297.I beg you

 安らかな眠りは訪れない。ただ、寝間着に着替えをさせられて、そしてベッドへと押し込められる。眠れないといえば睡眠剤を出される。


 リディアはそれを飲まなかった。眠れば夢を見る。寝たつもりもないのに、寝ていると誰かが入ってくる。誰かがリディアの耳元で何かを言う。


 返事をしたいのに、返事ができない。動けない。そして誰かがリディアの上に乗り、首を絞める。起きたいのに起きれない。


 もがく、もがいても動けない。

 そして、朝が来る。


 ――これは夢だったのかと、わからなくなる。


 いつの間にかディアンがいて彼と会話をしている。ああ、シルビスにいたのは夢だったのか、と思う。心の底から安堵したのは束の間だった。


 リディアの手は、ディアンに向けられる。

 彼の首をしめている。そして、気がつけば、ディックが、シリルが死んでいる。


 ――皆をリディアが殺したのだ。


 叫んで目が覚める。ここがシルビスだと思い知る。


 そして、カーシュを殺したことを思い出す。それは現実だ。


 そして、ディアンを殺した夢さえも、現実ではないかと思うときもある。


 彼のもとに行き彼を殺す。それが本当にあったことではないか、と。



***


 一日一回の魔力抑制剤投与で、日にちを計算する。

 しばらく、兄もフランチェスカも来訪しなかった。彼女に告げられた婚姻の儀式は、近い。リディアを訪ねる余裕などあるはずがない。


 リディアは虚ろな目で、鉄格子のはめられた窓の外を見下ろした。中庭にはブラックドラゴンがいた。

――逃げなどしないのに。


 リディアは、左手を見下ろして、拳を握りしめる。


 カーシュの目をくり抜いた忌まわしい手。

 呪いがなくなった左手、けれどリディアの手は血で汚れている。仲間であった人を、ディアンの部下を、殺した。助けようとしてくれた人を、自らの手で残酷な痛みを与えて殺したのだ。


 ――自分は、兄の人形であることをやめることができない。


 リディアができるのは、日々鉄格子のはられた窓の外から外を眺めることだけ。


 兄は、リディアが理解ができないのであれば、何度でも殺させると、手を血で汚させると言っていた。

 おそらくその相手は師団の仲間、そしてグレイスランドの人。


 この国の人間だってわからない。親しくなれば、リディアの手によって殺させるかもしれない。 


 それにリディアの心が耐えられるのか。


(――耐えてしまうのだろう)


 無理ならば、薬を使えばいいだけだ。


 ふと思う。

 

(……なぜ、お兄さまは、薬を使わないのだろう?)


 リディアが薬を断ったから?

 もう逃げないと思っているから? 


 それだけの理由だろうか。


 精神の安定なんてしていない。逃げ出さない保証もない。


 寝ていない自分も、食べていない自分も知っている。

 それでも放置なのは、この状況で問題ないと思っているからだろう。


(――ちがう。この状況は、私の意思、だからだ)


 何度も兄は言っていた。それはお前の責任だ、と。

 こうなったのは、リディアのせいだと。


 薬に逃げることをリディアは自分に許さなかった。施術を受け入れるのも、リディアの意思だ。けして無理矢理されるわけじゃない。


 自分でその痛みを受け入れる、その苦しみは自分で決めたこと。


(だからこそ、自分は逃げ出さない)


 無理矢理にではない。自分で決めたことから、リディアは逃げ出せない。

 兄の人形になり、彼らの子どもを生む。それは自分が決めたこと、受け入れたことだ。


 兄は知っている。リディアがどんな状態だろうと、逃げ出さずそれを受け入れこなすことを。


 ディアンを、一番の望みを、機会を逃したのは自分だ。

 

 それに後悔はない。


 ……なのに気を緩ませると、彼の姿が、声が蘇る。尊大で場を従わせる圧倒的な声。

 射抜くような視線なのに、時折リディアに向ける眼差しは、穏やかで優しい時もあった。


 時折ためらいながら伸ばされる手にいつも頼もしさを覚えてた。


 かわした会話が、言われた言葉が何度も記憶を掠め、彼から見下される黒い瞳を思い出してしまう。


 こみ上げてきた思い、不規則に速くなる呼吸、しゃくり上げそうになる喉。胸を抑えることで堪える。


 ……懐かしい。でも、もう終わったこと。


(これでよかったのだ)


 なんども、なんども、そう自分に言い聞かせる。


 ……もし、ディアンがいたら、残されていたら。

 リディアを人質とし、彼は殺されてしまっていただろう。


 ――ディアンは、自分には甘い。そんなこと、わかっていた。あんなに強いのに、リディアをいつもかばおうとする。


 ――あの時もそうだった。


 ヴィンチ村で、全員が死に絶えようとしていた時、リディアだけを助けようとした。自分の命を差し置いて、リディアだけに望みをかけようとした。


 リディアがディアンを殺そうとすれば、彼は戦わないのではないか、そう思うとそれが怖い。



 ――自分はディアンの弱点だ。


 そう気づいた時、リディアは身体に震えを覚えた。全身を貫くような衝撃だった。


(……どうしてお兄さまは……カーシュを、グレイスランドに送りつけたの?)


 そんな必要はない。

 ……でも。


 おそらくディアンはカーシュの遺体に、リディアの痕跡をみただろう。


 リディアがやったことだと、気づいてしまう。リディアの魔力の残滓、それとも過去視。いずれにしても、リディアがしたことだと知ってしまう。


 リディアは震える右手を見下ろしていた。


 自分がやったことは消えない。

 師団の仲間たちにどう思われてもいい、恨まれてもいい。


 でも――ディアンは知るだろう。それはリディアがさせられたことだと。


 カーシュの遺体を送りつけたのは、介入すれば、リディアに何人でも殺させる、そう知らしめるため。脅しだ。


 そう気づいたあと、リディアはさらに瞳をさまよわせた。


(まさか、お願い。でも――)


 そう知った時、ディアンは大人しくしているだろうか。介入するな、なんて脅しに屈するだろうか。


 リディアはいやいやと首をふった。ディアンがそのままにしておくはずがない。

 師団の誰かを送り込んでくるだろう、リディアを救いにくるために。


(ちがう、そうじゃない)


 ――ディアンが来てしまう。


 それは、リディアにとって最も望まない最悪のシナリオだ。


 ――彼は、リディアを助けに来てしまう。


 だめ、そんなのは、だめだ。


 リディアはようやく自分の役目を知った。


 王女はリディアを母体として必要としている。でも兄はそうではない。


 兄が自分より上の存在を認めるだろうか。


 君主を得たいのだろうか――否だ。


 太陽の主を得たいわけじゃない。

 かの神を主に抱く子を持つことなど、興味がない。


 自分の力がどこまで通用するのか、みたいだけ。昔からそうだった。虫の死骸を操り死霊術ネクロマンシーを行ったときから変わっていない。


 リュミエール人部隊を作り上げたのもそうだ、その最強の部隊を将として指揮するのではない、駒として操る気だ。


 彼は人を操作し、殺し合う様がみたいだけだ。


 ――学内での呪詛の流行。

 背後にどんな力関係があり、流れになったかは推測しかできない。


 色んな人が少しずつ動いた結果だろう。

 少しずつ、少しずつ、ふとした心の闇に漬け込んで、その合間に手段が投じられて、手を出していった。


 最後のチャスの「ごめん」という言葉を思い出す。


 兄の息がかかっているヤンがチャスに命じた。

 王族からの命に、チャスが逆らえるはずがない。


 彼自身、国からの奨学金を受けていたのだ。そして卒業後は、バルディアに帰国する。


 チャスは対抗戦でリタイアしたと聞いていた。彼がそこに入り、そして封印を消滅させた。もしかしたらメグが育てた魔獣を、地下のニンフィアノワール黒睡蓮の聖廟で解き放ったのかもしれない。

 


 一度目のフィールド消失、そして二度目の現場での魔力消失。チャスがそこまで強大な力を有しているとは思わなかった。


(……チャスはどうなったの?)


 保護されていればいい。でもグレイスランドのシステムに介入したのだ。

 師団は容赦しないだろう。


(キーファや、ウィルが彼を庇ってくれているはず)


 友人のチャスを見捨てるはずがない。



 ひとつ考え始めると、もう麻痺して忘れたはずの人たちの姿が堰を切ったように、頭に浮かんでくる。


 リディアが死にかけたときの、キーファの顔が思い浮かぶ。彼は悲しんでいた。目覚めたリディアを見て、もうやめてくれと言っていた。すごく傷つけた。


 彼はいつも自分を気遣って、辛い時は側にいてくれた。たくさんの言葉と行動で、助けてくれた。思慮深く、思いやりがあって、頼らせてくれた。


 ――諦めないでください。


 彼に何度も言われた言葉。自分は諦めてしまった。


(……ごめんなさい)


 

 どこから間違えたのだろう。どこから取り返しがつかなくなったのだろう。

 

 いつもケロリとしていて、物怖じしないウィル。

 リディアがキーファとの死を交換して蘇生した時、彼は無理やり笑みを浮かべていた。


 いつもはっきりと物事を指摘してくれる彼の存在に助けられていた。

 好きだ、と言われても、一時期のものだと取り合わなかった。その感情を無視していた。


 きっとリディアからそうされることは、すごく辛かったはず。

 なのにいつも明るく接してくれて、その性格に救われていた。


 バーナビーは、いつも優しくて。

 必ず戻っておいでと言っていた。


(――夢で、また会えるよ、って言ってたのに)


 夢から迎えに来てくれるなら――迎えに来てほしい。


 そう思ってリディアは首をふった。目尻にこみ上げたものを乱暴に拭う。


 

 会いたい。みんなに、会いたい。


 でも、会えない。


 こんなふうになった自分を見せたくない。


 一人で立つと決めたのに、それでも思いだす。


 グレイスランドが無事であってほしい。

 それだけが自分が許される願いごと。


(どうしよう、どうしたらいいの?)


 兄は、バルディアや周辺諸国を煽り、侵攻を行わせている。国がほしいのかはわからない。ただどこまで人を、国を操れるのか、それを試している。


 彼にとって邪魔なのは、グレイスランドの魔法師団。そして――ディアンだ。


(私が、足かせになる)


 手が、指が、歯が、震える。

 兄の真の目的、自分は――ディアンをおびき寄せる罠だ。


 ――自分は、ディアンの弱みだ。


 兄の力は強い。

 ディアンは、カーシュのように動けなくさせられる。そしてリディアに殺させるつもりだ。


 彼が乗り込んできたら、リディアが殺すだろう。

 いや、ディアンにリディアを殺させるかもしれない。


 どちらが死んでもいい。兄にとってはどちらでもいいのだ。


(お願いだから、来ないで)


 リディアは手を握りしめて、額の前で合わせる。何度も願う。


 お願いだから、救いになんて来ないで。そんな資格はない。リディアに、もうあそこにいる場所はない。


 でも――来てしまう。


(そんなことは、許さない)


 リディアは震えた。顔を上げる。動機が激しい、顔が熱くなる。なのに手は冷たい。


 ――兄を、殺す。


 リディアが、殺すのだ。

 目を閉じる。


 ディアンを殺してしまう前に。グレイスランドの人たちを殺してしまう前に。


 そこに何のためらいがあるのだろう。


 リディアは笑みを浮かべた。


 もはや血に汚れた手だ。器でしかない身だ。感情なんていらない人形。


 ――誰だって殺せる。


 ならば、兄を殺すことに何のためらいがあるだろう。



*I beg you

(あなたを請う)

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