達障害という言葉がかなり認知されてきました。
ですがこの言葉を「出来ない自分への盾や逃げ」だと誤解している人はまだまだ沢山います。

そういった方たちがいるからこその苦労、辛さもこのエッセイを読んでいると感じます。

ですが作者さんは、それでも少しずつ崖を登るようにして生きていっています。

そしてこのエッセイは発達障害ではない方でもブラック企業で辛い思いをしている方や上司からモラハラを受けている方にも共感を得られるのでは無いでしょうか。

その事を読むたびに私たちは、自分ももう一歩登ってみよう、人に優しくなってみようと思えるように感じます。

このエッセイは読者にそういう気持ちも感じさせてくれる作品です。

★★★ Excellent!!!

人は知らないことに恐怖を抱く。
知らないから拒絶する。
知らないから理解できない。
知らないから避ける。

知れば、理解できる。
知れば、納得できる。
知れば、生きやすくなる。

でも、人は知ることを恐れる。
だけど、知ってほしい。

お互いが知ることで、
うまくコミュニケーション取れる。

それは、当事者も周囲も同じことです。

知ることを恐れないで。
そう皆に伝えたい。

だから、広めたい作品です。

★★★ Excellent!!!

この作品は、作者が発達障害ということもあり、発達障害者の苦悩や特徴が詳細に、淡々と綴られている。

知り合いや身内に発達障害者がいる人間や、当事者に読んで頂きたい。

勿論、これから障害者福祉の仕事に携わる人もこれを読んでから業務に携わって欲しい。

それだけ、この物語は勉強になり考えさせられます。

★★★ Excellent!!!

他人事ではなく、また発達障害に関する現実的な声です。
内容はともかく文章が簡潔で読みやすいので、もしやすると筆者様は文章を書く才能があったりするのでは?などと、私はこういう方にお会いすると二次元三次元関係なく「隠れた才能」を探します。関わる人に恵まれるかどうかというのは大きい、そんなことも痛感してしまいます。

★★★ Excellent!!!

 発達障害というワードは、確かに小耳に挟んだことはありましたが、ではいざ「どんな症状がある?」とか、「互いにすべき行動は?」と問われれば、今までの私なら絶対に答えられなかったでしょう。この文を読んでいる方には、世界を見る目を広げるためにも、是非とも読んでほしいと思います。
 
 高校や大学で、私は自分とどうも馬が合わない幾人かの同学年・先輩・後輩と作業をすることがあったのですが、その時は「どうしてそんなことをするんだ。配慮が足りない」と、自分勝手に思っていました。しかし、”一般”とは違う方に対する理解と言うのは、たちの悪いことになかなか広まっていきません。それどころか、そのまま放っておくと両者の間に溝が生まれます。
 ここでいう「たちの悪い」と言うのはずばり、私のような人が「自分の独断に従って行動している」のではなく、「世間一般の”きまり”」に従って行動していることを示します。私はこの時「自分は”きまり”にきちんと従っているのに、どうしてこの人はそれをしないんだろう?」と理不尽な怒りを覚えたのです。

 このエッセイは、その点で、私にとってかなり大きな価値を持っています。知識として「知る」のと「理解する」のとでは、大きな差がありますが、それでも正しく知ることで、少なくとも意識の拡張がなされました。このことは私と馬の合わなかった方との懸け橋となって、延いては新たな人間関係を築くきっかけとなるはずです。