299.voca me

 リディアは、自分のベッドを直すジュリアを目の端で捉える。


 彼女は、きつい顔立ちをしている。貞淑清楚を美徳としているシルビスでは、思いを隠すことができない性格では縁を結ぶことは難しいのではないか。


 リディアは皮肉げにそう思う。


(――私には関係ないけど)


「あなたは、ずっと私の側付きなのかしら? ここから私がどこかに送られたあとも?」


 コルセットを着せ付ける彼女に、独り言のようにリディアは問いかける。


「幽閉される私にずっと付き合うのかしら? 存在を隠されているんですもの、他に交代してくれる人はいないわよね」


 締め付ける力が一瞬止まる。


(考えてなかった? それとも不安があたった?)


「秘密、ですもの。それとも、――口封じ、という手もあるわね」


 リディアのコルセットを引き締める力が止まった。まだ締め付けが不十分なまま、紐が結ばれてドレスを着付けられる。


「――いずれフランチェスカ殿下とは会えなくなる。私と一緒に送られる前に、訴えたほうがいいかもね」


 彼女は無言で、けれど気もそぞろに仕上げをした後、部屋を出ていった。


***


 兄もフランチェスカも来ない。二日続けて来たのは、鷲鼻のグローヴァー夫人だった。彼女とジュリアは、交替で側についていたのに、何かあったのか。


 今日もリディアは医師から魔力抑制剤を打たれていた。彼は黒い往診カバンをいつも机上に置いて、そこから薬と注射器を取り出していた。


 注射器に溶解液を吸い上げ、薬の粉が入った小瓶のバイアルにそれを入れて溶かす。

 再度注射器に全てを吸い上げたところで、リディアに向き合い、アルコール綿で腕を消毒した後、静脈に刺す。


 大人しくいつもの通り注射を受けたリディアは、医師を見上げる。


「先生、ボタンをかけ間違えてますけど」


 白衣のボタンが一つずつ、間違えてはめられている。彼が自分の白衣を見下ろし、面倒そうに直す。


 リディアは顔をそちらに向けたまま視線を変えずに、カバンの中の横ポケットにあった個別包装がされている袋入りの未開封の注射器シリンジと針を抜き取り、袖に隠した。


 彼は最後までリディアが注射器と針をくすねたことに、気がつく様子はなかった。


 ――あの医師は細かいことに意識を払わない。

 横ポケットにはディスポーザブルの数本のシリンジや針が束になって、無造作に入れられていた。おそらく残数など確認はしていないだろう。


 治癒魔法師で医療担当だったリディアも、救急キットの点検をしていたことがある。注射器や針、手袋などディスポーザブルの用品は補充をしても、使用した数と残数が合っているかなど照らし合わせはしていなかった。


 他のメンバーもそうで、医務室の処置ワゴンやキットの注射器は、足りなくなったら倉庫から補充するというのが大半だ。


 細かい性格の医師ならば不信を抱くかもしれないが、おそらく大丈夫だろうし、気づかれたらそれまでだ。


 リディアはそれをベッドマットの下に隠した。誰もベッドメイクも掃除もしていないのだから、見つからないだろう。


***


 ――自然界の緊張も、廷内の緊張も高まっている。誰とも接触しなくても、見張りの兵や、侍女の様子からわかる。落ち着きがなく、ソワソワして、騒がしい。


 婚儀が近い。


 それは、明日か、明後日か。じりじりと焦燥を胸に一日一日を送るリディアだったが、当日の朝は誰にも聞かなくてもわかった。


 空気がざわめいていた。

 そして祝砲が打たれ、教会の鐘も早朝から鳴り響いていた。


 ――探らなくてもよかったのだ。


 ――王族の婚姻は、首都セルヴィアのドーム型の屋根を抱く大聖堂で行われる。そこは、王族のみが入ることが許された場所。


 大聖堂はシルビスの最東の建物。

 要塞のように堅牢な円筒型の壁に囲まれており、連峰から朝日が顔を覗かせた際に、金色の半円型のドームに橙色の光が差し込むようになっている。


 金色の屋根から光が四方に散らばり、街に光の恩恵をもたらす。


 そのドームの中央、垂直に天に向かい伸びる頂華に朝日が重なった時、聖堂で祈りを捧げていた二人は、その中で祝福を受ける。


 そして太陽の主から、シルビア人の栄光を約束されるのだ。


 儀式が終われば、聖堂から王宮へと続く道を、華々しくも物々しい近衛兵に囲まれた四頭馬車で進む。 そして、王座で待つ現国王に婚儀を終えたことを報告する。  


 正午には、王宮のバルコニーから、王宮前広場に詰めかける群衆に姿を見せる。


 リディアは師団にいるときに、シルビスの伝統的儀典の一連の流れを頭に入れてあった。


 要人警護をすることが多い師団は、他国の典儀に通じている。今回も変更はないだろう。


(……きっと、私への見張りは薄くなる)


 婚儀が滞りなく行われるように、最大級の警備体制が敷かれるだろう。だが幽閉された自分への警備は薄くなるのではないか。


 リディアは、浮き立つ廷内でただ静かに成り行きを見守っていた。


(……どこかに、隙があるはず)


 リディアにつけられた見張りの兵たちは平静を装っているが、やはりどこか落ち着きがない。さらに言えば、リディアが煽ったジュリアは明らかに焦っていた。


 女官長にしろ侍女長にしろ、彼女はまだ自分の配置に対して訴えることができていないのだろう。最近はリディアに対しての世話も気が入っておらず、観察も疎か。

 グローヴァー夫人に、扉の外に一度呼び出されていた。


 焦りはミスを生む。自分は見張りではない、あくまでも一時的な世話係、としか彼女は思わなくなっていた。


***


 ――予想通り、婚儀の夜は、廷内も城下町も、お祭りの雰囲気がある。どの国も同じだ。

 花火が鳴り響き、どこからともなく音楽が鳴り響く中、相変わらずジュリアはリディアに意識が向いていなかった。


 なぜこんな日まで自分がここで働いているのか。早く配置替えを願わなければ、そう機会を狙っているのが明らかだった。


 ――そんな彼女に背後から近づき、リディアの就寝の準備をしている彼女をベッドに押し倒すのは簡単だった。

 

 暴れているが、足は宙をかいている。枕で顔を押さえ、声を漏らさせない。

 あばれる足に乗り上げる。


 更に密かな衣擦れも、不穏な気配も、花火の音にすべてかき消されていた。


 リディアも渾身の力で押さえつける。

 外の兵に悟られてはいけない。このまま枕で押さえ続ければ、窒息死させられる。


 手がもがいてリディアの腕をひっかく、リディアの身体を足が何度も蹴りつけてくる。


 不意に暴れる手足がパタリと落ちた。


(……殺してしまった?)


 思わず押さえつける手が弱まり、気がつけば枕を押さえた手が緩んでいた。枕が緩んでも彼女は動かなくなっていた。


 慌てて枕をどけ、顔を近づけると息をしていた。


 どうやらただの気絶のようだった。


(……まだ、甘い)


 ホッとしている自分に気が付き、言いようのない感情が持ち上がる。


 殺せない甘さ。


 これで、兄をれるのか。

 呆然としたまま、こんなことでひどく消耗している自分に首をふり、頭を切り替える。

 

 気力なのか体力なのか、何が失われているのかわからない。

 だがやるべきことをする。

 

 彼女の足を持ち上げて、自分のベッドに押し込む。


 自分の中が、虚ろなのか冷静なのかわからない。


 しばらく身じろぎせずに様子を伺うが、幸い内外のざわめきで音は目立たなかったようで、誰かが入ってくる様子はない。


 ジュリアは意識を失ってはいるけれど、浅く胸が上下し息をしている様子が伺える。


 迷った末に、自分に処方されていた即効性のある強めの睡眠薬の錠剤を五粒ほど、彼女の舌下ぜっかに差し入れた。


 内服薬だが、舌下からは薬剤の吸収は早いし、これならば誤飲や窒息する恐れもないだろう。


 口は切り裂いたシーツで覆った。


 彼女を横向きにして背中のファスナーに手をかける。それをおろして肩口から外していく。なるべく肌には触れず、起こさないように最新の注意を払う。


 袖口のボタンをそっと外し、腕から衣服を少しずつずらして外していくと、彼女はわずかに呻いたが、そのまま目を覚ますことはなかった。


 カーテンタッセルで彼女の両手首を結び、厳重に彼女の口と腕の縛りが解けないのを確認して、布団をかける。


 全て終わった時は、リディアは汗だくだった。息も荒く、かなりの時間をかけてしまった。


(……ディックは、こういうときの手際がよかった)


 捕虜や敵をあっという間に縛り上げるのが得意だった。「人体の構造と縄の特性を知って、後は練習次第だな」と言っていた。


 シリルに「そういう趣味があんだろ」と言われて、思わず言葉に詰まっていた彼。


 元の仲間たちのことを思い出し、口元に笑みが浮かぶ。


 なのにそれを思い出したことに、寂しさと罪悪感が胸を襲う。何か熱いような塊が喉元へとこみ上げた。


 まだ人間らしい感情が残っていたのだと思えば、急速に心が冷えていった。




*voca me

(わたしをお導きください)

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