273.歪んだ思い

 休んでいる生徒はどれも回復していた。

 けれど十五名は多すぎだろう。しかも時間が経つにつれて訴える症状が重い。


 皆が言うのは、フィールドにいたら気分が悪くなった。


 それから数名、何かに刺されたような跡がある。待機している医師によると虫ではないかという。確かに森と同じ環境をコピーしているので、虫も小動物も細菌類も生存している。


(……虫……)


 リディアは難しい顔で、その刺された跡を見つめる。校医は、皮膚科医ではないため詳しくはわからないと言う。呼吸や脈拍も正常で、発赤があるが毒ではなさそうだという診断結果だ。

 全員に皮膚科に行くことを説明して、彼らを帰す。


 リディアは思い立ち、部屋を出た。開始から半分が経過した残り一時間半、嫌な予感がする。


 ――バーナビーとウィルともに落ちた穴で見つかったのは呪詛板だ。そして、その際に使われていたのが、リディアの領域の魔獣――飼われていた虫だという話だった。


(また……虫)


 嫌な予感とともに、リディアが向かったのは、以前用務員に案内してもらった自分の領域が飼育している魔獣の巣箱だ。


 空が陰ってくる。

 今日のリディアは、スーツの上に師団時代からの翠の魔法衣を纏い自分の碧玉エメラルドのネックレスをつけていた。


 法衣で腕をくるむようにして、腕をこする。鳥肌が立つ。


 そして、魔獣がいた場所に近づくにつれて、薄気味悪さは募るばかりだった。

 一人で行きたくない、そう感じた。それは虫がいるせいかもしれない。


(――フィールド内にいるキーファ達も気になる)


 勝負の行方よりも、何かが起こっている、そんな気がしてならない。汚れてもいい黒のローヒールの靴が、乾ききっていない土を蹴りつま先が汚れる。


(本当は、運動靴がよかったな)


 何かしらのトラブル対処の予感がしていたからハイヒールは選択肢になかった。けれど試験なので運動靴というわけにもいかない。

 

 前よりも森の影が濃い気がする。けれど、気配が変だ。なんというか、虚ろな感じがする。


 リディアは、黙って奥へ奥へと進み、そして人の気配に足を止めた。


 ――女の子がいた。


 魔獣――虫の巣箱が置いてあったのは、一応は森が開けた場所だった。だがそこに至る道は薄暗く不気味で、誰も行こうとは思わない。


 そして、その巣箱の真ん前で地面に座り込んでいる姿は、明らかにおかしかった。


「あなた……」


 やつれていて前とは形相が違う。けれど魔力波は知っている、ケイの行方を聞いてきた院生の子だ。確か、メグ・ジョーンズだ。


「何をしているの?」


 彼女の前に座り肩に手をかけようとして、リディアはぞっとした。なぜか触れたくない、そう本能が逃げたくなる。


「――ケイが好きになってくれるって言ったのに」

「……?」

「どうしてよ! 好きになってくれるってそう教えてもらったのに!!」


 リディアは嫌がる身体を叱咤して、彼女の肩に手を振れる。

 途端に、左腕から左胸が痛んで、顔をしかめた。呪われた部位が熱さをもたらす。思わず手を放してしまった。


 そして気づく、背後の巣箱からは何の気配もしない。物音ひとつしない。


 たしか、ここには大量の虫たちがいたはず。なのに、何も音がせず気配もない。


 リディアは本来の虫嫌いのさがをこらえて、そちらへと近づき、そして上から見下ろす。


 ――何もいない。からっぽだ。


 慌てて他の巣箱も覗き込む、やはり何もいない。一匹としていない。ただ、尾や手足のようなもの、虫の欠けた残骸と赤い欠片が散っている。


 リディアはこみ上げてきた吐き気を堪え、手で口元を押さえた。


(共食い……まさか?)


 虫がいなくなったのは大歓迎だ。けれど、この痕跡が異常すぎる。


「あなた……なにを、したの?」

「……」


 メグは答えない。彼女から答えは得られない。

 オエッと思いながら、リディアは再度巣箱を覗き込む。魔獣たちの欠片以外に、赤い石の欠片のようなものがちっている、そして、巣箱の外には大きな塊。


 リディアは、それを一つ手にして顔を強張らせた。


 ――魔法晶石。彼女が盗難をしていたという話だが、その用途は不明。


 警察にも知らせていないし、内部の教員が聞き取りだけをしたが、彼女の話す言動が意味不明で結局自宅療養を促しただけだと聞いていた。


「まさか……これを与えていたの?」


 用務員は、餌が減らないと言っていた。そして、魔獣が逃げるような穴は巣箱になかった。まさかこれを与えていたからなのか。


 魔獣は魔石を好む。虫系魔獣だって同じだ。なくても生きていけるが、それは自らの魔力を高める性なのか、好物のようだ。だからといって、飼う魔獣の餌としては与えない。


 そして魔法晶石は、純粋な魔石ではないが、魔力素を内包している合成魔石を作る原料だ。少しでも魔力を欲する魔獣には充分魅惑的な餌になる。


(魔石晶石を与えるとどうなるか、なんて知らないけれど)


 これを奪い合って、そのうち共食いしたのであれば……。


 違う種類の虫が共食いするものなのか、いや、魔法晶石という麻薬のような存在があれば、そんなの関係なく狂ってしまうのかもしれない。


「最後の一匹はどこ?」


 全滅したのならばいい。そう自問自答しながら、リディアはゾッとした。


 これって、何かに似ている。


 自分の専門ではないが、呪術的なもので虫を共食いさせるものがなかったか?


 メグは肩を震わせて、泣いているのか笑っているのかわからない。

 ゴキがいたと思われる巣箱は音がしないから無視して、最中央の一番大きな箱に目を向けて、リディアはそれをつかむ。

 上下は鉄製、正面は同じく鉄製の網。錠がかけられているが、錆びている。


 天井部分にジャムの瓶の蓋のぐらいの大きさの穴型の溝があり、そこをひねると鉄製の蓋が開く。その下は粗い金属の網になっていて、そこから餌をざらざらと流し込む仕様になっている。

 リディアは軽くその蓋に触れてみたが、しっかりと閉められており、そこをこじ開けて逃げ出したとは思えなかった。凝視したくないが、巣箱に異常はない。


(……地面から逃げ出したとか?)


 ふと思い立ち、手にかけてみたが鉄製の檻は重くて持ち上げるのが大変。金属魔法で、重みをなくして持ち上げてみたが、地面には穴はなかった。


 代わりに、一枚の紙片があった。


 ――――ᚺᛏᚨᛖᛞ ᚨ ᚾᛖᚢᛁᚷ ᛋᚨᚺ ᚱᛖᚾᚾᛁᚹ


 リディアはその文字を読んで、固まった。


 湿気で歪んでいるが、羊皮紙でもなくコピーなどに使われる再生紙のようだ。


 だが、使われいる色は赤黒い。掠れ方をみても、ボールペンなど市販のインクじゃない。


(まるで、血だ)


「……これ、あなたが書いたの?」

「……」

「メグ・ジョーンズ、答えて!!」


 彼女はようやくリディアを見つめ返すが、その目は焦点があっていない。


「……ケイが。そうしたらケイが手に入るって、書いてあったのに!!」


(書いてあった、ってどこに?)


 まさか、フィービーと同じで禁書をよんだのか?


(今は、それを追求している場合じゃない)


 リディアは、その紙片を手に立ち上がる。

 何かを真似したとしても、赤インクを使うだろう。もしくは、魔法具店に行けば、魔法陣用の赤インクもある。


 でも、強い思いがあれば――禁書の教えのように、自らの血液を使ってしまうかもしれない。それぐらい、彼女はケイに対しての執着がある。


 リディアは、彼女を置いて走り出した。


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